第7話

診断が下りたことを父にも説明したが、両親は口をそろえて「唯は唯のまま。障害があってもなくてもこれまでと何も変わらないよ」と言ってくれた。


しかし調べ尽くした今、唯にはとてもそうは思えなかった。


発達障害のパートナーを持つ人がかかりやすいとされる精神疾患であるカサンドラ症候群。


子どもに二十パーセントの確率で遺伝するという事実。


そして、ある個人ブログで見つけた”三十五歳限界説”。発達障害を持つ人は発達の遅れから三十五歳で社会人で正社員として働くことが能力的に難しくなるという。俗説であったがそれでも唯を痛めつけるには十分だった。

ーー一人で生きていくことさえ、難しいの?



またその特性からくるストレスによって一般の人よりも精神疾患にかかりやすく、特にアスペルガー症候群の人は自殺率も高いために平均寿命が十八歳ほど短くなるという研究結果さえ出ているという。


十八歳なんて、今の私より年上じゃない。これまでの人生だって苦しいこともあって、もちろん楽しいことも嬉しいこともあったけど、

これまでの人生だって私にとってはすごく長かったのに、それと同じ長さの人生を全部発達障害だからって取られるかもしれないの? 生きる時間すら変わるような障害なの? 




それを知った唯が”何も変わらない”などと思えるはずもなかった。


だってこんなハイリスク。お母さんだって私がもっと小さい頃に分かってたら、かわいそうだって、


ーー本当は産まなきゃよかったって、思うんじゃないの。


二人とも、自分が普通の人だから、障害を持ってないからそんなこと言えるんじゃないの。 


こんな特性なら勉強なんてできなくたってよかった、ただの普通の人に生まれたかった。


ただ気兼ねなく友達と笑いあっていられればテストなんて赤点でも良かった。皆は自分のような努力なんてしなくても、ただ普通にしていても友達といられると思うと悔しかった。



だがそんなささくれた気持ちも家族にはぶつけなかった。ぶつけたところで自分の中の障害がなくなるわけでもない。


それに自分の気持ちをぶつけてしまったら家族が傷ついた顔をするのだって分かっていた。自分の気持ちを吐き出したところで自分は楽になれても家族は楽にはなれない。


そんなことを分かりきっているのに自分だけ楽をするのも嫌だ。


「私が私なのは変わらないもんね」なんて本音を家族にもぶつけることなく過ごしていたせいか、医師から適応障害の寛解を告げられ一つ下の子と学校に通うようになった頃にはもう既に”唯”はできあがっていた。


年が違えど明るくにこやかに、誰にでも平等に優しく。


一年のブランクはあったものの勉強は変わらずトップで、授業の内容をかみ砕いて易しく教えてくれるとテスト前唯のもとには人が集まってきた。


「湊咲さん数学のここわかんない助けてくださいお願いします」


「あ、これちょっと難しいよね。ここまであってるよ、それでここはこの公式を当てはめて、……そうそう、合ってるよ! すごいね、飲み込み早いなあ」


「あ、ほんとだ解けちゃった。すっげ、自分で考えても全然わかんなかったのに。ほんとありがとう、これで次のテストも安泰だわ。湊崎さんほんとに神、自販機のココア奢る」


「言い過ぎだって、でもこちらこそありがとう。ココアはいいから代わりに自分で糖分取って疲れ癒やしてね、わたしもいい復習になった!」


と教えてもらいに来た人を褒めるのも当たり前のように染みついていて、唯の株は生徒全員の中で、そして教師の中でも上がっていった。


そして誰に対しても明るく優しい唯には、卒業の頃には誰もが年が違うことなど気にせずに話しかけるようになっていた。


唯の部屋の奥でもう要らないもののようにしまわれた卒業アルバムの全体写真には、友達に囲まれた笑顔の唯が写っている。

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