第56話

帰り道、「送っていくよ」と穏やかに言った宙に「大丈夫だよ、家近いし」と返した唯だったが、


「もう大丈夫じゃなくていいから。俺には本当の唯ちゃんでいてくれていい。いつも元気じゃなくてもいい。泣いてても怒ってても苦しんで笑えなくても唯ちゃんのこと好きだから送らせて」


ナチュラルに飛び出した”好き”に驚いたが、素直に送ってもらうことにした。




ーーいや、本当は最初から知っていた。宙が自分に惹かれていることには気づいていた。そして自分もまた宙に惹かれようとしていることを。


そして知らないふりをした。


自分に幸せなレンアイなどできるはずもない。可奈と恋愛映画を見る度に思っていた。


しかしいざ好きだと突きつけられてみると、その言葉にずっと前から守ってきたはずの決心が揺らぎそうになる自分を見れば、


自分が宙に惹かれていることは紛れもない事実だった。


大学で寄ってきた男子達に”宙が好きだから”と言えなかったのは実際自分が宙に惹かれていたからだった。


”好きな人がいるから” ”今は誰とも付き合う気がないから”という鉄板の文句でさえ吐けなかったのは、それが本当になってしまうのが怖かったからだった。


そしてその言葉が宙に届くのが怖いからだった。


ーーそれを耳にした宙に自分を諦められてしまうのが、怖かったからだった。


これまでずっと友達としてのラインを割らなかった宙に甘え続けてきた。


そしてそれより中に踏み込まれて初めて本当の気持ちに気づいた。




でも。それでも診断を受けた五年前にもう決めていた。もう既に諦めていた。


私がこの人を幸せにすることなどできないのだ。どこの誰が好き好んで自分が好きな人を不幸にしようとするだろう。


宙は濃やかで優しい人だ。これからいくらでも普通の人と、普通の幸せな恋愛をして、いつか結婚をして幸せな家庭を築いていける。


宙が幸せになれるならその未来に私はいらない。あなたの幸せを奪うなら私の幸せなんていらない。


私が好きだなんて思わなければそれでいい。私の気持ちなんてないほうがこの人は幸せになれるんだから。唯はそう信じて疑わなかった。

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