第61話

その日の夜、望が寝た後たまたま喉が渇いて陽向は目を覚ました。見ると隣には奏斗はいなかった。


どこいったんだろう、トイレにでも起きたのかな、と思いながら静かに扉を開けてリビングに向かうと小さく唸るような泣き声が聞こえた。


聞いちゃいけない。そう思って息を潜めて戻ろうとした。でも聞こえてしまった。


「なんで、なんで俺じゃなくて陽向なんだよ……なんで俺の一番大切な人から奪おうとするんだよ、そんなことするくらいなら俺から取っていけよ、なんで陽向が幸せを奪われなきゃいけないんだ、なんで陽向なんだ、何でだよ、なんで陽向じゃなきゃいけないんだよ」


傷ついているのは陽向だけではなかった。あの日、診断を受けた日、陽向より先に怒ったのは奏斗だった。自分の辛さを全部吐き出しても最後まで聞いてくれて、愛していると言ってくれて、前向きな提案までしてくれた。だから奏斗は大丈夫だと思っていた。でもそうではなかった。陽向は自分を責めた。


何考えてたんだ私、辛いのは私だけだと思ってたなんて、なんて独りよがりでなんて最低で、愛する人を見つめていようと思ってそうしていたはずだったのに何も見えていなかった。


愛する人が苦しんでいることに、診断を受けてから一ヶ月も経っても夜こうして泣いていることに私は気付かなかった。私が泣いていないからもう大丈夫だと思ってた。


私は自分が立ち直ったから彼もそうだと思ってた、でもそうじゃなかった。


自分だって奏斗がそうなったら苦しいに決まってる、自分が先に泣いてしまうかもしれない、それでも奏斗は私のために踏みとどまって泣かなかった。そして今一人きりで泣いている。


どれだけこんな夜を過ごしたんだろう、これまでどれだけ泣きたい気持ちを殺して笑って私に接していてくれたんだろう。どれだけ一人きりで泣いて、それを隠して過ごしていたんだろう。



そのままにしておくことはどうしてもできなかった。


「奏斗さん、「陽向、ごめん大丈夫だから」陽向の声に気付いた奏斗は目を隠して普通の声で言った。でも大丈夫なんて言葉は信じなかった。私は愛してるんだから、あなたがどんな姿でも愛してるんだから、もうそんな優しい嘘なんて吐かなくて良い。


「大丈夫じゃなくって良い、これまで気付かなくてごめんなさい。奏斗さんの事見てるつもりで見てなかった。本当にごめんなさい、泣いてるのも言葉も聞いちゃって。


でも、でも私幸せは奪われてない。奏斗さんが辛いときも傍にいてくれて、愛してるって言ってくれて、私はちゃんと愛してるものを見ていたいって分かったの。


望と一緒にいられて、奏斗さんが毎日無事に帰ってきてくれて、これまでとは違う形だけどこれでも今私幸せなの。だからそれだけでもいい、信じて。


私愛されて幸せなの。ごめんね、気付かなくってごめんね、でももういいんだよ、私も奏斗さんを愛してるから苦しいときは言っても良いんだよ」



その言葉に奏斗は陽向の腕の中で泣き崩れた。ごめんと、ありがとうと、何度も言いながら泣き崩れた。


「いいんだよ、私も最初は何で私なのって思ったけど今ならあなたじゃなくてよかったって思える。だから私はもう良いの。


最後まであなたのことも望のことも見てるから。見えなくなってもずっと傍にいるから、それが私の幸せだから」


奏斗の泣き顔を見たのは久しぶりだった。こんなにも弱くて、でも強い人を一人きりで頑張らせてたんだ。そう思うと陽向も涙が出てきて、望が夜泣きで起きるまで二人は抱き合って泣き続けた。


「こんなんじゃ望に恥ずかしいところ見せちゃうね」


「次は結婚式まで泣いてる姿は望には見せない」


「結婚、望がしてもいいんだ」


「やっぱりだめだ、さっきのなし」


そう言って泣いた顔で二人で笑い合った。二人で手を取ってようやく二人で陽向の病を受け入れた。

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