第67話
交番の奥のスペースで椅子を二つ並べられてそこに寝ていた咲良は、体を起こして警察官に礼を言ってからカウンターの外側に出た。
カウンター越しなら触れられる距離ではない分多少は怖くない。
それでもさっき誰もいないことに絶望したその場所は苦しかった。
交番の中を見回したがそこにあの男はいなかった。
どう、なったんだろう。私が気絶している間にあの男は。
勇気を振り絞って震えた声で聞いた。
「あの……人は、どうなったんですか」
「我々が発見した際にナイフを持って襲いかかってきたので公務執行妨害の現行犯で逮捕しました。発見するのが遅くて申し訳ありませんでした。これからお話を伺って病院での診察を受けていただければ傷害罪か、少なくとも暴行罪にはなると思います」
その言葉でまたぞっとした。
ナイフを持っていたということは、それを自分に使う可能性があったということだ。
私は殴られた時でさえ全く抵抗できなかった。
もしもナイフを突きつけられていたら。もしもそれが首をかき切っていたら。そう思ってまた体の震えが大きくなったのを感じた。
警察官があの時来てくれなかったら、私はどうなっていたんだろう。
今生きていることだって偶然で、私は一生監禁されていたかもしれないし、もっと言えばあの場で殺されていたかもしれない。
震える体を自分で抱きしめてかろうじて「ありがとうございます」の一言を絞り出した。
警察官も怖がらせてしまったことが申し訳ないというような表情をしていて、それにも罪悪感がつのった。
少しすると大声で怒鳴り散らしながら男性二人が入ってきた。喧嘩をしているらしい。
少なくとも自分を襲おうとしているわけではない。そう思っても自分の体は縮こまって自分を守ろうとする。
警察官の一人がその姿を見て喧嘩し続ける二人を外に出して話し始めた。
その気遣いが心にしみる。それでも聞こえてくる怒声が怖くて仕方ない。ショックでまた飛ぼうとする意識をなんとか引き留めた。
爪が手に食い込んでいくのには気付かなかった。何度も殴られたはずの頬の痛みももう気にならなかった。
そのうち怒声が止んで警察官が「すみませんね」と言いながら戻ってきた。「いえ、そんな……」それだけ言ってまた沈黙の時間が始まった。
自分が絶望したその場で沈黙に耐えるのも苦しかった。
十分もしない頃、交番のドアがノックされた。身構えてドアの方を見る。
警察官の方の声を聞いて入ってきたのは誰より安心できる彼だった。
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