Formula-U

Φland

第1章

 前のマシンについて行きながら俺は己のおかれた状況を顧みる。まさか命を狙われながら走ることになるなんて、生まれてこのかた考えたことすらいなかった。


 でもこれはフォーミュラ・U。最速390キロの世界。年間チャンピオンには賞金のほかに、銀河系のどこにでも行ける『ドライブ6』が贈られる。それに比べたら人間の命なんて軽い。


 タイヤを左右に揉みながら、俺のマシンはゆっくりとスターティング・グリッドへ。やや前よりの奇数列。悪くはない位置。他のマシンも続々と位置につき、スタートの瞬間を待つ。


 15台のマシンが同じ方向を向いて、エンジン音を吹かすこの瞬間がたまらなく好きだった。獲物を狩る獣が唸りながら体勢を低く、バネをためているような。ああ、その標的が俺でなければ、最高なのに。


 最後尾、15番目のマシンが位置につく。いよいよレースが始まる。視界の隅に入った横のドライバーに目をやると、彼は下向きにサムズアップしてよこした。スパイダーマンかな?


 赤いランプが五つ前方のゲートに灯る。緊張感が高まる。単調な電子音とともにランプは一秒おきに消えていく。4...3...2...1...。


 ブラックアウト!すべてのマシンが一斉に加速していく。先頭の赤い一台を除いて全員が良いポジションを得ようと入り乱れる。俺のマシンは蹴り出し上々、でも前が詰まって抜けない。攻めあぐねているうちに、スパイダーマンが仕掛けてきた。


 意図的な幅寄せ。前と横を塞がれた俺のマシンは、ウォールから数センチの場所に追いやられる。ウォールにぶつかればマシンは大破、レースはそこで終了。でもそんなことより気がかりなのは、ウォール近くの路面はだいたい汚いことだ。クソッ!タイヤが汚れるだろが!


 レースが終わったらこのスパイダーマンを今すぐタコ殴りにしてやりたい。いやタコ殴りにする。今すぐに。


 俺はクレバーなドライバー。俺はクレバーなドライバー。 冷静に耐えて、第一コーナーを抜ける。一コーナーと抱き合わせの二コーナーも全マシンがパスした。そのあとは短めのストレート。短すぎてオーバーテイクするようなポイントじゃないが、斜め前を走る奴をとらえながらマシンを加速させる。加速のGを微かに背中に受けながら、じわじわと前との差を詰めていく。このスピードなら、第三コーナー手間でサイドバイサイドになる。


 俺の姿が見えるはずだ。わざわざミラーに映るように走ってやってるんだから。どーする?次で勝負するか?俺はいつでもいいぜ。


 蜘蛛の化け物の回答は、「保留」目立った動きはしなかった。前を塞ぎに来る様子もないので、考える間もなく俺はインに飛び込む。砂を噛んではいたものの、タイヤは十分にグリップして鋭くコーナーを曲がれる。コーナー直前で横のマシンよりノーズ分のリードを奪い、そのままタイトにコーナリングしていく。立ち上がりでスピードをあげると。スパイダーマンはサイドミラーに映っていた。あばよ、親愛なる隣人。


 レースはやっぱり楽しい。


・・・・・・



 退屈な手続き。どうしてこうなったのか。話は二週間前に遡る。


 ミーティングを称して集められた俺はすぐに違和感に気が付いた。椅子と机しかない部屋にいたのはレッドキングのチーム代表だけ。窓に近いところに立って、俺が着くまで外を見てたみたいだった。


 彼は振り返って「待ってたよ。座るか?」


「結構です。要件を言ってください」


 これと同じことを前にも経験したことがある。リザーブだった俺を昇格させたとき、あの時も同じように呼び出されて二人きりにされた。でも、今回はそんな嬉しいニュースのはずがなかった。


「そう急くなよ」


 チーム代表は後ろ手を組む。相手を宥めるのは、もうコイツの腹は決まっているからだ。あとはどう相手をコントロールするかを考えてる。良くないニュースを今から聞かされるんだ。若いころの俺がもっと賢ければ、気づけたはずの本性。生粋の支配者気質。


「我々のドライバーが殺されたのはもう知ってるな」


「ええ、良いドライバーでした」


 正確には事故に巻き込まれた。惑星クシャでのレース中に砂で滑ったマシンが、横を走っていたレッドキングのマシンに激突した。ただ、その瞬間までは追突した方も、された方も生きていた。問題はその後。


 フォーミュラ・Uはあらゆる惑星でレースを行う。中には酸素がない星だってある。それ故ドライバーには生命維持のために酸素を供給する必要があるのだが、コックピットは狭すぎる上に開放されてるので、ちょっとした工夫が必要だ。


