2-3

――――……「フレイ、聞きなさい。私たちは……、敵ではないわ」

 人間界は日差しが眩しい午前十時。

 周囲を異様に警戒するフレイは、ジュノーに接する事を拒み、比較的暗所な空間で、異常なまでの身震いを起こす中、両手で身体を包み込んで小さく丸く縮こまっている。

 フレイに関する事の発端は、監視とジェームスの詳細な報告で既に確認済みだ。

 ある程度の覚悟はしたものの、フレイの何かに怯える心は簡単に見透かされ、より一層と敵意を帯びた形相で睨むフレイの現状に、自身の不甲斐なさを心底悔やむ他ない。

 腫物に触れるような態度で呼びかける事自体良くないと理解しながら、ジュノーの心と体は極限の緊張と恐怖が襲い掛かり、平常心を保てそうにない。見た目こそ凛とした正座を崩す事は無くとも、心中複雑な感情が飛び交う。その見え透いた心がフレイの反感を買っている。

「フ――……フ――……」

 興奮する動物の荒い息遣いで、一度閉じたフレイの瞳が再び開く時、それは起こる。

 青く綺麗な瞳は燃えるように紅く鋭い目に移行すると、空間に存在しなかった闇を呼び起こし、フレイの身体が闇に溶け込む合図は空間の侵食、つまりは世界の崩壊を予告するもの。

 淡く仄かな光を生む空間は、おぞましい闇が広範囲に広がりを見せてジュノーまでも呑み込んだ。双眸が均整を失くす事で、フレイが今、どれほどの恐ろしい姿形か、深く考えなくともジュノーの瞳に大量の情報が入り込む。現段階、フレイの眼は囂々と燃え尽くす炎も同然で、心の絶望を最大限具現化させて、この空間を地獄へ落とす第一段階は難なく突破させた。

《ゴキィ……、ゴキィ……》

 豪快に骨と骨を擦り合わせるようなけたたましい轟音が鳴り響く事で、現在、フレイがどう豹変したかなど想像に難しくない。ジュノーの脳裏に過るいつかの恐怖。遠い記憶の断片に残る忘れられない戦慄と地獄。ジュノーが何を言おうとフレイに届かず、寧ろそれは逆効果。

 自身の至らなさを改めて感じ取るが、後悔しても既に手遅れ。満足に息もできない時間は酷く鈍感で、死への導きはまるで一生の出来事のように恐怖の感情は孤立する。

 全てを受け入れる覚悟で、ジュノーはゆっくりと瞳を閉じた。

「んん……? フレイ? フレイ……?」

 この騒動からステラが起床。眠気眼で目を擦り、まさに今、どれほどの恐ろしい現象が起ころうとしているかの理解も及ばず、いつものようにマイペースにフレイを求めている。

「フレイ!」

 実体が把握できないフレイを視界に入れると、何の躊躇もなく笑顔で抱き着くステラ。

 抱き寄せられないほど巨大化するフレイに対して、懸命に抱きつき、笑顔咲くまま離れようとしない。恐らくフレイの全貌が見えているだろうステラは、桁違いのサイズにも物怖じしない、ただフレイが大好きだけの素直なステラ。そんなステラに抱き寄せられた瞬間、フレイを取り巻くおぞましい音と影、そして闇を体内に吸い込み格段に縮小させて、最後は消える。

 周囲を柔く照らす空間も正常を取り戻して、遂に普段のフレイの姿を徐々に浮かばせた。

 ジュノーは息を飲む事も忘れて、始終その光景を眺めている。

「フレイ? どうしたの? 何かあったの?」

「……あぁ、何でもないよ。でもありがとう、ステラ。ジュノーも、ごめん……」

 フレイの深刻な情緒不安定の一部始終を見て、ジュノーは再確信する。

 純粋無垢なステラの存在は、フレイにとってかけがえのない宝そのものであると。

 普段のフレイの実力の頼もしさ、それ故に群を抜く恐ろしさ、そして誰よりも優しい心に隠された危うさ……。有り余るほどの破壊力に次いで、尋常じゃない自然治癒力のスピード。

 本来の目的実行には適任だろうが、優しすぎる性格が仇となり、大きく裏目に出た今回の出来事。【仏の顔も三度】とはよく言うが、長年、フレイに対する人として生きる以前の杜撰な扱いに、怒りと恐怖の蓄積を経て爆発させた結果が、歪な精神を持つフレイを生み出した。

 この世に地獄を誕生させたのは誰でもないフレイ。しかし創造させたのは紛れもなく人間。

祝福テミス》より、より未知数で恐ろしいのが《解放ネメシス》。フレイが解放ネメシスを発動させる時、それは動物は勿論、植物さえも味わう恐怖。これは敵味方一切関係なく、再び魂が転生するその時まで、フレイによって莫大な魂が地獄と言う名の亜空間へ引きずり込まれ、骨の髄まで恐怖を植え付けられる。この規格外の爆弾、解放ネメシスの誕生により起こる問題は山積だ。

 全生物に戦慄の記憶が共有された事で敵は勿論、味方さえ撹乱させる現実は想像に難しくない。記憶の共有化は誰もが不幸の主人公に、誰もが片翼の天使にだってなれるのだから。

 人間が持つ捩じれた羨望は、幸も不幸も巻き込んで、膨らむストレス発散の狡猾な遣り口は息を吸うように行われてきた巧妙な印象操作であり、他人を悪に仕立て、自身の人物像を内外で特別良く見せる快楽は何物にも代えがたいもの。しかし腹黒い思考を腹の奥底に沈め続ける事も出来ない人間が、嫉妬や憎悪で溺れる感情を悔い改める事など出来るわけがない。

 本来ジュノーたちに向けたはずの嫉妬をより身近で、同族同士で分散させた事態が更なる大惨事を招いた要因であり、まさに身から出た錆。この圧倒的不利で理不尽な条件の中、ジュノーたちが如何にして生類の頂点へ君臨出来たかなど、ただの愚問でしかない……――――

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