第92話

望はいつの間にか大きくなって家を出た。「お父さん、これまでありがとうございました」と頭を下げたその娘は陽向そっくりに育っていた。有難いことに望の目には今のところ病気は無かった。


三人で過ごしてきた家は奏斗一人には広すぎた。そのぽっかり空いた部屋は奏斗の気持ちのようだった。

それでも何一つ動かさず、陽向との、望との思い出を残しておきたかった。


望は半年ごとに必ず家に帰ってきてくれた。そして望が大学を出て仕事を始めて三年した頃、「お父さんに会って欲しい人がいるの」と連絡が来た。


この日ももうきたか、と思って緊張して何を着て出迎えるか奏斗の家に挨拶に行く日の陽向のようにクローゼットをあさって考えた。



緊張しながらその日を迎えると、望が久しぶりに帰ってきて奏斗を抱きしめてから隣にいた男を紹介した。


「お父さんひさしぶり。今日は時間を取ってくれてありがとう。この人が紹介したい人です。私の婚約者で、そのうち結婚しようと思ってる人です。会社の上司で最初はすごく怖くて苦手だったんだけど、いつの間にか追いかけたいくらい尊敬して好きになって、私から告白しました。お父さんに似ててちょっとわかりにくいけどとっても素敵な人です。だから結婚させてください」



あぁ、この子は陽向そっくりに育って、俺たちみたいに出会ったんだ。


その時陽向の家で頭を下げられたことを思い出して、自己紹介をして「娘さんと結婚させてください」と言うその男に同じように頭を下げた。


「望をよろしくお願いします。この子は早くに母親を亡くして、それでも懸命に生きてきた子です。絶対に幸せにしてやってください」


男はまっすぐな目ではい、必ず娘さんを幸せにします、二人で幸せになりますと言った。それに奏斗は少し安心した。


二人は微笑んで幸せそうに帰って行った。その目は結婚したときの自分と陽向の目にそっくりの、愛し合っているが故の優しい目だった。

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