 ドライバーはヘルメットで密閉できるレーシングスーツを着て、背中のプラグをマシンにつなぎ、そこから空気をもらって走る。つまりドライバーとマシンは一連托生。マシンが死ねば、ドライバーは危険にさらされる。ちなみに、日本の古典アニメからEVAシステムと呼ばれたりしている。


 事故が起きた時、レッドキングのマシンは大破していた。ドライバーの命を守るため、EVAシステムはどんなに事故っても壊れない設計になっているが、この時ばかりは違った。空気の供給が止まり、スーツ内の空気だけが辛うじて彼を生かしていた。(スーツの中に残ってる酸素だけで人間が生きられる最長はおよそ7分。ヤック)


 彼は窒息した?イエス。でも助かる道もあった。こういうときのために、空気供給用のプラグは全マシンで互換性を保っている。側で同じように事故っていたもう一台のマシンのEVAシステムはまだ生きていた。そいつと交互に空気を分け合い、救助を待てば二人とも助かったはずだ。


 でも、そうはならなかった。何が起きたかは言うまでもないよな。


「レッドキングは今、二位のチャンドラーとの差を53ポイント広げて単独トップにいる。どうやら我々を優勝させたくないチームがチャンドラーの他にもいるようだ」


「それはマグラーですか?」マグラーは前のドライバーを見殺しにしたドライバーのチームだ。


 チーム代表は小さくうなずいた。「おそらく二チームは結託している。そして他にもレッドキングが優勝するより、チャンドラーが優勝する方が嬉しいチームがいるようだな」


「クソ野郎どもが」思わず心の声が漏れた。


「怒ってもしょうがない。『ドライブ』が懸かったフォーミュラ・Uでは稀に起こることだ。むしろ、後手に回ってしまったことを恥じるべきだな」


 クソ野郎がもう一人。


「そう睨むな。これでも私は落ち込んでいるんだ。彼は家族を通しても付き合いがあった唯一といっていいドライバーだった。君とだってそんな仲になったことはなかった。だからこそ、次のレースで勝ちたい。そして、年間チャンピオンを獲る。それだけが、彼の魂を慰めるために我々ができることの全てだ」


 なんだか話が読めてきた。頼むから外れてくれ俺の直感。


「もう一度、シートに乗る気はないか?レイ」


 ビンゴ!!!!!!!「断る!!!!!」


「そう結論を急ぐな」


「断る!嫌だ!くたばれあそばせ」


 チーム代表は肩をすくめた。が、特に焦った風でもない。はいはい、ここまでは予想通りなわけね。そういうとこが嫌いなんだ。シナリオ通り、指示通り、コイツの下でレースするのは二度とごめんだ。


「俺は今、ただのメカニックの一人ですよ」冷静さを取り戻す。「次のレースに間に合うわけがない」


「問題ないことは君が一番良く知ってるはずだよ、レイ。まだ鍛えてるそうだね」


「はぁ。筋トレくらい、誰でもするでしょう」


「シミュレーションまでやってるのにか?」


 認めましょう。俺はもう一度レースがしたいと思いながら燻っていた。メカニックの仕事にしがみついたのも、そのせいだ。認めましょう。この部屋に入った時点で俺の負けだった。プライバシーを知らないサルは、最盛期を過ぎた男が見る痛々しい夢さえ暴いてることだろう。


「クソ野郎」蛇口が馬鹿になって口から汚い言葉が漏れた。でも別にかまいやしない。「だけど、それは乗る理由であって、乗らなくちゃいけない理由じゃないはずだろ」


「もちろん。君には選択の自由がある。最後の選択だがね」


「最後?」


 思わずチーム代表の欲しい言葉を吐いてしまう。蛇口を直さないと。チーム代表は表情の奥でニヤリと笑った。長年コイツの顔を見てきた俺にはそれが分かった。


「これを蹴ったら、君を二度と乗れないようにする」


 最悪だ。コイツがそうすると言ったら、必ずそうなる。どんな手を使ってでも、俺のことを潰しにかかってくるだろう。fdjkl(FUCK)。俺に残された道は二つ。俺とコイツの望みを叶えるか。仲良く二人で負けるか。


 俺についての新しい情報。チーム代表のことは嫌いだが、負けるのはもっと嫌い。他人の運転も嫌い。シイタケも嫌い。うるさい女も嫌い。分かってることを何度も確認されるのが嫌い。雨の日に服が濡れるのが嫌い。etc...


 好きなのはレースで勝つこと。

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