第57話

「カサンドラって知ってるでしょ。それに遺伝のことも、うつ病とかにかかりやすくて寿命が短くなりやすいことも。実際今私うつ病だし。


私がいつまで生きていられるか、私にも分からないの。もしかしたらそれは今日かもしれないし明日かもしれない。来年生きていられるかだって分からない。


いつ自分がうつに負けちゃうのかなんて自分でも分からないの。


私、これから先ずっと、誰の唯一にもならずに一人で生きていくって決めたの。……だから、「ごめん。まだ断んないで。唯ちゃんが腹くくってんのは分かった。でもまだ好きでいさせて」


宙にしては強引な台詞に、帰り道は二人とも何も話さないまま唯の家に着いた。不思議とこれまで恐れていた無言も怖くなかった。


「じゃあまた」


宙は唯がオートロックの玄関の中に入るのを見届けてから帰っていった。



”また”があるなんて、思っていいの。”次”があるなんて、思っていいの。


それまで私が生きてても迷惑じゃないの。


だって私はもう明るいいつもの唯じゃないのに。唯じゃないなら必要とされないと思ってきたのに。


それにあなたからのまっすぐな好意ですら断ろうとしたのに。


断らなきゃいけないのは分かってるけど、それでもきっと勇気を出して言ってくれたことを一瞬で無駄にさせようとしたのに。


その”また”が、”それまで生きてて”を意味することくらい分かっていた。


好意を伝えてしまいそうになり、実際素をさらけ出して頼ってしまったことにも気づいていた。


部屋に入ってからも久しぶりに食事をまともに摂った唯は全く空腹感を感じず、放心状態のままだった。


足から靴擦れで血が出ていることにも気づかなかった。痛みなど全く感じなかった。


気づけば外はもう真っ暗で、またいつものように薬を飲んで眠る。


宙に、それも今日好意を実感したばかりの相手に大失態を犯したはずなのに、そして自分が心に決めてずっとずっと守ってきたことすら破ってしまったというのに、


その日の唯の心は幾ばくか穏やかで希死念慮と出会うこともなかった。

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