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 幻想的なシャボン玉を作るように細胞を分散の後、吸着・結合を二回ほど繰り返すと、改めて地に足を着けた場所は閑静な住宅街。深夜と言う事もあり、人通りの心配は無さそうだ。

「わぁ! すごい、風が吹いている!」

 久しぶりの外の空気を吸う事で興奮冷めやらぬステラは、些細な事でも大きな喜びで全身が震える。この見た目相応にしか見えない仕草は、ステラだけが持つ好奇心と無邪気さ故か。

「ステラ、少し静かに。もっと明るくて賑やかな場所へ移動しようか」

 フレイから思わぬ忠告を受けて、面白いほど表現豊かに感情を展開させるステラ。膨れっ面なものの、フレイが背中を差し出す行為によって機嫌は途端に良くなり、表情も明るくなる。

 仲良く身体を寄せて、次第に高くなる屋根を足音も残さず越えて行けば、眩いばかりの造形物が視界に広がった。光り輝くネオン街は一望すると宝石のようにも見えるが、細部を鑑みるとあまりに粗末な出来に感動は削がれる。金と嘘が充満する世としては実に見映えは良いが、底なしの欲望と不安定な心情が染み込んだ結果なのか、空気が酷く淀んで見えた気がした。

 そんな人間の負の感情を事細かく拾ってしまうのは、きっとフレイがお人好しな証拠。

 しかし深い事情を読み取れない無垢なステラは、姿を悟られない程の高さのビルの屋上からこの世界の綺麗な部分だけを切り取って、人間の往来を目で追うのが今、何よりの楽しみ。

 結果的に面倒な事、難しい事抜きに単純に楽しむステラが居るのだから、むやみに口を出してもお互い気分を害するだけだと感情が行き着く。何より一番星のように目を輝かせる艶やかなステラの存在と、邪を感じさせない純粋な心こそ煌びやかな宝石と痛感させられる。

「フレイ! 私、下へ降りてみたい! ……ダメ?」

「それは君がもう少し成長したら考えてもいいかな」

 ある程度理解しての発言か、流石のステラも駄々をこねない。それよりフレイがくれた未来に想像を掻き立て、高鳴る心の行方を探る感覚が人間界への探求心とよく似ていて、より下界に釘付けとなる。現在ステラは安全柵となるフェンスを超えていて、絶壁から顔半分迫り出させて、目だけを忙しなく動かしている。そんな小動物を愛でるような優しい笑顔を注ぎつつ、同じくフェンスを越え、身体を預けて安全にも十分気を配るのはフレイ。そんな優しい時間は、思わぬ乱入者によって不穏な空気を一気に押し上げ、一瞬で奪い取るのものなのだろう。

 下界からの生暖かい強風が、ステラの柔らかな髪を一度空に吹き上げた合図によって、案じた不安が現実になる瞬間をフレイは遅れて感じ取る。無我夢中でステラを抱き寄せフェンスに優しく押し付けながら、ステラを覆い隠すように自ら壁を作ったと同時に、謎の不穏がその正体を現した。ステラの心だけが置き去りのまま、フレイの背中に四本、背骨まで抉られるほどの威力で致命傷を与えた。ステラに必要以上の不安を与えないよう声を殺すフレイは、早急な回復を強いられるが、肝心の自然治癒力は一向に発揮する気配を見せない。

 何よりこれ程の大怪我でありながら、血飛沫どころか出血すら見受けられず、凄惨な身体の断面を見せたまま、波のように引いてはまた襲い掛かる痛みに極力我慢する事を強いられる。

(こ、これは……、短い……時間を繰り返している……ッ、よう、な感覚がッ……)

 フレイの身に起きた唐突な異変。ある程度この答えを推測出来ても、解決させる程の時間は残されていない。敵はフェンス越しに、その全容を明らかにしているのだから。

 敵はアイリーンと同色の体液を身に纏うも、悩ましい酸や毒の要素はないようで、両手の爪を異常に伸ばした中腰の興奮状態から息を荒ぶる姿を見た瞬間、ステラの脳は警鐘を鳴らす。

 無傷のステラを優れた嗅覚で嗅ぎ分け状況を察知すると、毒々しい奇声を上げた謎の生物。

 これは人間として生を受けながら、人間界に溶け込む事を自ら捨てたグロテスクな異端児。

 アイリーンに唆されて、脳と心の調和を失くして自我を蝕んだこの生物は、《樹液から生まれた人間の総称、神の子エヴァン》の直系であり、人間として生きる生命線を《精神搾取パラノイア》によって主導権を握った人格の中から、特別能力に秀でた汚染者を総じて《完全体フルコンス》と名付けられている。

 精神搾取パラノイアとは脳内に巣食う腹黒い本音が意志を持って独り歩きを始め、本体に不要な葛藤と不穏な心境を囁き続けた結果、身体の指揮を執った卑劣な乗っ取りを総じて名称されたもの。

 そしてこの生物は視覚を完全遮断した代わりに嗅覚を卓越させていて、自我を芽吹いた本能による精神搾取パラノイアも成熟させており、全身をどろで纏わせた姿から、典型的な完全体フルコンスと断言できる。

 損傷激しいフレイの現状を前にして、困惑した頭を丁寧に現実へ戻しながら想像より冷静な判断で事を成すステラが居るのは、きっとフレイが身体を張って守ってくれたからだろう。

