第27話

その音を聞いたとともに母は崩れ落ちて涙の跡を残したまま運ばれていった。その母の顔ももうあの日とは、診断された日とは違っていた。


少なくとも五年生きていけることを信じられるような顔ではなかった。



咲良は息をしなくなった父を抱きしめて泣いた。何度お父さんと声をかけても、もう明るかったはずの父の声は返ってこなかった。


そこにいたのは、年齢がもう分からないほどに痩せこけて動かなくなった父だった。お父さんと、何度も何度も声をかけた。


冷たい手を握って息を吐いて温めて、なんとか生き返ってくれないかと願った。主治医もしばらくの間咲良を引き剥がそうとはしなかった。涙が止まらないままの咲良が放心状態になった時、父が静かに運ばれていった。



母は病室で静かに、生きているのか分からないほどに静かに寝ていた。



咲良はその顔のままで学校に、今度は道路に飛び出しそうな頼りない足取りで戻った。教務室を開けてさっきの教師の下に向かう。


「高橋戻ってきたのか、何してんだお前……」途中で咲良の泣き顔を見た教師は黙った。


今黙らないでくれ。私が勝手に出て行ったことを、スマホを鳴らしたことを罵倒でも何でもしてくれ。私の気持ちに配慮なんかしないでくれ。


あんたを振り切って私は”逃げた”んだろ、それならいくらでも罵ってくれ。



そう思っていたのにその教師は何もせずに担任を呼んできて、教務室の中にある小さな部屋に咲良を入れて二人の教師と向かい合わせた。


私から話せることなんて何もない、だって私は授業中にスマホを鳴らしてそのまま学校を飛び出して走った。


これまでだって部活を辞めてメイクをして授業も聞かなかった時期もあった。テストの点だって一番最近の物以外は目も当てられたもんじゃない。



それなのに教師は二人とも怒らなかった。


たださっき怒鳴って追いかけてこようとした教師がさっきとは比べものにならないような優しく穏やかな声で「高橋、どうした」と訊いてきた。


止めろ、私に今そんなこと訊くな。そう思っていたはずなのに目からは涙が溢れていたし口からは言葉が出ていた。



「さっき父が死にました。……母も末期の肺癌です。私は、私は二人の、最期を、見逃さないように、病院と家族からの電話だけ、それだけ鳴るように設定、しています。それが、それが校則違反なのであれば、私がここを辞めます」



それを聞いた二人はこれまでなんで言わなかったんだとばかりに心配そうな顔をした。



「高橋なんで誰にも言わなかった、なんでメイクをしてきて学校も休んだ、どうして誰にも相談しなかったんだ」



「……先生なら、言えるんですか。本当のことに、なったらって、微塵も思わないって、言い切れるんですか。


毎日食べることも寝ることも叶わなかった私に、友人が、両親が心配をしないようにメイクしてきただけの、ただそれだけの事です。


……私は不安障害だそうです。父の、病状の悪化を、受け止められずに幻覚を見ました。


そんな中、両親が検査入院をしているだけで、帰ってくるはずと思っているのにいつになっても家の扉が開かない中、先生なら学校に来られるんですか」



その言葉で二人とも黙った。

「……済まなかった、気づけなくて」

担任のその言葉も要らなかった。「授業に戻ります」それだけ言って涙を拭って、トイレに寄った。持っていたコンシーラーで泣いた目を無理矢理隠して授業中の教室に戻った。

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