第25話
咲良はスマホの設定を変えて、家族か病院からの電話以外の通知音を消していた。それが鳴らないことだけが咲良の安心だった。聞きたくない通知音が鳴らないことが、自分のスマホが震えないことだけが毎日の安心を作ってくれていた。
そのスマホが、高校三年になったある日の午前中、鳴った。一番聞きたくなかったその音が鳴った。体が固まった。
「おい誰だスマホの電源切ってないやつ。没収するぞ」恐いと評判の教師の声も緊張を手伝った。
でも私はこれを逃したら一生の後悔をするかもしれない。闘ってきたんだ、闘っているんだ。それでもいつ何があるか分からない。
「誰だ、言い出さない卑怯なやつは。言わないなら全員の時間を無駄にして確認するぞ」その声はさっきよりも迫力を増していた。
私が、家族か病院からの緊急の連絡を聞いたことで怒られるってんならこんな学校辞めて高卒資格取って大学行ってやる。そう腹をくくって声に出した。
「私です、早退します!」それだけ言って荷物を全部持って走って教室を出た。
「高橋! 何やってる戻ってこい! 逃げるのか!」そう追いかけてくる男性教師を振り切って走った。
逃げるなんて甘っちょろいもんじゃない、間に合わせようとしてるんだこっちは。これでも陸上四年半やってきたんだ、なめるんじゃない。
短距離で私に勝てるやつがいるなら捕まえてみろ。荷物抱えてたってあんたみたいな体重だけの、図体のでかさだけの恐さで迫ってくるやつになんか追いつかれやしない。
そのままの速さで学校を出て、できる限りペースを維持したまま走った。信号で止まったときに初めて息を切らしてスマホを開いた。
ーー病院からか。そこにもう一度、軽く走りながらかけ直す。「もしもし、高橋です。先ほどお電話頂いたので折り返しました」跳ねた息のまま話した。
「ご家族の、特にお父様の容態が非常によくありませんのでご家族の方に連絡させて頂きました」くっそ、そんなこと。
「今向かってます、あと十分もすれば着くのでそれまでなんとかお願いします」それだけ言ってスマホをしまってまた全速力で駆け出した。父が死に瀕しているというのに、空は澄み切っていて雲一つも見えなかった。
今の私はきっとどの大会のどの瞬間より速い。そう思えるくらいに視界がどんどん変わっていった。
結局いつもなら歩いて二十分の道のりを十分弱で走りきって病院に着いた。息が跳ねる。これは走ったせいか、それとも。
「高橋です、お電話頂いて来ました」それだけ言ってまた三階まで走り出した。
エレベーターなんていつ来るか分かったものじゃない、何かがあって止まりでもしたら終わりだ。今信じられるのは、自分の足だけ。
そう思って病室の扉を開けた。
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