第65話

「みぃつけた」


その嬉しそうな一言は咲良にとって死の宣告に等しかった。


体はもう震えて動かない。


あんなに細かったはずの体が咲良を軽々机の下から引きずり出した。


男は馬乗りになって咲良を抱きしめようとしてきた。


「いやっ……」なんとかその体を押し返そうとする。


でもその手はまとめられて頭の上に置かれた。



男は悲しそうな、不満そうな顔をして言う。


「嫌? 僕のことが嫌なの? 僕の愛が受け取れないってこと? いいよ、まだあの男に洗脳されてるんだろう。かわいそうに、よく頑張ってきたね。大丈夫だよ。

これからは僕が愛してあげるし僕以外のことなんて見なくて良いようにしてあげるから。……でも、僕のことを拒否したんだからお仕置きはしなきゃいけないよね」



そう言って馬乗りになったまま男は咲良に平手打ちを繰り返してきた。


バチンバチンと二人きりの交番に音が響く。


痛い、痛い、それ以上に怖い。助けて、誰か助けて。もう許して。お願いだから殺さないで。


もう、もう私この人に連れて行かれても良いから、もう一生、外に出られなくても良いから。だから殺さないで。


……でも会いたいよ、俊介君、三葉、皆に、会いたいよ。あぁ、もう無理なのかな。


もう、いいや。もう全部良い。そうしたらお父さんとお母さんに会える。早く、楽にして欲しい。楽に、もうこんな痛いの嫌だから楽にして。





……楽になりたい。でも、最後の記憶がこの人なんて、それだけは嫌。やっぱりまだ死にたくない、助けて。私まだ生きていたいし会いたい人もいる。


叩かれる。痛い。諦めかけていた自分をその痛みで起こした。


なんとかその男をどけようともがく。


それなのに、こんな軽そうな体なのに、動かない。


動け、動け、なのに腕一本すら動かない。悔しい、なんでこんな男に。


片手はまだ私の両腕をまとめたまま、もう片手は私を殴ってる。なら。



そう思って咲良は出せる限り全力の声で「助けて!」と叫んだ。どうか聞こえて、聞こえて。


男が口を押さえようと殴るのを止めた。


それでもくぐもった声で叫び続けた。誰か、助けて。殺される。言葉にならないそれが部屋に響いた。


どうしよう、これじゃ外に聞こえないかもしれない。それでも叫んで叫んで、今後一生声が出なくてもいいと思えるくらいに叫んだ。





そして男に見つかってから十分ほどの時間が、咲良にとっては永遠のように続いた地獄が、終わった。


「何してる!」その野太い声を聞いて、自分の上から重しが消えて、咲良は安心で意識を手放した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る