4-4

――――……「もう君の戯言には付き合いきれない。悪いが強行手段で行く」

 相変わらず空間を解除しようとしない姿勢も、場違いな気楽さでおどける態度も、フレイの怒りを極限まで押し上げて、マサヤは堪忍袋の緒が切れる一歩手前まで故意に追い込んだ。

 この事実が尚の事フレイの苛立ちを増幅させ、もう後には引けない状況まで生み出す。

 何よりこの空間に押し込まれてから小一時間ほど経ったものの、太陽の位置に変化の兆しが見えない現状が、現実世界との時差が大きい事を指し示しているようだ。そう核心出来た事実が、よりフレイを焦らせる。しかし先手を打ったのは驚く事にマサヤの方だった。

 剛腕な紅塗りのフレイの腕に、マサヤ渾身の蹴りを何の躊躇もなく喰らわさせたのだから。

「悪いがお前に恨みは無いさ。あるとすれば後ろでうろつく〈あの女〉だな!」

「な、なんだ? ……まさか、ジュノーの事とでも言いたいのか?」

 神妙な面持ちで口にしたジュノーの名前。大の男の重い蹴りを食らった後とは思えない発言に驚くだけのフレイには、マサヤの攻撃がまるで効果が無かったように平然としている。対して鋼の筋肉によって、マサヤの左足の方に激痛が走る始末。我慢できない痛みではないが、そう何度もお見舞い出来ないのは確か。それだけフレイは戦闘に特化した肉体の持ち主と言う事。

「これで理解できただろう? 君が僕を留めているんじゃない。僕が君に手加減をしている」

 流石のマサヤもこの発言にはぐうの音も出ない。しかしマサヤの真の目的は恐らくフレイの実力を吟味する事と、ジュノーが隠した話の真相を明らかにする事と思われる。

 フレイが結構なお人好しである事から、淡い期待を抱いていたのだろうが、ジュノーへの絶大な信頼と絆により、不満だらけのジュノーに関する計略だけは見事打ち砕いて来た。

「少年、あの女には気を付けな、相当な女狐だぜ。まぁ近々本性を晒すだろうさ」

「……君がジュノーをどう思うかは自由だ。でもジュノーを使って僕を唆すのは避けた方が得策だ。何者だろうが同胞であろうが、その程度の負傷で済まないと理解した方が利口だろう」

 今の紅塗りのフレイが醸し出す雰囲気は、手加減無しの強い殺気で満ち溢れている。

 興味本位のつまみ食いで手を伸ばす行為のように、ジュノーに対する信頼を試した行為は露骨で下品であり、何より見苦しい。なのにフレイはその挑発を無視する事が出来そうにない。

 ジュノーを信じていない訳では無いが、心のつっかえはそこかしこにあるのだから。

「ふーん、まぁ、その鉄壁の信頼が崩れた時、少年、お前がどんな景色を見て、どんな精神状態に陥り、どんな行動を起こすのか……、大いに見ものだな」

「あ、悪趣味な……ッ」

 フレイがぼそりと呟いた弱気な一言は、マサヤの口角を上げた。

「何か、心当たりでもある顔つきだが?」

 核心を突いたマサヤの一言で甦る、フレイの記憶。それは長髪の黒のストレートが似合う、細身で長身の女性の後ろ姿。フレイの存在に気付いて振り向いた女性は、荘厳美麗の言葉が良く似合う。しかし女性は酷く冷酷な目でフレイを睨みつける。見下げる表情はあまりに冷淡で、静かな怒りを表現するような憎々しい形相。そんな目線を逸らして先を行く女性に、フレイは声を掛ける事も、追い掛ける事も出来ず、ただ呆然と立ち尽くして見つめる事しか出来ない。

(ジュノー……、いや、有り得ない!)

 フレイの心の葛藤は、表情にも陰りを見せる。忘れたはずの、忘れるために尽力した記憶を承諾も無く掘り起こす乱暴な策略に、フレイの怒りは頂点に昇る。傷口を無理矢理広げた上に塩を塗るマサヤの戦略は、フレイの鉄槌を避けて通れない道へと駒を前進させる。

 若干迷いが生じるも、圧倒的強者のフレイの猛攻は、避けるだけで精一杯のマサヤには不利でしかない。状況がより困難なものに陥ったと言うのに、マサヤの口角はさらに上がる……。



