第60話
唯はゆっくりと、言葉を探しながら話し始めた。
自身がASDであること。この一年半適応障害と、うつ病と闘っていたこと。
治療は進んでいるはずなのに今なお病気は寛解の兆しを見せず、薬が増えていくばかりであること。
さっきも鏡を見てくるなんて席を立ったのは嘘で、本当は薬を飲むために席を立ったということ。
唯が机の横に置いてあるかごの中のバッグをがさごそと探ったかと思えば、宙の前に薬が大量に入った透明なケースと赤地に白で病院のマークとハートマークが描かれたもの置かれた。このマークには電車やバスの中で多少見覚えがあった。確か優先席の窓に持っている方がいれば席をお譲りください、と書いてあったはずだ。
唯が出したケースの中の薬のシートのうちいくつかはもう空になっている。
きっと自分の飲んだ薬の殻を外に捨ててくることすらしたくなかったのだろう。
入院も三回、合わせて四ヶ月弱を閉鎖病棟という病棟の外に出られることが許されない場所で過ごしていたということ。更に復学までの三ヶ月は実家に帰っていたということ。家族にはうつ病ではなく適応障害と説明していること。高校生の頃ダブったと伝えたそれも適応障害のせいだったこと。
今でも毎日のように自分が死んだ後のことを考えていること。
眠れば誰かに追われ襲われるような悪夢しか見られなくて眠るのが毎日怖いこと。朝起きて夢におびえて、そしてまだ生きている自分にがっかりする自分がいること。
今すぐに楽になってしまいたいと思うこと。
誰にも迷惑をかけずに消えてしまいたいと願って、それでもまだどこか怖くて、残した家族にどんな思いをさせてしまうのか、自分の亡骸を見た人に、そしてそれを運ぶ人にどんな思いをさせてしまうのかと考えてどこからも飛び出せないままでいること。そんな弱い自分が更に嫌いになっていくこと。
ずっとずっとひとりぼっちでいれば良かったと、頼りたいなんて思わないように過ごしていれば良かったと、思っていること。
宙はもうほとんど覚えていない自分の浪人時代のことを思い出した。あのときは自分も早く楽になりたいと、いっそ死んでしまいたいと、そしてその方が家族にとってもいいことなのだと本気で思っていた。
それと同じ、それより更に重い気持ちを、先の見えないまま背負っていると思うと自分まで苦しくなった。
自分の浪人は一年だったから耐えられたんだ、それが一年半経ってもまだ悪化しているとなったら地獄でしかないだろう。
唯は自分にこうして話していることを本当はよしとしていないだろう。いつもの彼女とはまるで違う、今にも消えてしまいそうな彼女がそこにいた。
いつも目の前の相手に目線を合わせてにこにこしている彼女が、今はうつろな目で泣きながらうつむいていた。
時々言葉に詰まって、悔しそうに唇を噛んで、苦しそうな顔をして、少し間を置いてまた少しずつ話し出す。
口を挟むことなどできなかった。宙はただ唯の次の言葉を待つことしかできなかった。
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