第3話

しばらくすると同じような格好の新入社員達がどんどんと部屋に入ってきてあっという間に席が殆ど埋まった。周りの人達はどの人も利発そうで、どうして自分が受かってしまったのかまた頭の上に疑問符がついた。



こんな人の中でやっていける気はどうにもしない、でもやらなきゃいけない、どうにか凌げ《しのげ》陽向。ゴールデンウィークまでが正念場だ。それまで耐えればなんとかなる、はず、だから凌げ。


そんなことを思っている間に閉まっていた部屋前方のドアを開けて数人の男性達が入ってきた。その中に一人だけ見たことのある顔がいた。


ーーうわ、あの人がいる。


その中にはビルの目の前で自分に声をかけてきた強面の男性が立っていた。背も他に入ってきた社員より一回り高く、遠目に見てもやはり威圧感のあるような男性だった。


他の社員とみられる男性が新入社員に向けて何か話していたが、陽向はその男性に釘付けになった。怖い。絶対にあれは鬼の子だ。絶対に人から生まれてないし絶対さっきの声かけがあの人の人生で一番優しかった瞬間だ、と思うが早いかその男性が陽向の視線に気付いてにらみつけてきた。ビクッとして慌てて話している社員の方に目を向ける。


目を向けた先にいる男性社員はまだ温厚そうな雰囲気を持っている。担当とかがあるならこの人に担当されたいな、と思いながら話も聞かずに周りの人に合わせてはいと言った。何を話していたかなんて一つも頭には残っていなかった。




その日から怒濤の研修期間が始まった。


毎日の座学にeラーニング、プレゼンの資料作り。大学の授業よりもハードなスケジュールに目が回った。しかも周りの新入社員はもう何語を話しているのか分からないくらいに習得が早くてひっついていくのに必死だった。もうあの強面の男性のことなど考えている暇もなかった。



帰ったら今日の座学の復習しないと内容が全部頭から抜け落ちる、今日大体何をどれだけやったんだっけ、ああこんな電車の中で広げられるような資料なんか持っていない。あれ、最初にやったの何だったっけ、もう忘れた一からやり直しだ最悪。最初にやったのだって一時間はかかってたのに一人で一からやり直したらもっとかかる。


でも何としてでもついていかないと振り落とされる。クビにはなりたくない。


プレゼン資料に関してはグループになって取り組んでいるんだから自分が内容を落っことしたら彼らに迷惑をかける。ただでさえ彼らが話す言語を翻訳するのに時間がかかるんだから私は絶対に人よりとにかく多くやらなきゃいけない。準備して準備して予想外のことまでなんとか予想してそれに対応できてやっと及第点に違いない。


もしも運良く振り落とされなかったとしても彼らと同じ部署になったら。散々研修で足を引っ張っていた私が彼らにどんな目で見られるか分からない。


そう思うと大学のどの講座よりも必死になってついて行くしかなかった。親を一度喜ばせた以上がっかりさせることなんかできない、それに親は実家で農家をやっているから、振り落とされたらこっちに帰ってきてうちの手伝いをすればどうかと言われるのだって目に見えている。大学四年生の頃から田舎に帰るもんかとこれでも必死に就活してきたんだ、こんなところで頓挫してたまるか。クビになってたまるか、こっちにだって譲れないもんの一つくらいあるんだ。


そう思いながらその日の復習をして疲れ果てて机で寝て、ギリギリの時間に家を出ることを重ねた。


心身ともに限界が来始めていた頃にようやく待ち遠しかったゴールデンウィークがきた。


なんとかそれまでだった研修期間が終わり、クビにされることなく配属先が決まることになった。


よかった、自分は振り落とされてはいない。この会社で働けるなら多少田舎でも良いから研修よりも少しでも楽なところに飛ばしてくれ。


安心できたのはここまでだった。

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