第10話

「……い、おい。起きろ。お前家どこだ」


いつものあの怖い上司の声がする。でもきっと夢だ、だってあの人に家を教えることなんてないんだから。夢にまででてくるなんてなんてやつだ、やっぱり最悪だ。でも今日はちょっとかっこよかったかもしれない。かもだけど。かもでしかないけど。でもいつもよりは優しかった。


でもおうちかあ、そんなのあの人に教えることなんてきっと一生ないな。早く帰っておうちのベッドで寝たいなあ、と思いながら陽向はまた眠りについた。


「ったく寝やがった……」


タクシーの隣で岩崎がそう言っていたことに陽向は気付かなかった。飲み会で飲み過ぎるなと言ったはずの部下はいつの間にか自分の隣で赤い顔をして寝こけていて、よりにもよって送っていくと最初に言い出したのは”セクハラ常習犯”であるところの常務だった。


そうなればさすがにこれだけ絞ってやっと多少は使えるようになった部下が喰われるのは目に見えている。


ここまで絞ってやっと使えるようになったんだ、そんなことで辞められたらたまったもんじゃない。これまでの俺の努力とこいつの努力が水の泡だし、訴えられでもしたら会社ごと問題になる。



残念なことに自分につきっきりだった陽向の家を知っている女性社員もいなければ、酔っ払って寝て脱力した女を抱えていける女性社員も他にはいなかった。


幸いなことに自分は本郷には嫌われているはずだ。それくらい絞った自覚はさすがにある。そしてそれを他部署のやつ全員が知っているはずだ。同僚にたしなめられるくらい絞ったんだ、誰だって分かっている。


なんなら自分でも自覚している威圧感の強さで女など寄ってこず、同僚にはありがたくもないことに枯れた男とさえ思われている。なら俺が連れていったとしても俺に喰われたなんて噂は立つまい。それならこいつもまだ会社に出せる顔もあるだろう。



仕方なく直属の上司だからと常務から彼女を奪い取って姫抱きにしてタクシーに乗せたはいいものの、寝ていて話にもならない。一度起きかけたはずがすぐに眠りについてしまった。本郷、と呼びかけるもむなしくその声は夢の中にいる陽向には届いていなかった。さすがに女の鞄を開くのはまずいだろう。かといってどこに連れて行けと言うんだ。こいつの家なんて知らないし別に興味もない。


悩みに悩み抜いて岩崎は彼女を自分の住むマンションに連れて行った。

いくら小柄な女とは言え脱力した状態では重く、抱えたままで鍵を出すのもやっとの状態でなんとか部屋に転がり込んだ。彼女を抱き直してとりあえず自分のベッドに寝かせる。




さて、どうしたもんか。今日はありがたいことに金曜日だ、なら彼女の酔いが覚めるまでここに置いていても明日の仕事で同じ服を着ているだなんだと言われることはないだろう。


でもどこかホテルにでも連れて行って金だけおいて出てくればよかったか。そうするべきだった。失敗したな、俺も酒が回ってる。


大体新卒の若い女がいるからって野郎どもが色めきだって本郷に飲ませようとしていた酒を全部捌いたんだ、俺の許容量もとっくの昔に超えている。まあそんなことこいつは気付きもしないだろうが。


さてどうするか。起きたとき知らない部屋に気付くかも分からない書き置きを残すのがいいか、起きたとき知らない部屋に見知った嫌いな上司と二人きりがいいか。


ーーどっちもなしだな、やっぱり少し酒が抜けた当たりで起こしてから説明だけして俺がホテルに行くか。それで明日の朝鍵は郵便受けにでも入れておいてもらえば良い。




そう思って寝室に向かってみれば、自分の布団にくるまっている彼女の姿が見えた。それにその下に落ちているブラウスとテーパードパンツも。


ーー脱ぎやがったかこいつ。しかも男の一人暮らしの家で。


もう常務に連れて行かれなかったことだけが唯一の救いだった。


でもこうなってしまえば起こすのすらなしだ。下着姿で起こされてしまえば自分がどんな勘違いをされるかなんて分かったもんじゃない。自分は見ていないふりをして別の部屋で寝るとしたもんだろう。明日の朝起きてきたら声をかけるか。


そうして結局岩崎奏斗は夜を固いフローリングの上で過ごすことになった。

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