第86話

六月のデートの日、昼前に会った時の彼の様子が少し違っているような気がした。


いつも通りの笑顔、のはずが何か違う。


「俊介、ちょっとごめんね」そう言って額に手を当てる。


「あっつ、俊介風邪ひいたでしょ」


「いや、あの……」


「私には無理しないでって言ってくれたでしょ。今日のデートはおうちにしよう。私のおうちで良かったらおいで」


「いや、うつすと悪いから今日は申し訳ないけど帰ろうかな、来週代わりに空けるから」


「それくらい甘えて? 私ちゃんとマスクするし私が一緒にいさせて欲しい」


その上目遣いに彼が弱いことは知っていて、どうしても彼のために何かしたかった。なんなら風邪なんてうつすことで良くなるならうつして欲しかった。


今度はあの日と逆に帰ろうとする彼のいつもより熱い手を引いて自分の家に向かう。


家のベッドに彼を寝かせて、冷えピタを探してきて「貼るよ、ちょっと前髪どけて」と言うと横になったからか少しさっきまでよりも顔色の悪い彼がだるそうに前髪を上げた。


「つめた、」それだけ言ってまた手を元に戻す。


「食欲、ある?」


「ちょっとなら」


「おかゆとゼリーどっちがいい?」


「おかゆ、かな……甘えていいの?」


「私が甘えて欲しいの」


そう言っておかゆを作ろうと振り返った。



その裾をきゅっと掴んだ彼が潤んだ目で言う。「どこにもいかない?」


「いかないよ、傍にいるよ。ちょっとだけ一緒にいよっか」そう言っていつもしてくれるように彼の頭を撫でる。


しばらくして眠りについた彼を見てキッチンに向かう。甘えてくれる滅多にない機会だ、と張り切っておかゆを作っていつでも温め直せるようにしておいた。


彼の元に戻るとまだ彼は赤い顔で眠っていて、その頭を撫でると少し気持ちよさそうにする。


かわいいな、弱ってても好きだな。私の時もそう、思ってくれてたのかな。


そう思って体をゆっくり撫でた。



三十分ほどして目を覚ました彼が咲良の手をきゅっと握って「おはよう」と言った。


「おはよう。おかゆ、あるよ」


「食べてもいい?」


「もちろん。俊介のために作ったんだもん」


そう言って温め直したおかゆを少し冷まして持ってきてスプーンを彼に向ける。


「いや、さすがに自分で食べる……」それを遮ってまた上目遣いで「今日は甘えて?」と言う。


彼はおとなしくあーんされておかゆを食べきった。


「ありがとう、美味しかった。ごちそうさまでした」こんな辛そうな時まできちんとしている彼。


「どこか痛いところない? 食べたから薬飲もう」


「頭、痛いかな」


頭痛薬を持ってきてコップを渡す。こくんと飲んだ彼はまた横になった。


「隣、いてくれる?」


今日はどこまでも可愛い。


いいよ、と言って彼の隣に寝転ぶ。いつもとは逆に彼を抱きしめてその背中をゆっくり叩く。


気持ちよさそうに彼は眠りについて、夜になって目を覚ました。


「ありがとう、帰る、」と言う彼はまだ赤い目をしていて、置いてある彼の洋服を出してきて「今日は泊まってって欲しいな、心配したいな私も」と言った。


彼はその日は甘えてくれて、二人でゆっくり寝た。



次の日に全快した彼は咲良を抱きしめて「ありがとう、助かった」と言って帰っていった。彼の役に立てたことが嬉しかった。

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