「わぁーッ! 楽しかったぁ! ありがとう、クレス!」

「それは良いが人間の流れを見て何が楽しいんだ? 理解が追い付かん……」

 頼もしい護衛となったクレスのおかげで、思う存分人間観察を堪能したステラは大変ご満悦。

 面白さを一方的に熱く語るステラに、ただ相槌を打ちながら対応し続けたクレスが居た結果、この結末が存在する。ステラ自身も他人から見れば、この趣味に対して理解が得られない事は百も承知だ。単純単調で特に変化もない現象を延々と見続けるのだから、懐の大きいフレイ、又は地道な作業に手慣れたジュノーぐらいにしか尊重されない趣味と先入観を抱いていた。

 それだけに否定もせず、最後まで付き合ってくれる人物と出会えた事には随分と驚く。最初こそ恐怖を感じたものの、百八十度変えたクレスの印象。寛大な優しさに心打たれて、すんなりステラの本心を曝け出す事が出来た。そんな楽しい世界にどっぷり浸かったステラを、一人の存在が優しさを連れて丁寧に現実へ連れ戻される瞬間を見た。子供の姿のジュノーだ。

「ステラ……」

「ジュノー? ジュノー! ねぇジュノー、フレイは?」

 ステラは今現在、フレイの置かれた状況を知る由もない。それに気づいてか、ジュノーはフレイの話題を濁す。幸せに満ちた気分を壊したくない、心からの気遣いだろう。

「フレイは少しお仕事が入って出掛けたのよ。きっと朝までには帰るわ」

「そっかぁ、残念。あ、ジュノーにお友達を紹介したいの! クレスって言ってね、私を助けてくれた人! きっと私たちの仲間だよ、ね? クレス! ……って、クレス?」

 大きな期待を込めて振り返るが、既にクレスの姿は存在していない。まるで全てが幻だったと思わせるほどの潔い退場に、ステラの記憶と感覚に至るまで曖昧にさせるのだから。

 そんな一人困惑するステラに、ジュノーは優しく声を掛けた。

「さあ、私と一緒に帰りましょう。楽しかった思い出、沢山聞かせてくれるかしら?」

 ジュノーの気遣いに触れて、ステラは大きく「うん!」の一言と満面の笑みで返した……。



「クッソぉッ……、タレッぇぇ……っ!」

 攻勢に出たフレイに全く歯が立たないマサヤの攻撃。既に身体は悲鳴を上げている。

 そんな圧倒的劣勢のマサヤに対し、圧倒的優位なフレイの疑問は募るばかり。

「何故だ? 何故、銃を使わない?」

 祝福(テミス)による銃は発動させたままと言うのに、この状況に陥ってもマサヤは銃を握るだけ。

「ふんっ、少年。とっておきは最後まで残すのが流儀ってもんだろッ?」

「……相変わらず言葉だけは立派なものだな」

 マサヤの意義に答えるように胸ぐらを掴み、この周辺で最も高いビルに昇ると、先のビルのフェンスの中へ乱雑に投げ入れる行為は、既にマサヤを同胞としてではなく、敵としてインプットされたフレイの激昂が肌からピリピリと伝わり、若干恐怖を覚えるほど。

「今すぐこの空間を解け。そうすれば命だけは見逃してやる」

「ハッ! 宛ら極悪人だなっ!」

「この空間を解けと言っている。無駄口を叩くな」

 いつもの優しいフレイとかけ離れた言動は、恐ろしさに輪を掛けておぞましさも増している。

 少ない言葉からも容赦なしのフレイの意思は十分読み取れて、マサヤは半ば強制的に降参を仕向けられたが、マサヤ自身も既に潮時と見計らうと、煽る態度を一転、左眼を赤く灯らせ、昼過ぎの明るい空間が突然の深い夕暮れの紅へ様変わりさせて、本来の時刻を取り戻す。

 昼から夕刻へ。極端な空の変化は、異空間回収の一部始終が目に見えて露見した。

 この異空間は、地面から天へと吸い取られるように緩やかな地割れを起こし、それによるプラスチックのような軽さと、ガラスのような煌めく反射を併せ持つ空間の破片が天を泳ぎ、夕焼けが見せる橙と星が見える薄い空に向かって召される瞬間は、まるで一種の天使のよう。

 この異空間で起こった現象を超低速のスローモーションで導く時間は、実のところ人間が一回の瞬きをするほんの僅かな瞬間に起きた壮大な出来事であり、その間マサヤの創造した明るい異空間は刹那に消え去り、言葉通り瞬く間に回収と分散作業の全てを完了させてしまう。

