第109話

毎朝「愛してる」と言うのは結婚してからの習慣のようになっていた。


それが原因かもしれないと分かっていたのに、それでもそれを伝えるのを止めることはできなかった。


彼を送り出してから毎朝泣いた。


今この時にも俊介の命が削られているかもしれないのに。言わなければいいだけだったかもしれないのに。でもそんなことできなかった。耐えられなかった。


そんな弱い自分が大嫌いになった。


なんとか涙の後を隠して出社する。


上司に「家庭の都合上今月いっぱいで辞めさせて欲しい」と辞表を出した。それは受け取られて、咲良はあと二週間でその会社を去ることになった。


不安な気持ちは消えないままなのに手は動いている。


そんな変に強い自分も大嫌いだった。


仕事を終わらせて家に帰る。ご飯を作りながら俊介の帰りを待てるのはあとどれくらいだろうと考えた。一生? 一年? 一ヶ月? それとも、もっと短いのかな。


もう私は、こうやって俊介と一緒に、いられないのかな。


流れてきている涙に気がついて彼に気付かれないように先にお風呂に入った。


帰って来た彼はいつも通りで、それに安心してまた「愛してる」と言ってしまった。


そしてそれを後悔するように夜中に寝室を抜け出してベランダで冷たい空気にあたりながら静かに泣いた。



生きてて欲しい、一緒にいたい。どうしてそれだけのことがいっぺんに叶わないの。どうして一番大切になった人を奪っていくの。

私が何をしたっていうの。何人も殺させて、私に何を求めてるの。私はもう俊介を愛さないなんて事できないのに。



お願い俊介、無事でいて。これ以上の病気はしないままで、健康にお医者さんになって。


春になったら結婚式だってしたいって言ってたんだから。


もうこれ以上、辛い思いはしないで。


毎日のように願った。毎日のように「愛してる」と伝えたことを悔やんで泣いた。


悔やむくらいならしなければいい、頭では理解できていてもそんなこと実践できようもなかった。


一月の末、咲良は仕事を辞めた。


できたありったけの時間で彼が健康でありますようにと願った。




そして、それをあざ笑うように二月に入ってから彼が咳をし始めた。


木曜日に咳をし始めて、また以前のような咳が続いた。


「土曜日病院行く」そう言った彼に、私も行く、心配させて、と言った。彼はそれを了承した。




土曜日、告げられたくなかった”肺炎”の診断が、下りた。




咲良はタイムリミットを使い果たした。限界だと決めていたそのラインに、ついに到着してしまった。

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