第15話

四人部屋の一番手前の右側に父はいた。まだ眠っているようで咲良が入って来たことには気付いていないようだった。深呼吸して、声をかける。


「お父さん」


その小さな一言で父は目を覚ました。「……咲良? 咲良か。来てくれてありがとう。昨日は大丈夫だったか?」


病室で眠っていたのはそっちなのに、私が心配されている。お父さんはいつもこうだ。変わらない姿が逆に痛々しい。昨日大丈夫かなんて大丈夫ではなかったけど、でも。


「大丈夫だったよ、ちょっと部活の終わりかけの時に後輩がやらかしたからその後処理にかり出されただけ。それもたいしたことなかったから本当なら走ってくれば病院間に合いそうな時間に終わったんだけど、雨すごかったから帰っちゃった。ごめんね昨日来なくて。それで、そっちこそ大丈夫なの? さっき先生から軽く話聞いてきたけど、癌、なんでしょ。重いんでしょ。今のところどうなの?」


努めて明るく出した声は昨日のように震えてはいなかった。普通を装った咲良に安心したように父は返した。


「大丈夫だと思いたいところだけどね、来週から抗がん剤治療が二人とも始まるからそれがどれだけ辛いのかってところかな。今は特にそこまで酷いような感じもしてないし、言われたこっちがびっくりしたくらい。……咲良、ショック受けてないか?」


「さすがに受けたに決まってるじゃん、逆に私がショック受けてなかったらどう思うのそれ。でもまだ二人とも若いんだから大丈夫だと思ってるよ。長生きしてくれるんでしょ? ちょうどいい煙草の止め時だね」


さすがに心配していないと言ったら嘘になるし家族二人ともそれが本当だと思うほどバカじゃない。そう思ってあえて軽く話した。


「長生きするに決まってるだろ、咲良の成人見なくちゃ」


「ちょっとそれじゃ短すぎるでしょ、あと二年くらいしかないじゃん。いいですか、二人とも百まで生きてもらうんですよー、こっちはその気なんだから」


「分かったよ、さすがにもっと生きるし煙草もちょうど良いから止めるって。肺炎だったときから先生には止められてたんだけど、どうにも仕事が行き詰まると吸いたくなってね。それでこんなんになったのかと思うとさすがに咲良にもママにも申し訳ないよ」


「ならよし」


「ねえ、それよりあの言葉は? ここの病室の人多分皆寝てるかラジオ聞いてるから言ってよ。入院生活長くなると思うと聞いとかなきゃやってられない」


「ああもうこんな四人もいる中で言わせる気なの? じゃあ小声でね、一回しか言わないからね、よく聞くんだよ」


「はい、小声で」そう返した父の声もささやき声で少し笑ってしまった。


「ちゃんと愛してるよ、大好きだよ。……ああまた胸押さえる。健康に悪いんだったらもうやりませんけど」


「健康に良いに決まってるだろ、今ので寿命がまた延びたね」


「なら良かった。これ差し入れね、置いといて。私お母さんのところも行ってくるからじゃあね」


「じゃあな。ママによろしく。パパも会うけど」


「はーい」

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