第96話

四月になって、二人で新しい部屋から職場に向かう日々が始まった。


朝起きて必ずのように「おはよう。今日もかわいいね」「おはよう。今日もかっこいいね」と二人で言い合う。


朝ご飯は毎朝二人でキッチンに並んで作って並んで食べた。



二人の結婚生活で決めたことは「朝送り出す時は必ず最高の笑顔で送り出す」ことだけだった。


咲良が、「大切な人はいついなくなるか分からないから。もちろん二人で長生きしたい。二人でひなたぼっこしながらでお茶するようなおじいちゃんとおばあちゃんになりたい。それでも、何かあったときに絶対に後悔したくないから」と言ったからだった。


両親を亡くした咲良の言葉に、俊介はそれを絶対に守ると約束した。

家族を一度亡くした彼女の新しい家族になった以上、咲良を残して死ぬことだけはしない、と思っていた。


二人とも、どんなに喧嘩していてもそれだけは絶対に守ることにしていた。



毎朝俊介の方が出発は早い。咲良はその日も準備を途中で止めて玄関に向かった。


「咲良、いってきます。愛してるよ」


「私も愛してる。無事に帰ってきてね」


そのやりとりも毎日だった。笑顔で彼を見送ってもう一度準備に戻る。咲良も誰もいない部屋に向かって「いってきます」と言って部屋を出た。


新しく入った会社では遅くまで働かされることもなく、研究室に寝泊まりするレベルだった咲良は疲れ切ることなく仕事ができていた。


俊介よりも先に帰ってきて食事とお風呂の用意をする。


俊介は研修医一年目だけあって咲良よりも忙しかった。


咲良はいつも途中でご飯を作るのをストップして俊介からの連絡を待っていた。


いつもより少し遅くなって「これから帰るね」とメッセージが来たのを見てご飯を作るのを再開する。しばらくすると鍵の開いた音がして疲れた彼が帰ってきた。


「ただいま、遅くなってごめんね」


「おかえりなさい。お疲れ様。ご飯できてるよ。お風呂も沸いてる。どっちがいい?」


「お風呂良かったら入ってくる……」その顔は疲れ切っていて、一日をどれだけ忙しく頑張ってきたのかすぐ分かるようだった。


彼が戻ってくる前にご飯を完成させて机に並べる。


「ありがとう、お先お風呂いただきました。……良い匂い」


「疲れて帰ってくるだろうなと思って優しいご飯にしたよ、食べられそう?」


頷いた彼が隣に並んで手を合わせた。「いただきます」二人で声をそろえて言う。


「……おいしい、ありがとう。咲良がいると思うと頑張れる。本当に咲良がいてくれて良かった。愛してる」


「私もだよ。愛してるよ。大好き。この世で一番好き」


疲れ切った彼はそのままお酒を開けて少しまったりしていて、その間に咲良が代わりにお風呂に入った。


出てくるともうお皿は綺麗に食洗機に入れられていて、彼は何もしていないという風にさっきと同じ場所でぐでんとしている。



どんなに忙しくても家事の一部は俊介が何も言わずにしてくれた。


そんな優しさが嬉しくて、残ったお酒を自分であおって俊介をベッドに連れて行く。


布団を俊介の方に寄せて、彼のことを抱きしめて「おやすみなさい。愛してるよ」と小さな声で言った。


ふふっと少し嬉しそうにした彼は腕を回してきて、二人で眠りについた。

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