第2章

「マシンの調子は?」


 エンジニアが無線で問いかけてくる。こっちは一勝負終えて、アドレナリンが出始めてるのに、エラく抑揚のない声で間が抜ける。機械が喋ってるみたいだ。


「タイヤを見てくれ、砂を噛んだ」


「了解」


「どんな作戦で行くんだ。えーと」


「クリスだ。よろしく」


 これが決勝レースでなきゃ、笑ってもいいとこだ。ドライバーとエンジニアが顔も知らない初対面なんて。急ごしらえにもほどがある。


 レースはファーストラップを終えて一旦は落ち着いた。俺は前のマシンについて行きながら、自分の順位を掲示板で確認する。4位。しょっぱい。


「俺はレイだ。で、どんな作戦でいく?」


「チームとしては表彰台さえ取れればいい。それならリスクも少ないし、取れなくても最低限のポイントは守れる。でも、アンタはそれじゃ納得しないよね」


「よく知ってるな、俺のこと」


「有名だもの、アンタ。ゼロ百のレイって」


 俺は表情は無線で伝えられないことを忘れて眉間にシワをよせた。「昔のことだ。今は違う。チームのために戦う」本心ではある。


「そ。じゃ今はとにかくタイヤを持たせて。持久戦に持ち込めば、勝てないまでも負けない位置にいるから」


「・・・」


「レイ?」


「了解」


 サイドミラーを除く。レース開始直後、遥か後ろにいたはずのマシンがいつの間にかぴったり後ろに張り付いている。狙いは明らかにレッドキング。


 深いグリーンのラインがツタのようにマシンに描かれているそのマシンは、隙を見せた瞬間、俺に絡みついてくることだろう。ザ・グリード。コイツはそう呼ぶことにした。


「後ろのギャップは?」


「1.7秒。なぜそんなことを聞く?」


「嫌な予感がするんだ」



・・・・・・



 社会の授業は好き?・・・そう。それはお生憎さま。


 今回のレースが行われているのは惑星ネイピア。なんでこの名前が付いたかは知らない。使える名前がなくなったのかも。どーでもいいけど。


 ネイピアの重力は地球より軽い。空気はほとんど二酸化炭素。密度も低い。火星の大気によく似てるけど、火星ほど温度差がない。外で深呼吸ができないことを除けば、非常に住みやすい環境ではある。


 頭のいいひと「他にも住めるとこはあるわけだし、ここは別のことに使おう」


 もっと頭のいいひと「どうせならコンピュータを置いて、銀河に広がる企業が情報を扱いやすいようにしよう」


 というわけで、大気圏を突き抜ける高さのビルが建てられた。中身は全部コンピュータ。人はいない。それがブロック分けされて、地表を覆いつくしている。宇宙から見れば、黒い格子状の模様が球体の一部を侵食しているのが分かる。


 フォーミュラ・Uはそのビルの間をパックマンみたいに走ってる。グルグルと64周も。


社会の授業終わり。



・・・・・・



「このままいけば、4周後にはバトルになる」クリスが言った。


「了解」


 ザ・グリードは依然としてサイドミラーに映っている。当然だがドライバーの顔はバイザーに隠されて見えない。だけど、ツタが絡まったみたいなマシンを操り、確実に距離を詰めて来ていた。コーナーを曲がる度に後ろからの威圧が強まっている。


 ネイピアは空気の密度が低いから、タービュランスをある程度無視できる。腕のあるドライバーなら、後ろにぴったり張り付いて走るなんて朝飯前のはずだ。これは面倒な相手に目を付けられたな。



「ポジションをキープしてくれ」


 エンジニアからの指示が飛ぶ。いちいち言われなくてもそのつもりだ。了解と声を荒げたその時だった。グリードはイン側の僅かな隙間に飛び込んだ。


(コイツやりやがった)


 俺はイン側を攻められないよう厳しくシャットしていた。リアの調整が間に合わずアンダーが出やすいこのマシンでは、早めにブレーキングを踏まざるを得ない。そうすれば自然とエイペックス辺りでイン側に隙間が空く。グリードはそこを突きやがった。


