第11話
その願いはむなしく、高校二年生に入った時咲良は両親の四度目の入院準備をすることになった。もうさすがに手慣れていて、両親が自分たちでやるより早いくらいになっていた。一人で過ごす一週間ももう三回経験していた。自炊だっていつの間にかお母さんと同じ味が作れるようになってきていた。
それでもその度不安に襲われて高校生の自分一人にはあまりに広すぎる家で泣いた。
本当に二人は肺炎なんだろうか。本当はもっと別の、もっと重たい病気なんじゃないだろうか。
昔漫画で見たような気がする、肺炎はよく分からないときに”ゴミ箱診断”なんて言われて診断がつくこともあるらしい。どうか、どうかそれはフィクションであってくれ、どうか漫画の中のことだけであってくれ。
肺炎だから二人は一週間で帰ってきてくれる、二人は笑顔で家に帰ってきてくれる。でも、でもそれが別の病気だとしたら。
もっと別の、もう治らないような難病だったとしたら。見つからなくて肺炎と言われているだけだとしたら。
私の、誰より大切にしている家族はせめて肺炎であってくれ。どこかの誰かの幸せなんて願えるような力はもっていない、それでも家族の幸せくらい願わせてくれ。
二人はまだ四十代も半ばに入ったばかりなんだ、まだ死んでいい年じゃないんだ。
そう思いながらも新聞に挟まれるお悔やみ情報に四十代の人のものが載っていた時は心が冷たくなったような気がした。嘘だ、嘘だ、嘘だ。
きっと私の見間違えで、まだ四十歳なん人生の折り返し地点でしかないんだ。まだ二人は生きていてくれる。
いつか孫の顔も、もし私が結婚できるような機会があったらだけど、それでもいつか孫の顔も見てくれる。
大丈夫、お医者さんは肺炎だって、大丈夫だって言ってくれたんだから。私にそれ以上の知識はないし、それ以上何もしてあげられない。私には医者になるような頭もない。
私はただ心配していることしかできないんだ。二人がただの肺炎であることを、そしてこれが最後の入院になることを願うことしかできない。
私はそっちに私の人生全部賭けてもいい。二人は死なない。これが最後の入院なんだ。二人は私がおばあちゃんになるまで生きて私のことを見ていてくれるに決まってる。
だって私の愛する二人なんだから。胃潰瘍だって見つかったときにはもう治っていたような強いお父さんで、毎日家事を全部片付けているようなパワフルなお母さんなんだから。
私の大好きな二人は、まだまだ長い人生を力強く生きていくんだから。
その人生を賭けたつもりの願いに、咲良は負けた。
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