第15話
月曜日、恒例のごとく陽向は本社ビルの前で立ち尽くしていた。
頭はもうさすがに痛くない。でももういっそのこと風邪引いてしまいましたとか言ってしまおうか、引き返して一日布団にくるまって寝ていたい……「おい、そんなとこ突っ立って何してんだ、行くぞ」
その声は聞き間違うことのないあの声だった。「キャッ「おい待て叫ぶなお前が今叫んだら俺がどう見られると思う、その辺の警備員に捕まってる暇はないんだよ今日朝から会議だぞ。しかもかなり重要な会議だ、遅れたら俺と取引先が迷惑を被る。
……いいか、俺はお前が俺の家で言ったこともしたことも一切覚えてない。言葉に関しては一言もだ。一言も覚えてない。俺もかなり酔ってた。記憶には何もない。本郷が一日うちにいて、それから帰ったことしか覚えていない。……いいな?」
「はい、何も覚えてないんですね、先輩は何も覚えてない。一言も。何も。分かりました」
「よし、分かったんならさっさと行くぞ、新人が重役出勤する気か」
陽向は岩崎に引きずられて営業部までたどり着いた。会議中は本当に忘れてくれているのか気になって殆ど話が頭に入らず、岩崎を眺めてまた睨まれた。会議終了直後には「お前さっきの会議何も聞いてなかっただろ」と岩崎からファイルで軽く叩かれた。
「いてっパワハラ上司め……」「なんか言ったか? 俺の耳が間違ってなければさっきの会議内容はもう教えないが」「言ってません、何にも。空耳じゃないでしょうか」「そうか、ならいい。仕方なく教えてやるから一回で叩き込め」
そう言ってなんだかんだ会議の内容はもう一度教えてくれた。
「岩崎さん金曜あの後どうなったんすかー?」会議が終わって一番に営業部の情報通がやってきた。
「こいつの家まで送り届けて鍵かけさせて帰って寝た、だよな本郷?」岩崎は営業部に響き渡る声で陽向に問いかけた。
そのはいとイエスしか許さないという剣幕にかろうじて笑顔を保ったまま、「はい、岩崎さんに大変お世話になって家に無事につきまして、お叱りのお言葉を要らないほど大量に先ほど聞いたばかりです」とこちらも大きめの声で答えた。
「おい本郷、要らないほどとか言うならもう一度今度はよくよく分かるまで言ってやろうか?」「結構です。十分聞かせて頂きました、もう同じ轍は踏みません」「ならいい」
「やっぱり岩崎だな、聞きに来て損したわ」と、情報通の彼はつまらなさそうに自分の席に戻っていった。
くそう、またあの鬼に助けられてしまった。これだけ大きい声でこの話がされれば陽向が会社に来にくくなることなどないだろう。それを意識してあの声量で話してくれたのはいくら鈍い陽向にでも分かった。
ただ朝何も聞いていないと言われたことに少し心がもやついた。なんでだ、分からない。まあこれも気の迷いだ、盛大なる気の迷いだ。
そう思ってその日も激務をこなすことになった。その激務が、いつも通り何も変わらない岩崎の態度が陽向の動揺を吹っ飛ばしてくれた。
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