第102話

急いで階段を駆け上がってドアを開けようとすると内側から鍵が開いた音がした。


「俊介っ……」


ドアが開いた瞬間にマスクをした目の前の人を抱きしめる。


不安で不安でたまらなかった。でもその不安は口に出したら本当になってしまう気がした。


「ちょっと咲良、今日は駄目、うつしちゃうかもしれないから。入院の準備、済ませておいたからこれから出たいんだけどいい?」


頷くだけで涙目になる。涙を流したら彼が帰ってこなくなるような気がして、流れる前に全部袖で拭った。


「ちょっと咲良泣くようなことじゃないって。患者さんからもらっちゃっただけだよ。おかげですーごい怒られたけど」


軽く言う彼を見ているのも辛くて、また袖を目元に押し当てる。


少し離れた距離から手が伸びてきて髪に触れた。


「一年待っててくれたよね。それとはまた話が違うけど、でも今回は一週間だけだから。ごめんね」




そう言う彼はきっとただ病気で離れるのが心配で寂しいだけだと思っている。


まさか同じ経験を四度もしていて最愛の人がその五度目になったなんて思っていない。


そんな話、これから一週間頑張ってくる俊介になんて言えない。


言うとしても今じゃない。もっと先の、もっと元気になって笑い話にできるくらいになってからする話だ。




それに今辛いのは俊介の方だ。忙しいのを乗り越えて毎日頑張ってきたのが止まって、置いて行かれるかもしれない恐怖で泣きたいのは俊介の方だ。


私がこれ以上泣いちゃいけない。今泣き止めばまだただの心配だと思ってくれる。ただの愛だと思ってくれる。


根性で涙を引っ込めた。


「ごめん、心配しすぎて泣いちゃった。何も知らない私じゃ肺炎なんて重い病気に聞こえて、一週間で本当に大丈夫なのかって思っちゃって。


お医者さんの俊介が言うならきっと本当に一週間で帰って来てくれるんだよね。つい会社から不安持って帰って来ちゃった。私何も知らないのにこんなに泣いて恥ずかしい」



そう言って笑顔を見せると彼も少し安心した顔をした。二人で荷物を分け合って外に出る。



どんなに持たせてと言っても、俊介は重い荷物は咲良に渡さなかった。


「データ見せてもらったんだけどね、典型的な肺炎なの。笑っちゃったよ自分のことなのに。


初期症状から気付かなかったのもまだまだだな、とりあえず臨床のうちにすぐ肺炎疑えるようにならないと」



自分が病気にかかったというのに彼は咲良の心配とその先の患者さんのことだけを考えていた。


着いた病院の中を回ってみれば面会の時間は咲良の仕事時間が終わる前だった。


「じゃあ一週間迷惑かけるけど、ごめんね。すぐ帰ってくるから」


「うん。書類の方は任せといて。……ちょっと耳貸して」


「ん?」


耳元で愛してるよ、待ってるねと言う。彼は嬉しそうに「了解」と言って病院の中に消えていった。

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