「ス……テラ、逃げる……ッんだ!」

 逃げ道はない。それを知るはずフレイが、自身を置いて身を隠す判断を何度も訴えかける。

 事実フレイに回復の兆しは見受けられず、変わらず生々しい見た目もそのままに、意識が飛ぶ瞬間を幾度も繰り返される事で、体力だけは根こそぎ奪われて行くのだから。

「フレイ、大丈夫だから少し待ってて!」

 フレイの惨状から恐怖より怒りが込み上がったステラは、無謀にも打倒完全体(フルコンス)を掲げる。

 完全体(フルコンス)が走り出す合図でフェンスを駆け上り、空高く飛び上がる頃には敵の背後を取った瞬間、風が吹き荒れる空中で髪が大きく乱れて、露わとなったのはステラのうなじ。

 そこには【№03】と刻まれた刻印が浮き出ると、ステラの虹彩を赤く染めた刹那、金色に光る両手で余るほどの何かを掴む。普段見せない独自の妖艶さを醸し出し、煌めく長い指によって柔く粘着質な液体が指に絡んで滴り落ちるものの正体は、今にも落としそうな量の脳と心臓。

 金色に輝く特別長い指と認識させたものは、鋭さと細やかさを兼ね備えた爪のようだ。

 指と錯覚させたのは、さほど長く爪を伸ばしていない事による。医療用のメスも比にならない重厚さと精巧さを誇り、月夜に勝る金色の光は神々しい輝きを見せ、カーテンを開くように両手を広げると、粘着く臓器を無造作に地面へ落とす。飛び散る緑が無垢なピンクを汚すが、感情豊かなステラもこの時ばかりは無表情で、冷酷な眼差しをこれ見よがしに披露している。

 ステラはフレイたちとは能力の特性も、過程すら極端に異なるもので、相手の皮膚や肉を切開する事無く、金色の爪で臓器を綺麗に抜き取る事も、再び繋げる事も容易に行える事から、非常に汎用性に飛んだ能力の持ち主で、臓器移植を最も得意とする、言わば手術の申し子。

 その上ステラは一時的に細胞の隙間が見える眼球も所有しており、今回、完全体フルコンスの細胞の隙間を縫い、瞬く間に臓器の細胞を一つ一つ丁寧に分解させて、爪で削ぎ出し繋げたのだ。

 勝敗は決まった、かのように思えた。何故ならば、致命的な臓器を抜かれたはずの敵が無害のまま仁王立ちの上、動じる気配もなく、ステラをあざ笑うように首を傾けるのだから。

 腹が立つほどの余裕綽々な態度をひけらかすと、一人困惑するステラへの反撃を始める。

 長い爪がリーチに長けた事で難なくステラに襲い掛かるも、同様にステラの爪によって空に向かって弾け飛ぶ。長すぎる爪では指との接着面積が少ないために重心が定まらず、少しの衝撃と反動で大きく翻弄される。爪の特性を知り尽くしたステラこその戦い方とも言える。

 しかしこれは単に防御の基礎を披露しただけに過ぎない。今のステラに出来る事は、ただ時間稼ぎを行う事。元々ステラは戦闘向きの体質でもなければ、勝つための術も経験も殆ど持っていない。それを悟られないよう防御に徹するには限りがある。しかし重要な臓器を丸ごと失くしたとは思えない怒涛の攻撃を繰り出す完全体フルコンスは、恐らく既にステラの特異性と弱点に至るまで、完璧に熟知した後と考えて間違いない。喉を震わせる軽快な叫びが何よりの証拠。

 詰め寄る完全体フルコンスとの距離は無に等しい。両者の爪が接触する事で、唐突な力比べを強要される現状から抜け出せず、小刻みに鳴らす音と手先の揺れは、完全体フルコンスを有意義にさせる。

 持続力こそがものを言う持久戦では、明らかにステラが劣勢だ。

 そんな状況が後押ししてか、ステラの思考は冷静に敵の弱点を見据える事だけに焦点を移す。

(この敵おかしい、どうしてそんなに動けるの? 何処かに糸を解す隙があるはず!)

 臓器が排除されたと言うのに、その行動には知性が見られる不可解さに着目した。

(もしかして、元々必要ないもの……、だった? な、なら、もしかして!)

 敵の攻撃を回避しながら、ステラはこの不可解さを明らかにするための行動を起こす。

 細腕から渾身の力を発揮して、完全体フルコンスの攻撃を一度弾くと、姿勢を低く、小柄な身体を活かして敵の股の間を掻い潜り、すり抜ける前の僅かな時間、敵の腹部に探りを入れて体内から何かを取り除いた途端、敵の動きは唐突に停止する。ステラが抜き出した奇妙なそれは、片手で掴めるほどの大きさで、粘着く緑の体液を纏いながらゆっくり呼吸する不可思議な生体。

 想像の斜め下を行く、弱弱しくこじんまりとした生き物に少々戸惑い気味のステラ。ただ脈打つ鼓動と正常な体温が両手にじんわと伝わる事で、緊張感を欠け、謎の安堵まで与える。

 この戸惑いで一人頭を悩ませるステラの背後から、新たな魔の手が迫っているとも知らずに。

 完全停止したはずの敵が動き出したのだ。勝利を確信したこの瞬間、ステラの背後から溢れ出る欲望を押さえつつ頭部を標的に両爪を固定して、襲い掛かる準備をねっとり整える様子は、肉体を極力傷つけず、我が物にする欲望しか頭にない根性から腐った屑。

 我慢ならない衝動に駆られながらも仕損じないよう、ゆっくりステラに手を掛ける……。

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