第3話

 山をなんとか下りた頃には、時刻は昼を過ぎていた。


 今日は全国的に真夏日となっているらしかったが、ここ皆志野みなしの村は標高の高く、日差しは強いが風はひんやりしていて涼しい。


「昼と夜で寒暖差がありましてな。それが、お茶にいいのです」


 ひび割れたアスファルトを歩きながら、俺は太郎のじじいにお茶の作り方を教えてもらった。


 例えば、ポツンポツンと立っているあの扇風機は防霜ぼうそうファンという。読んで字のごとく、しもをつかないようにするものなんだとか。ほかには、茶の木を覆っている黒いシートは寒冷紗かんれいしゃという日光をさえぎるためのものだとも。


「アレをすると、甘みが強くなるのです。日光に当てると色はよくなりますが、渋くなってしまいますので」


「ははあ、色々あるんですねえ」


 俺は興味がなかった。いや興味がないわけじゃないが、どちらかといえば、カフェをつくったらどのくらいの費用になって、どのくらい金を盗れそうかということを考えていた。


 ほかにも、この皆志野村製のお茶はかまで炒るという珍しい手法を使っているらしい。だから普通のお茶と比べて香ばしいのだそうが、俺は脳内そろばんをはじくのに忙しくて、ほとんど聞いちゃいなかった。






 公民館の隣には、村長の家がある。


 その家は、公民館と同じかそれ以上の、立派な建物だった。木製の門があり、それをくぐった先にはサッカーができそうなくらい広い庭があり、石畳の先にその建物はあった。


「まったく、立派な建物ですな」


「わしは何にも。ご先祖様が建てたもので」


 庭はよく手入れが行き届いている。コイの泳ぐ池に、あれはサクラだろうか。ヒイラギやツツジもあるようだ。


 こりゃ、相当な金持ちらしい。


 逃げる時には、探してみるのもいいかもしれねえな……。


 俺は舌なめずりをしながらも、それを気取られないように、太郎のじじいのあとに続く。


 門がデカけりゃ玄関もデカい。栄養ドリンクを百個並べてもまだ余裕がありそうな玄関に、つづく廊下はカーリングができそうなくらいに長かった。


 二条城のような平屋建てを想像してほしい。しかも観光客の騒がしい声はしないんだ。


 鳥のさえずりと風の声、それに返事をする木々が揺れる音……。


 心が浄化されて、詐欺なんて犯罪行為はいけないことなんじゃないかと思ってしまうほどに、静かだった。


 俺は広々とした部屋に通された。


 真ん中にはローテーブルがあり、その上には湯気をくゆらせている料理の数々が並んでいた。


「少し遅めですが、一緒にいかがですか」


 いつもだったら、ご飯はひとりで食べるのが俺の主義だ。誰かと食べると、何かしらの話をしなければならないだろう? それがうっとおしいんだよ。


 だが、今回ばかりは、俺も首を縦に振っちまった。


 なれない山登りなんてさせられたからってのもあるが、なによりその食事はおいしそうに見えたんだ。






 食事をしていると、わらわらと人が集まってきた。その様子たるや、砂糖菓子に群がるアリのよう。


 俺は最初、村長か村長んちのメシにつられてやってきていると思っていた。


 だが違う。彼らの視線は、俺の方をチラリチラリと向いていた。


「あの……なにか?」


「アンタが、よそからやってきたなんちゃらっていう」


地域復興請負人ちいきふっこううけおいにんですな」


 村長が言えば、人々はそろって頷いた。


「どんなやつか見に来てみたんだが、なんかいいやつっぽいな」


「そうですか。ありがとうございます」


 俺は口元に微笑をたたえて、そう答える。心の中ではもちろん、ほくそ笑んでいたさ。


 まさか山吹色のお菓子を贈呈しなくても、俺のことを信じてくれそうだぞ。こりゃあやりやすいったらありゃしない。ここまでイージーモードだったことがいまだかつてあっただろうか。いやない。


 さんざん、悪いフラグが立っていたような気がしないでもないが、案外ツイてるじゃねえか。


 もう、何も怖くないね。仕事が成功する気しかしねえや。


 俺は、グラスに注がれていたビールをあおるように飲む。






 そこから先の記憶はかなりおぼろげである。


 おぼろげながら浮かんできた記憶を引っ張り出すと、昼間っから酒盛りをしたのは間違いない。んで、太郎のじじいとその他の村民たちと野球拳をし、腹太鼓を叩きあい、ビール瓶で片っ端から開けまくってやった。


 正直なところ、久しぶりに高額報酬が見えていたものだから、俺の北極の氷のような心もユルユルになっていたのかもしれない。


 乱痴気騒らんちきさわぎ一歩手前までいって、それで何かを食べたような気がする。それは団子のようなものだったが、口の中に広がる味は、世界百か国は旅した俺も体験したことのないようなものだった。


 しいてあげるなら、ザクロに近かった覚えがある。


 だが、その奇妙な食感も、すべてアルコールによって洗い流されて行き――。


 俺の意識は暗闇の中へと吸いこまれていった。

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