あと?日
私は誰かが運転する車で病院に戻り、いくつかの検査をした。
どうやら私は貧血で倒れていたらしかった。
風雅が看護師さんに電話してくれたらしい。
風雅が死んだらしいことは言われなくても分かった。
なんで死んだのかは誰も教えてくれなかった。
私の世界は急に色をなくし、何にも見えなくなってしまった。
あと2日なのに、それも待てずに死んでしまいたかった。
風雅は確かに生きていた。余命1ヶ月だった。
小学3年生だった。
今日は異常なほど寒くて、さっき看護師さんが11月にこんなに寒いのは50年ぶりなんだって、って言ってた。
昨日の熱さを思い出した。息がしたくなかった。
そんなとき、両親が部屋に入ってきた。
ひどく不安そうな顔だった。
おじいさんとおばあさんだった。
こんな人たちが自分の親なのだ。やっぱり生まれてきたくはなかった。
いつも私の誕生日のときには、父親が「お母さんがうまく産んでくれたからお前がいるんだぞ、感謝しろよ」というのだ。
それがすごく嫌だった。
口の中のケーキを吐き出したくなるくらい。
生まれたくなかったとずっと思ってきた。
そのことを1度、バイト先の先輩に言ったことがあった。
なんでそんなことを言ったかは全然覚えていない。
「厨二病なの?笑」
って言われた。驚いた。私の苦しみをそんな言葉で片付けてしまうなんて。
わたしの人生はバカみたいな不幸はなくとも小さな不幸が散りばめられているのだ。
まず初期設定が悪すぎるんだ。
風雅は私に生まれてきてくれてよかったって言った。
風雅は、もう死んだ。
私がうつ病になったとき、母親は私も朝つらいけど頑張ってんのよ、鬱は甘えでしょって言った。
最初は言葉の意味がよくわからなかった。
後日リビングのテーブルに「鬱のせかい」という本を見つけた。
なんとなくそれを読む。
鬱の症状を解説した本のようだった。
3ページにかいてあった「鬱になると朝が辛くなる」
驚愕した。母はこれだけを見て、うつは甘えだなんて言ったのか。
鬱なのは両親のせいなのに。
悲しむというより、呆れのほうがずっとおおきかった。
私はこんな人間に16年間も育てられてきたのかと。
諦めの気持ちになった。
そういえば、私には兄がいる。
中学のときに不登校になり、高校も大学も偏差値の低い私立にいった。
喋り方もちょっときもい。
洗面所で唾をはいて、それを流さない。
自分語りが好きで、父親みたいだ。
そんな兄に私は嫌悪感しかない。
でも最近母親から聞いた。兄は発達障害を持っているらしい。
なんてゆうやつか私は知らないけど、兄にもあんまり言ってないらしい。
兄にはそもそも吃音と言うものも持っている。
吃音は、言葉がどもる、同じ言葉を繰り返すなどの症状が出る発話障害の一つ、らしい。
彼は2つの障害をもっているのに、しかも不登校だったのに、いつも楽しそうだった。
それも私を焦らせる原因だった。
私はいつも不安だった。
家族と出かけることがあった。
遊園地に行ったことがあった。
私は家族と遊んで楽しいなんて思ったことがなかった。
私はいつも遊ぶ3人を後ろから眺めていた。
この3人と同じには絶対になりたくなかった。
遊ぶ時は必ず父親が運転する車で行った。
車の中はいつも空気が悪かった。
母親と父親が毎回口喧嘩をするのだ。
私はそれが嫌だった。
でも本人たちは、私たちは仲良しだとか言うのだ。
それはよかったとわらった。
部屋に入ってきた父親は真っ先に言った。
「風雅くんの自殺は、お前のせいじゃないからな、だって」
わたしの目の前は真っ暗になった。
私は死んだ。
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