 空間が清算された事で人間界は数秒間、暖かな雪が降る。一瞬の出来事に収める為、異変は広範囲に及び、初夏の気候で暖かな雪らしきものが降る現象は人間の間で一時騒然、大いに話題となる。無機質が主成分のマサヤの空間は、これ以上の変化を齎さず、綺麗に事を済ませた。

「望み通りだろ! これで満足か、少年ッ!」

 フレイの要望に応えたマサヤは、次に身体の開放を強く望んでいる。この一連の経緯に関しても同胞としての証拠を提示してくるのだから、フレイの思うマサヤの立ち位置は実に不鮮明で、首を傾げたくなる疑問が泡のように湧き上がる。怪しげな言動で振り回し、疑惑を解消させる行為を何度も繰り返せば致し方ない。つまり狙いはわざとフレイを怒らせる事とみる。

「行動に一貫性が無く、動機も掴めない。現状、先の経緯を君の口から話す事は可能か?」

 同胞としての地位は数字とナンバーが示し、その実力は精巧に造られた異空間が示した。

 不快な言動で頭に上った血は極端に下がり、確実に冷静にさせるフレイの思考。だからと言ってマサヤの振る舞いや、それに対する自身の激昂に至るまでの経緯に謝る義理はない。

「何、お前の実力を少し試してみたかっただけだ。きっと案ずるだけ時間の無駄さ」

 フレイの表情に疑問符ばかり描かれている状況を良い事に、行き当たりばったりな解答で濁して締めくくる。今までの言動を振り返ると、マサヤらしいと言えばマサヤらしいが。

「にしても、痛ってぇーな……。少しぐらい手加減しろよな、少年!」

「……僕は今、少年じゃないよ。それにフレイと言う名前がある」

 言葉使いが完全にいつものフレイに戻った事で、初めて二人の間に穏和な雰囲気が漂う。

「っていうか、お前も俺の名を覚えてないだろ! マサヤだ! マサヤ!」

 仰向けで大の字になって、フレイとの激戦を身体に残したマサヤは、誇らしげに自分の名を叫ぶ。何か吹っ切ったように深呼吸をすると、同胞としての証を最後まで魅せつける。

「俺、もう帰るわ。俺の中では一応全部解決したしな」

「何処へ帰る? 困っているなら、僕たちのところにでも……」

「あぁー、悪いがあの女はどうもいけ好かない。まぁ厚意だけは有難く受け取っておくぜ」

 相変わらずジュノーに対するあからさまな態度を見せた後、フレイに対して力無く左手を振り、右手の銃で自らのこめかみを躊躇なく発砲。頭蓋骨から順に細胞が弾けて身体は分散。

 ありったけの黒を吸収させて、細胞は急激に縮小。周囲に弾け飛んだ細胞を磁石のように欠片一つ失くさず集めると、《漆黒の女王蜂》へ変貌を遂げ、この淡い夜空に溶け込んでいく。

 マサヤはこの過程をまざまざと魅せつける為に、有意義にこの場から離れて行ったのだ。

 これはマサヤのもう一つの形であり、第二の姿となる。フレイたちで言えばジュノーの黄金のスカラベ、フレイの紅いムササビ、ステラは金色のモモンガに並ぶように、主に小動物や昆虫へ幅広く展開したこの能力を総じて【退化チック】とジュノーたちは総称している。

 退化チックとは生きとし生けるもの唯一平等公平に与えられた生物の原型であり、数多ある空間の中で人物の姿形を構築する上で絶滅と同等、もしかするとそれ以上に重要な進化の過程で会得する最古の姿形であり、又、この世で生物が共存する為に必要不可欠な能力でもある。

 人体とは個々の属性を宿り、生類を交えながら魂を共有している。それ故生命のピラミッドの頂点に君臨すべき全知全能の強者が、本能を手繰り寄せるは自然の摂理。好き勝手行う生物を抑制する為の、生き行く上でありとあらゆる生態を轟かせる生命の存在は常に必須だ。

 怒涛の革命的進化の中、今現在も心身の発達を欠かさず、平常を円滑に進める偉大な主導者としてジュノーたちに白羽の矢が立つのはまさに宿命で、全生物の未来を誘う道標、進化の縮図を創る。創造とは綿密に張り巡らせた用意周到な蜘蛛の糸であり、心身を巡らす思考は決まって同じ答えを紡ぎ出す。適否・浮沈関わらず、感情を揺さぶり揺さぶられるのは共存する上で当然の感情。しかし人間が属性を牛耳る昨今、生態系は大きく綻び、崩壊の一途を辿る。

 既に反省だけで済む類は疾うに過ぎ去り、身勝手な思想と傲慢な態度で嘆く人間の希望と理想を叶える為だけに、ジュノーたちを馬車馬のように働かせた結果がこれである。人間は人権と特権を履違え、身勝手な自由を求める為に、ジュノーたちの首を締め続けているのだから。

 退化チックは底知れない傲慢を表に出させた、最も人間が学ぶべき教訓として残存している。

(想像していたほど、悪い人では無かったのかな?)

