4ー3
「ねぇ、フレイ! フレイ……? フレイ、フレイ!」
人が多く行き来する大通りで、目立つ鮮やかな紅毛が確認出来ず、幸せの時間は突然の恐怖へ急変した。しかし唐突な放心状態はこの存在を主張するだけで、多くの人間の奇異な目に晒される。ただでさえステラの華やかな髪色と顔つきは人目につく。その上一人泣き出しそうな不安な顔をしていれば、善意はともかく、悪意を持って近づかれる可能性も高まるというもの。
人の視線を事細かく感じ取れるからこそ、恐怖は増すばかり。そんなステラを追い込むように、流れ歩く一般人がステラに対して不自然に目を見開き、全身を舐め回すように凝視される感覚を本能が捉えて離さない。注視する一般人がステラの視界から消えると、手前の新たな一般人が同じ凝視でステラを標的に迫り来るのだから。それは慎重に狩りをする獣も同然。
フレイが傍に居た事で、行動の不思議で心煌めいていた幸福な感情など大昔の出来事のように暖かな心は急速に冷え切り、強い悪寒に支配される。遂には自然な人間の動作まで恐ろしく感じた頃、耐えきれないステラは大通りから抜け出した。息を切らして涙を流して、安全な場所を探し求めて繁華街がら離れる。ステラ自身が今、何処に居るかなど考える暇もないままに。
そんな異空間への招待は、そう時間も掛からずやって来る。進めば進む程、周囲が夜のように暗くなっていくのだから。昼にしてはあまりに不自然。ましてや妙な暗闇に覆われる事で、街灯が反応を起こす現象まで見せる。ただ閑散としたマンションや民家には電気が使用されていない事から、この空間に存在するのはステラと、恐らくステラが最も恐れる人物のみ。
ステラの関心と恐怖を誘う接触不良を起こす頼りない街灯から、不燃物が焼けたような異臭が空中に漂う事で、嫌な予感は確信に変わる。脳裏に映るのは、耐え難い恐怖と苦痛。
恐る恐る視界に入れた先には、接触不良の街灯から徐々に降臨する一体の敵。これは通常の
「す、ステ、ステラぁぁ……、ぁ、ぁあぁああぁああ?」
酷く喉を嗄らしてステラの名を叫ぶソレは、緑の筋肉の筋と血管に至るまで酷く露わで、乾燥防止のための体液が身体中を纏う中、その体液が地面と密着した足裏のアスファルトが溶け始め、醸す黒煙は毒ガスに形式を変えて異空間に充満させる。どうやら街灯が接触不良を起こしていたのは、体液が滴った事で電線の一部を溶かした事が原因のようだ。
最大の危機迫るステラに対して、この敵の正体を尋ねる事ほど非情な問いは無い。遠い記憶を叩き起こす行為によってステラの涙は強制的に止まり、血の気の引く思いが心身を支配する。
そう、ステラを恐怖で震え上がらせるこの憎悪こそ、宿敵、アイリーン。
「見つけたぁ……、私の身体、私のぉ、身体をぉお、かえぇせぇぇぇええぇえ!!!」
アイリーンはステラの肉体こそ真正の器と信じて疑わず、自欲に基づいて激しく欲する。
溢れ出る毒素を纏いながらアスリート顔負けの走りを見せるが、元々飛び出ていた眼球が風圧に耐えられるはずも無く、真横に流れる事すらお構いなしに、ただステラとの距離を縮める事だけに熱心だ。ステラは足が竦んで逃げられず、声すら出せない状態。
自分はここで終わる。そんな思考が拍車を掛けて、より何も出来ない自分を心底恨む。
迫り来るアイリーンの恐怖で、遂に頭を抱えて座り込んだステラ。絶体絶命、その時だった。
《ドォンッ!》
アイリーンの甲高い喚き声が突然消えたと同時に、澄んだ銃の音がこだまする。
そんな不思議からそっと目を開いたステラが見た光景は、あまりに驚くべきものだった。
手前には頭を撃ち抜かれたアイリーンが地面で声も出せずにもがき苦しむ姿が映る。
音の正体である銃声を放ったのは、年端も行かぬ少年。仰向けで足掻くアイリーンの姿は害虫の動きそのものだが、この不気味な動作も意に介さず、手慣れた様子で少年は情け容赦なく次々とトリガーを引き続ける。相当手練れているのか、長い銃を撃つ手は全くブレない。
「ちっ、逃げたか……ッ!」
この勝ち目がなくなった勝負に終止符を打ったアイリーンは、早々にアイリーンとしての意識を解放させる。犠牲となった人間は、恐怖と共に精神の錯乱を粛々と受け入れる他ない。
この難所を軽々と乗り越えた少年は、薬莢などの非日常的な物的証拠を拾い終え一息入れると、驚く事に長い銃を体内へ内蔵させていく。銃の分子を少年の身体の細胞や肌の色に至るまで同化させて、正確に体内の細胞と合致させる事でスムーズに肉体へ浸透させていくのだ。
この異次元の現象を目撃したステラに、〈仲間〉というキーワードを浮かび上がらせるが、少年の存在はステラの記憶の片隅にも残っていない。頼りない街灯がチカチカと灯す覚束ない光は今のこの二人の微妙な関係を表すが、そう背丈の変わらない互いの顔をハッキリと照らされた瞬間、身に覚えのない感情が湧き出たかと思えば、意識は強制的に現実へ引き戻される。
(ど、何処かで会った、ような……?)