 もはや俺は外側に避けるしかない。ステアリングを反対にきり、大外からラインに戻る。グリードも俺の真横で外に膨らみながらコーナーを曲がっていった。当然立ち上がりは奴の方が速い。


 クソッ。隙間は確かにあった。そのことは分かってた。だが、並みのドライバーなら衝突のリスクを恐れて早々には飛び込めないはずだ。つまり、グリードは並みのドライバーじゃないか、有史はじまって以来のウルトラ阿保かのどっちかだ。当然後者だろ!ざけんな!!!!!


「ポジションを戻せ」エンジニアが言う。うるさい。


「黙ってろ!!」


 グリードのリアウィングが見える。趣味の悪い緑のツタはこちら側にも絡まっている。それを再び見えなくしてやらないといけない。


 グリードのドライバーはほくそ笑んだ。チームからの指示を思い出す。今真後ろにいるレッドキング。コイツを徹底的に邪魔するのが彼に与えられた指示だった。その目的の半分は達成したも同然となった。前を塞がれたからにはタイヤを使わなければ抜くことは叶わない。かといってずっとこのままでいけば、表彰台は遠のいていく。あとは精一杯邪魔するだけの楽な仕事。ただ一点、自らの勝利を捨てなければいけないことを除いては満足のいく仕事だった。


「おい、ブレーキどうなってるんだ。こんなんじゃまともに戦いようがないぞ」


 いくらか冷静さを取り戻した俺はエンジニアにかみついた。無情にもグリードを抜くチャンスに恵まれないまま、半周が過ぎていた。レースペースは向こうの方が上。いずれレッドキングはおいて行かれる運命にあった。


「落ち着け。もう行かせていい。プランCで行こう。タイヤを温存してくれ」


「・・・・・」


「レイ、聞こえてるか?」


「聞こえないな」


 聞こえないよ、まったくね。俺はアクセルを踏み込んだ。


 来た。グリードのドライバーは思った。噂通りの単細胞だ。無理に戦えばレース全体を放棄することになりかねないのに、真っ直ぐ突っ込んできやがった。目の前にニンジンをぶら下げられた馬だなこりゃ。


 ミラーに映るレッドキングのシルバーのマシンはマリン色の陽光を妖しく反射している。



・・・・・・



 そのマシンをテレビでしか見たことがなかったから、実際に目にすると微かな感動がレイの肌を伝った。本物の銀をも凌ぐ光沢のシルバー。それを黒いラインが格子状に覆いつくしている。マシンの形をした岩石。ピカピカの。かっこいい。


「大破したマシンはほとんど使い物になりませんでした」レッドキングのメカニックがレイの耳に向けて話している。「残ったのはコックピットの一部と、これだけです」


 レイは手渡されたステアリングを受け取った。持ち手の部分についた引っ搔いたような傷がコトの大きさを物語っていた。


「これ使える?」


「さぁ、一応動作に支障はありませんでしたけど。新品に変えた方が」


「これを使う」レイはメカニックの言葉を遮った。「他に知っておいた方が良いことは?」


 ステアリングを返しながら、同時に質問も投げる。メカニックは同時に起きた事象を一瞬処理しきれず、ステアリングを落としそうになりながら言葉にも詰まっていた。


「っ。そうですね。リアが付いてこないことがたまにあります。それは調整するとして、あとは最高速が少し劣ります。その分、低速から高速までのコーナーは上手く処理できるかと思いますが、ネイピアでは空力が問題ですね」



・・・・・・



 俺はグリードのマシンをじっくりと観察した。スピードは申し分ない。こっちがストレートで突っ込んでも、軽くいなされる。ただ、不自然なほど縁石を嫌っていた。


「クリス」


「おかけになった電話番号は...」


「ふざけてないで教えてくれ。グリードのマシン縁石に乗らない。なぜだ?」


「グリード?」


「ああっ。とにかく前のマシンについて分かってることを教える。これ必須!」

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