 マサヤの一部始終を黙視した事で、息の詰まる瞬間から解き放たれたのはかなり経ってから。

 ジュノーに対する態度に不満はあれど、後腐れない性格、陽気な雰囲気、そして先程の出来事から同胞と認めざるを得ないあらゆる証拠を、フレイの心に深く刻ませた今回の出来事。

 時刻は既に夜と言われる時間帯。人間界の様子に異変が見受けられない事から、既にステラはジュノーの機転によって安全を保障されたと考えて間違いないだろう。心からの安堵で胸を撫で下ろしたフレイは、改めてジュノーたちの待つ住処へ帰路に着こうとする……。


 そんな最中だった。突然の殺意がフレイの頭上から降って掛かる事を知る。風を切り裂く大きな音と共に、隠せない程の強い殺気を纏って、怒涛の如く迫り来るモノを目視で捉えた。

 手には光る刀を添えて急降下する人物に対して、咄嗟に顔面を両手でクロスさせて攻撃を緩和。これはビルを渡り歩く瞬間の出来事であり、空中で身動き取れない状況を良い事に、フレイは仕掛けた人物の目論見にまんまと嵌まる。金属が擦れ合う摩擦音が鳴り響き、ほとばしる火の粉がこの二つの存在を大いに主張させて、まるで一種の隕石のように勢いよく下界へ落ちていくのだから。目立つ光線が一直線で墜落すると、歓楽街の一角に衝撃音が豪快に響いた。

「なんだなんだ? 何が落ちた?」

 人間の率直な好奇心から、砂煙の中の惨状に注力される。だがそこには何もなく、ただ何かが落ちたという痕跡だけしかない。この難解な出来事に慌てふためき、続々と興味本位に人が集まる。一時パニックは起こるものの、面白みのない痕跡は徐々に頭を日常に戻していく。

「君……、誰だ?」

 何棟も聳え立つビルの中、最も高いビルの屋上で穏やかな風と星空の下、両腕を深く斬り込まれた紅塗りのフレイが丸く大きな白光を歪ませ、言葉を選びながら慎重に問いかける。

 そんなフレイの言葉に反応するよりも、大破した刀をまじまじと見て冷静に分析する姿は貫禄すら感じる。しかし顔半分隠した赤いバンダナから見える瞳が、まだ若い青年と訴えている。

「……お前に名乗る名は無い」

 この一言を吐き捨てて、役立たない刀を体内へ細胞を浸透させて行くと、青年は再びフレイを標的に駆け出した。未だ戸惑いを隠せない隙だらけのフレイを突いて、背を屈めながら容易く懐に入った青年。コンマ一秒の世界で、恐らく体内から出現させた大きな銃口をフレイの下顎に押し当て、何の迷いもなく引き金を引いた。それは殺傷力の高い、散弾銃。

 フレイの喉元から後頭部を貫き、頭蓋骨を粉々に粉砕させる。紅塗りの装備は無意味な飾りと化す勢いで、被弾する破裂音がパチパチと響き渡って脳内を駆け抜ける。この衝撃から白光は消え、フレイは死んだようにその場で倒れた。フレイの死を確信した青年は、確認のためにもう一度頭部を狙い撃つと、早々にこの場から姿を消す。それは瞬く間、怒涛の時間だった。

 謎の青年の手腕にただただ驚くフレイ。見た目にそぐわぬ手練れた腕前は圧巻で、損傷部位が完治しても、すぐに立ち上がる事が出来ないほどの衝撃で脳を強く刺激させられる。

(あの子はまさか……、もしかして、……でも)

 青年が見せた天才的且つ特殊な能力によって、様々な記憶がフレイの脳裏を飛び交う。

 面識が無いというのに、フレイの懺悔は増すばかり。心の奥底に閉じ込めていた強い罪悪感が、再びフレイの身体の表面に染み出す事態は、いくら拭い取っても拭い切れない罪。

 青年の行く先の未来が、少しでも明るいものである事を切に願う事しか出来ない……。

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