第101話

冬に入った頃のある月曜日の朝、彼が咳をし始めた。


「ちょっと大丈夫? 季節の変わり目だから風邪引いた?」


「どうだろうな、今内科回ってるからもしかしたら患者さんからもらったかもしれない。医者的には一番やっちゃいけないやつだけど。

念のため今週は風邪薬飲んで過ごして、土曜日近くの内科に行くね。さすがに自分が研修してる病院にかかるのは嫌だ」


「確かにそれは気まずいねー、先輩に診てもらうなんて」


二人でそう言いながらいつものように準備をしていく。


風邪薬を飲んだ彼が家を出る時間になった。


「今日も無事で帰ってきてね。愛してるよ、俊介」


「愛してる。咲良も気をつけてね」


そう言って俊介は家を出た。


咲良も準備して仕事に向かう。その日の仕事を終えて帰って来た時まだ彼は帰ってきていなかった。


いつもより少し遅く帰って来た彼はまだ咳をしていた。


「どうしたんだろうねほんと。風邪薬が効いてくれないと困るんだけどさすがに。患者さんからもらってたらすごい怒られる」


「あーそっか、そういう怒られが発生するのか」


そう茶化しながらも彼はゴホゴホと咳をしていた。




次の日には夜中にも隣を起き出して水を飲みに行ったのに気付いた。


「俊介、大丈夫? 咳辛そう」


「大丈夫だよ、ちょっとむせただけ。起こしてごめんね」


「いいよ、そんなこと。おやすみなさい、愛してる」


「俺も。愛してるよ」




大丈夫と言ったはずの彼の咳はどんどん酷くなっていって、結局金曜日に限界が来て俊介は仕事を休んで近くの内科に行くことになった。


「じゃあ何かあったらすぐ言ってね。早退できるかもしれないし」


「大げさだよ、新入社員なんだからそんなことで早退しないの。ただ検査するだけだし風邪こじらせただけかもしれないし。俺元々健康な方だったから安心していっておいで。じゃあ、咲良も無事で帰ってきてね」


そう言われて俊介よりも先に家を出て職場に着いた。


不安ではある。でもそれを仕事に持ち込まないのはもうずっと前に決めたことだ。



いつものように仕事をして過ごして、昼になってようやく休憩の時間が来てスマホを開いた。


そこには数件の未読メッセージ。彼からだった。




「ごめん咲良、軽い肺炎だった。今から先輩に怒られてくる」


「で今日の夜咲良が帰って来てから病院行ってそのまま一週間くらい自分のいる病院に入院してくる。申し訳ない」


「多分患者さんからもらったんだと思う。肺炎の方いたから」


「咲良ももし咳出始めたらすぐ病院行って。感染するから」





喉から音にならない声が出た。頭も回らなくなった。



肺炎、大丈夫、一週間だけ。すぐに治る、すぐに退院できる。そんなの痛いほど知ってる。


痛いほど、知ってるはず。なのになんでこんなに怖いの。


思い出したくない、思い出せなかったはずの記憶が蘇ってくる。


違う。彼は病院でもらってきただけ。それしかない。すぐに帰ってくる。



それから午後の作業には力が入らなかった。なんとか最低限の仕事だけして駅までも駅からも走って家に帰った。

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