心中様々な感情が行き交う事で、今一度自身の脳内を精査するため、失礼と思いつつも少年をジロジロと睨むように見回り身体の特徴と記憶を照らし合わせようとするが、やはりステラに思い浮かぶ節は毛頭ない。そんな不可解な沈黙を最初に破ったのは少年の方だった。
「……大丈夫か?」
相変わらず頼りない街灯に照らされて、少年とは思えない貫録でステラに差し出される手。
「あ、ありがとう……」
突然の出来事に慌てふためき、心の整理もままならない状況だが、少年の厚意を決して無下にはしない。少年の優しさに素直に甘えて、二人は改めて同じ目線でお互いを見つめ合う。
「もうすぐ〈アレ〉がやって来る。暫くあの軒下に隠れたほうがいい」
互いの手を握ったまま、二人は狭い軒下に横に並んでアレがやって来るのを暫し待つ。
そう時間が掛かる事も無く、正体不明のアレがやって来た。黒い空間が空へ天昇されて、街灯の光も役目を終えて次々消えて行く中、空に残った黒い物体が雲と混じり、この小さな区域に一時的な小雨を降らせる。正体は酸性雨。ただ威力は極々微弱で、殆どが通常生活に支障を来たさない程度だが、常時アイリーンが創造する空間は全て有害物質で生成されている。
今回は些細な問題で済んだが、時に異常現象まで引き起こす事も多々あり、常に油断は出来ない。あの形振り構わない生命体の事、この結果に対しても何の感情も抱かないのだから。
「あ、あの、助けてくれたお礼! 何もなくてごめんなさい。でも、ありがとう」
「……別に気にしなくてもいい」
互いの体温を共有する手は繋がれたまま雨が止むまでの数分間、どうしても感謝の言葉を伝えたくて勇気を振り絞って少年に伝えようとする。その勇気の表れが繋ぐ手の強さにも表れた。
「……傍に居る」
少年の突然の一言はステラに疑問を呈す。一言では考えも感情も読み取れないのだから。
そんな困惑気味の心がステラの表情にも現れたのだろうか、少年は更に言葉を添える。
「その……、アンタの保護者が現れるまで傍に居てやるって意味だ」
「ほ、保護者???」
「家族だ、アンタの家族」
家族と言う聞き慣れない言葉によって、謎の少年を巻き込み振り回す。ステラはフレイとジュノーを家族などと、捉えた事が一度だって無かったのだから。
「いる……、ような? いない……、ような???」
「アンタ、面白いな。さっきも言ったが傍に居てやるよ。まぁ、所謂アンタの護衛さ」
酸性雨が消えて、太陽が二人を照らす頃、不安ばかりだったステラの心にも明るい光が差す。
「そうだ、名前は? 俺は【クレス】……」
「私はステラ! よろしく、クレス!」
死の瀬戸際を体感した後とは考えられない程の天真爛漫。それがステラの心を保つ最大の秘訣。そんなこの世の綺麗な部分だけ切り取り見る夢は、罪か罰か、それとも悪か……。
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