第8話

その頃もう既に唯は誰のことも信じてはいなかった。


私のことを好いてくれる人は、私が創った唯を好いてくれる人だ。


本当のひがんで曲がった私を見たら誰も寄ってこなくなるんでしょう? 中学生のあの時みたいによってたかって私をいじめるんでしょう? 


そのとき唯は、誰にも素を見せて信頼しないことを、


ーーそして誰にも恋しないことを、決めていた。


「誰かにとっての、皆にとっての唯一の存在になってほしい」と付けられた名前も、もう自分にはそぐわなかった。誰かの唯一にはなれない。ならない。


だって、私が誰かを好きになったとしても、その人と付き合ったとしても、その人をカサンドラにしてしまったら。


苦しんでいる愛した人にどの面下げてまだ好きだから付き合っていたいなんて言えるの。だからといって別れてなんて言うこともできない。


子どもに遺伝してしまったら。


「障害が遺伝するかもしれないの分かってたのになんで産んだの」と言われてしまえば返す言葉はない。


あまつさえ子どもに自分と同じ思いなどさせたくなかった。いじめに遭うかもしれないし差別されるかもしれない。そんなことされてほしくない。



だいたい自分が何歳まで生きていられるのかすらわからない。


十八年平均寿命が短いなんて一言で言ってしまえばそれまでだが、唯にとってはそれまで生きてきた人生より長い時間を奪われることになる。


もし結婚して子どもを持ってその子に障害がなかったとしても、そして子供がいくら家を出た後になったとしても。


同い年なら夫を二十年近く一人にさせたり、子供が若いうちに消えていったりすることになったらどうしよう。


夫と子供を残して死んだら一番大切にしようとしたはずの人に最大のショックと悲しみを与えてしまうことは確実だ。


そんなことは絶対にしたくなかった。



でもその時まだ唯は高校生だった。


もちろん唯だってこの先一生一人きりで生きていくのは怖かった。


三十五歳限界説なんて俗説がある中、一人で生計を立てていくことが可能なのかも分からなかった。




大切な物だって本当は作りたかった。


できることなら就職をして、素敵な恋愛をして、いつかは結婚をして、子どもを持って、なんていう普通の幸せを手に入れたかった。


自分も誰かのヒロインになってみたかった。愛されて、その人を愛して過ごしていきたかった。


でもそれが誰かの、まして自分が心を許した人の幸せを奪うことになると思うとその方がずっと怖かった。


元々の唯は臆病でただありふれた普通の幸せを願う一人の少女だった。だがそれを、願っていた全ての物を、諦めた。


それ以外に、自分が大切にしたいと思うものを守る方法を唯は知らなかった。

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