第39話

次の日朝から陽向は緊張していた。


「ほら、証人にも書いてもらったんだからあとは陽向の欄だけだぞ」と軽々渡された婚姻届を見て、最初に


「なんで最初に渡してくれないんですか! 間違えたらどうするんですか! 私のこと買いかぶりすぎですよ奏斗さん、絶対一回は間違える自信あります」


と散々文句を言った。でも、もうその証人欄には名前が書かれていたのだからどうしようもなかった。


えーっと本郷陽向、本郷陽向、駄目だ一回他の紙に書こう、新しい紙……と席を立った陽向を見て「おい書いてくれないのかよ」と全てお見通しの奏斗が茶々を入れながら近くにあったメモ用紙を渡してくれた。


「さすがに陽向でもその後生大事に持って仕事してた手帳に自分の名前書くほど馬鹿な真似したくないだろ」と言われてその通りだったのでそれを受け取って名前を書いた。本後陽向、本郷陽向、本郷陽向。よし、合ってる、ここまでは合格。


大丈夫、書けるはず、さっき書けたんだから大丈夫のはずだし人生で一番多く書いてきたはずの名前だ……。息を吐いて精神統一をする。そんな陽向に面白がって奏斗が耳に向かって息を吹きかけた時には、隣に聞こえる勢いで怒られた。「何してくれてるんですか?! 私が書き間違えたらどうやってもう一回お願いするって言うんですか?!」


分かった分かった、と言うとまた陽向は精神統一を始めた。


「どうしよう奏斗さん、手が震えてガタガタになりそう」


「大丈夫だからさっさと書いちまえ」


「やだ、これまでの人生の中で一番大事な紙切れですよこれが。どの取引相手とより緊張しますこんなの」


大丈夫だと言っている奏斗が、三回書き直してから一番綺麗な字で書けたものに証人欄を書いてもらったことなど陽向が知るはずもなかった。


ゆっくりと自分の名前を書き込んでいく。よし一文字目間違ってない、大丈夫、二文字目……仮名はこれで……「大丈夫、なはずです、できた……」


と一気に緊張が抜けてそのまま机に突っ伏して頭を打ちそうだった陽向を軽々支えて、「じゃあ出しに行くか」と奏斗は優しく陽向の頭を机に置いた。


「写真撮ってもらいたいならそれなりの服にしろよ」



「あっそうだ、いつもの服着ていくとこだった危ない、奏斗さんありがとう」



区役所に着いた二人は無事にその婚姻届を出して写真を撮ってもらった。二人で揃いの紺色に合わせた服に婚姻届の白はよく映えた。


写真の中の二人とも仕事の時に見せる顔とは別人のように幸せそうな顔だった。二人の名字が同じになった。

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