第45話

一日の殆どを寝て過ごし、毎日のように届く可奈と宙からのメッセージに返信する。画面越しの私はちゃんと元気に見えているだろうか。


週に一度なんとか起き上がって着替えてメイクをして病院に向かう。マスクをするとはいえこんな時ですらすっぴんで外に出るのは嫌だった。



途中で使う駅のホームは毎回唯の生きるか死ぬかの分岐点だった。毎回なんとか踏み留まり、電車に乗ってその人の多さに辟易しながら病院の最寄り駅までをどうにか耐える。


こんなところで死んだら家族にどれだけの賠償がいくか分からない。駅員にも自分の死体を運ばせなければいけない。そんなことは彼らの仕事ではないのに私がホームから落ちればするほかなくなる。その重たく冷たい体の感触をその日の夜に思い出させてしまうかもしれない。自分が駅員ならそんなこと耐えられない。


そう言い聞かせて電車が来るのを待つのが常だった。


歩いているときも、ホームで、道路で、目の前から歩いてくる人が自分を殴ってこないか、自分に暴言を吐いてこないか、舌打ちをしてこないか毎回怖くてたまらなかった。エスカレーターに並び前後を挟まれると逃げられない気がして怖かった。それでも階段を使えば動悸が止まらなくなるため、通院の日は予定より早い電車に乗ってできるだけ空いているときにエスカレーターを使うほかなかった。


電車が鳴らす大きな音も、道を走っていく救急車のサイレンも、たまに聞く雷も、これまではなんとも思っていなかったのに聞く度動悸がして手が震えた。


それでも不思議と病院に向かう日はいつもよりも少し調子が良かった。生存本能ってやつかな、なんて回らなくなった頭で考える。


腕一本すら動かすのも重すぎて無理だった日もあった。

そして生活の中で想像よりはるかに難しくなったのは入浴だった。


服を脱いでお湯の温度を調節してシャンプーとリンスを見分けて髪を洗って流して……なんていう元気だったときには当然のようにこなしていた一連の作業も病気になった今ではタスクが多すぎた。


そのため汗をかかない冬の時期は週に一度病院に行く前日にシャワーを浴びられたら上出来、という具合だった。


浴槽にお湯をためて入るなんてことはとてもできそうになかった。一度試してみたが二時間ほど浴槽の中で固まって動けなくなり水の中で過ごす羽目になった。


それも闘病生活が半年を超し五月になる頃には暑さが増してくるため、病院帰りに買ってきたドライシャンプーとメイク落とし、ボディーシートでなんとか生活する羽目になった。

もう一週間もお風呂に入れてない。頭がかゆい、でも今日もお風呂に入る元気もない。


睡眠の質もどんどんと低下していき、睡眠薬を最大容量飲んでも眠れなくなっていた。それでもその薬は唯に合っている方で、薬を試す間に幻覚を見ることや目眩で倒れることも何度か経験した。


夜十時にはベッドにもぐったはずが嫌な考え事が頭を回り続けたまま時間だけが過ぎていき、嫌な考えを振り払うようにスマホを眺めて寝ようとして、を繰り返して朝五時になる頃にようやく疲れ果てて眠りについて夕方起きるといった昼夜逆転生活が数ヶ月続いた。


その数時間の眠りの中にも何度も怖い夢を見て泣きながら起きて、だんだんと夢と現実の境が分からなくなっていった。


私は今どこにいるの? 誰かに追われていたんだっけ? そうだ、誰かから逃げないといけないのに。早く逃げなきゃ。


そんな中でも今まで通りの生活をしていたかった唯は焦っていき、結局休養という休養はとれないままで薬の量が増えていくばかりだった。

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