第71話
「それでは明日病院に行っていただいて、診断書をご提出ください。そうすると傷害罪での起訴が見込めます。ご家族の方に連絡はできますでしょうか」
その言葉でまた自分の体が凍り付いた。自分の家族の話はまだ彼にもできていない。
「祖父母でもよろしいですか。……両親を亡くしていますので」
「そうですか、では祖父母の方で結構です」
なんともないという風に言ってくれたことで救われた。かわいそうだという顔をされていたら耐えられなかった。
祖父母の連絡先もさっきの用紙に書き込んでいく。
そこでその日できる手続きは全て終了した。
「では、今日はこれで。お気をつけてお帰りください」
警察官の方にそう言われて「ありがとうございました」と二人で言って交番を出た。
「大通りから帰ろうか」その言葉は元の道には戻らなくて良いという優しい言葉だった。繋いだままの手が温かくて、静かに頷いて二人で歩き始めた。
車道側を彼が歩く。
男性とすれ違う度におびえる咲良を見て、男性が近づいてきた時は彼が一歩前を歩いて咲良を守るような形で歩いてくれた。
彼は何も訊いてこなかった。さっきあったことも、両親のことも。
ただ手を繋いで守って歩く、それだけをしてくれていた。
家に到着して二人で部屋の前まで行った。部屋を開けた途端、そこで読んでしまったあの手紙を、あの目が合った時のことをフラッシュバックしてトイレに駆け込んだ。
吐いても吐いてもまだ気持ち悪い。この部屋にいることそれ自体が怖くてたまらない。
靴を脱いで「お邪魔します」と律儀に言った彼が「触るね」と言ってから咲良の背中を撫でた。
「いいっ、こんな汚いところ、見せたくないっ……」
「いいから。辛かったね」そう言って彼は撫でるのを止めなかった。
しばらくして吐き気が治まってからも体は震えていて立てそうにもなかった。
かろうじてバッグの中にあったティッシュを取り出して口元を拭った。
「怖い、怖いよ、こんなところに、いられない。どうしよう、部屋にも何か仕掛けてあったら。怖い、よ。俊介君、」
そう言って縋り付いた咲良を抱きしめて言った。
「ここが怖いならうちにおいで。もちろん何もしない。少しでも触れるときは必ず言う。何も考えなくていい、守るから俺のところにおいで」
そう言われてなんとか頷いた。
「準備、できそうかな。落ち着いたらで良いよ。できればお風呂も入りたいでしょ。メイク落としとかはないから落ち着いたら準備しておいで」
そう言われてなんとか立ち上がって下着と着替えとメイク落としとコスメ一式を別のバッグに突っ込んだ。
準備している時彼はずっと玄関の方を向いていて、自分のクローゼットの中を覗かないようにしてくれていた。
「行ける」
そう言うと「分かった、行こう。手、繋ぐ?」と彼が聞いてきた。頷いてその手を取ってエントランスに戻る。
郵便受けを見てまた少し吐き気がした。その時も彼が少し強めに手を握り直してくれた。
玄関にはタクシーが停まっていた。
「今日もう歩きたくないかなと思ったから呼んだ。先に乗りな」
彼はそう言って開いたドアに咲良を座らせて、手を繋ぎ直してから運転手に住所を告げた。
タクシーがもう真っ暗になった夜道を走り出した。
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