第6話

その上司になった岩崎奏斗は見た目そのままの通り鬼の子と言って差し支えない厳しさだった。そして何よりやり手だった。


毎日のように新しい仕事が陽向の机に積まれていって三日と経たないうちに陽向のデスクには小さい山ができていた。


「本郷お前それちゃんと納期確認してるのか、過ぎてるものないだろうな。一つでも遅れたらどうなるか分かってるな、この会社がいくらの損失を出すと思ってる。


新人だとは言えミスは絶対に許されないからな。やり方も一回しか説明しないから頭に叩き込め。それ以上は教えてる暇は俺にはない」



いくらの損失が出るかなんてそんなこと新入社員の私に分かるわけあるか、大体新人のことをフォローするのは上司の役目じゃないのか。くそう、絶対にあんたのことなんか嫌いになってやる、ていうかもう嫌いだ。一回しか教えてもらえないなんて小学校の先生の「大事なことだから一回しか言いませんよ」並みに馬鹿げている。大事なことなら何回でも教えやがれ。私がミスしたらお前の失敗になるって分からないのかこの鬼は。バカか、バカなのか。


でもこんなやつに絶対に仕事にケチつけさせてたまるもんか。何も文句言われない仕事してやる。クビになんてされてたまるか、絶対食らいついてやる。


そう思って研修の時より更に必死に仕事に打ち込むようになった。教えられた仕事の方法は手帳にぎっしり書き込まれてそのうち足りなくなった。それからは新しい紙に書いて手帳に挟み込むようになった。


真っ暗になった後も誰もいないオフィスの中でデータを打ち込んでいく。昼間と打って変わって静かになると多少効率が上がる気もした。ただ小柄な陽向はその存在を気付かれず、電気を消されて警備会社が来る前に焦って職場を後にする日もあった。


社外秘のデータもある以上家に持ち帰って仕事をするわけにもいかない。仕事の内容が入ったUSBさえ持ち出すこともできない。大体家に帰ってまで仕事のことなんて思い出したくもない。


じゃあ私が絶対に時間内に仕事をやりきるしかない。あんな上司に助けられてなんかたまるか、フォローの一つだってされたくない。絶対に絶対に私だけでどうにかしてやる。私だけでこの積み上がった案件完璧にこなしてやる。


陽向は毎日家に帰ってからカップ麺をすすってシャワーを浴びてそのまま泥のように眠ってまた次の朝に仕事に向かった。


そうして数ヶ月が経つ頃、本社勤務の新卒の中で一番仕事ができるようになっていたことに陽向は気付いていなかった。


いつの間にか陽向のデスクの上から山は消えていた。


陽向はその日のうちに来た仕事をその週のうちに捌ききれるようになっていた。



そして、ついにその結果を褒めてもらえるときが来た。


ある日の夜机の上にいつも飲んでいるカフェラテが置かれていた。そこについていたメモの字は悪筆のあの憎い鬼の字だった。


もしかしてもしかしてあの人が置いてくれたのかな。まさか。そんな訳あるか、鬼だもんあいつ。


でもある日の仕事中にはよくやったと言ってくれた。


そしてある日には営業先に連れて行かれていくことになった。


「本郷、こっちこい。今日から営業先にお前を連れて行く。くれぐれも余計なことは言うな、資料に目通しながら行くぞ。付いてこい。……あと五分準備時間やるからそのかきむしった頭なんとかしてこい、見苦しい」


見苦しいって部下にいうことかそれ。だから私はあんたのことが嫌いなんだ。でも、でも。


ーーこれは、認められたって事でいいのか。


その上司に認められたことは何よりのやりがいになった。


それから陽向はどんなにハードな仕事が回ってきても陽向は岩崎についていくようになった。


絶対この人にもっと認められてやる。


いつの間にか怖さは憧れに変わっていた。そしてまだそれに陽向は気付いていなかった。あいつなんて嫌いだ、あんな上司になってたまるか、私は部下ができる頃には優しい先輩になるんだ、と思いながらそれでもその目は上司を、岩崎を見ていた。


他の部署の先輩からよくあの鬼についていってるよあのちっさい女の子は、いつの間にか俺らが抜かれそうな勢いだ。何ならもう抜かれているんじゃないか、と言われていたことも、岩崎の下についた後輩が二年続きで辞めていたことも聞かされていなかった。やり手とは言え三年続いて後輩が辞めていけば岩崎の下に後輩が任されなくなるところだったのを自分が食い止めたことも知らなかった。そんなことは新人に聞かされるはずもなかった。


あんたなんかに私のせっかく勝ち取った、せっかく必死になった仕事を取られてたまるか。せっかくクビにならない自信が付いたんだ。


陽向は最初のうちこそ自分の任された仕事に恐れおののいていたものの、その数ヶ月で自分の仕事にプライドを持つようになっていた。


それも全部岩崎のおかげだと言うことにも陽向はその時全く気付いていなかった。

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