第5話心のリン

 今日は林心と燐火が買い出しに行っている。

 二人のことだから、当分帰ってこないだろう。

 リンの部屋のパソコンで輪廻がイヤホンをして音楽を聴いていた。

 デスクのコップが空になっていたので、リンは気を利かせて、おかわりのお茶を持ってきた。

 輪廻専用の蝶のコースターに置く。

「輪廻、何を聴いてるの?」

「当ててみる?」

「ええと、かえるの歌!」

「ちがうだろう」

 輪廻は違いすぎて笑った。

 輪廻はイヤホンをイヤホンジャックから外してパソコンのスピーカーから流す。

「あ、これ聴いたことある。でも曲名がわかんないや」

「これは『魅惑のワルツ』って曲だよ。社交ダンスでよく使われる曲だね」

「輪廻、社交ダンスするの?」

「そんなに上手くないけどやってたよ。組織に社交ダンス趣味にしてる人がいて、その相手をしてたことがあるんだ」

「へえ、ぼく、盆踊りしかしらないから、すごいと思うよ」

「リン、社交ダンスやってみる?」

「できるの?」

「おれに合わせて、適当についてくるくらいなら、できるんじゃないかな」

「やってみたい。輪廻はどんな社交ダンスできるの?」

「ワルツとタンゴかな。ワルツは初心者向けだから、ワルツやってみようか」

「タンゴやりたい!」

「ワルツやってみようか」

「うん、わかった」

「じゃあ、おれが男役でリードするから、リンは女役でついてきて」

 魅惑のワルツに合わせて、輪廻がリンをリードしながら、部屋の中を周る。

 リンはデタラメだが、それなりに形になっている。

 リンには社交ダンスのセンスがあるのかもしれなかった。

「そう、その調子でついてきて」

「輪廻、ずっと同じ動きしてるけど、なんで?」

「これはクローズドチェンジってステップだよ。リン、覚えてみる?」

「覚えてみたい」

「それじゃあ、一人で女役をやるから、その動きを見ながら、リンもついてきて」

「うん、ついてけばいいんだね」

 輪廻がゆっくりステップを踏む。それに子猫のようにリンも真似する。

 何度か繰り返しているうちに、リンのステップが様になってきた。

「うん、できてるね。リンは物覚え早い方?」

「ううん、悪い方だけど」

「それにしてはよくできてるね。この調子ならナチュラルターンも覚えられそうだな」

「それも社交ダンスのステップなの?」

「ワルツの基本の動きだね」

「それもできるようになったらワルツできるようになるの?」

「なりはしないけど、素人がみたらできてるようには見えるね。基本の動きはもっとあるけど、とりあえず、2つだけ覚えてみようか」

「わかった。やってみる」

 そして、ナチュラルターンの訓練も始まった。

 リンは曲の強弱を理解しているらしく、曲に合わせて優雅にステップを踏んでいた。

 じぶんの動きをただ真似ているだけでないことに、輪廻は気づいて感心していた。

「できるようになってきてるから、今度は曲を変えて、クローズドチェンジとナチュラルターンを組み合わせて踊ってみよう」

「なんて曲、流すの?」

「聴いてみてのお楽しみ」

 輪廻がパソコンのマウスをいじってお目当ての曲に合わせた。

「聴いたことある。テレビとかでときどきBGMで流れてるやつだ。曲名は知らないけど」

「これは『ティファニーで朝食を』という映画で使用されてる曲で『ムーン・リバー』っていうやつね」

「月に川なんてないのに、変なの」

「リンらしいね。たぶん川に映る月のことだと思うよ」

「そっか」

「それじゃあ、踊るよ」

「わかった」

 2人のワルツが始まる。初心者にしては上手く踊れている。輪廻のリードが上手いのとリンの曲に合わせた動きがそう見せているのだろう。

「輪廻は『ティファニーで朝食を』を観たことあるの?」

「あるよ」

「どんな話だった?」

「いけすかない女を好きになった男がなりゆきで上手くいく話かな」

「どんな話か、想像できないや」

「女がオードリー・ヘップバーンでなければ、作品は失敗だったろうね。女の性格がめちゃくちゃだから」

「へぇ、オードリーでもってる映画なんだ」

「春日でもってるオードリーみたいな言い方だね」

「若林、面白いけど、ふつうだから」

「春日はつまらないけど、ふつうじゃないね」

「どう、ぼく、上手くなった?」

「上手いよ、今度はリンが男役やってリードしてみない?」

「やりたい」

「それじゃあ、交代だ」

 リンは特にリーダーを習っていたわけではなかったが、輪廻の動きを見ていたらしく、それなりにリードできていた。

「輪廻のほうが背が高いからちょっとおかしいや」

「気にしない。よくステップできてると思うよ」

 リンは初めてのことなので、真面目に踊っている。輪廻はどこか女役を楽しんでいるようだった。やってみたかったのかもしれなかった。

 そうこうしているうちに、時間は過ぎて、

「ただいま」

 林心と燐火が帰ってきた。

 輪廻は曲を止めて、何事もなかったように二人を迎えに玄関へと行った。

 リンは初めての社交ダンスだったため、汗でびっしょりになっていた。急いで服を着替える。

「リン、飯作ってくれ」

 リビングから燐火の催促の声がする。

「いま行くから、ちょっとまって」

 なにかと忙しいリン。だが、リンは新たな趣味を見つけたのだった。

 

 

 

 リンのおばあさんの年金が入る預金通帳の口座がまた目減りしている。

 原因はやはり燐火だった。

「おまえ、高いデジカメ買っただろ。なぜ中古にしない?」

 林心が燐火を問い詰めている。

「デジカメは性能が命なんだよ。いいの買わないと意味ないんだよ」

「それで何を買ったんだい?」

 輪廻は燐火の性能云々が気になっている。

「ミラーレス」

 デジカメにはセンサーが小さいコンデジと呼ばれるふつうの人が買うものと、初心者カメラマン向けのセンサーが少しだけ小さい一眼レフでAPSーCサイズ、フィルム時代から続くサイズのフルサイズ、そして、比較的近年開発された技術のミラーレスがある。燐火が購入したものはもちろんかなりの代物のものだ。

「おまえ、バイト代の数倍の値段のやつにしてるだろ。いい加減にしろ」

 林心は呆れ返っている。

 リンはといえば、代引きで届いたばかりの燐火のデジカメに目を奪われていた。

「すごくごついね」

「だろ。カメラはやっぱこういうのでなきゃな」

「これでなに撮るの?」

「オレはポートレート専門で撮ってたから、今回も人物撮るな。リン、おまえも被写体になれよ」

 燐火がデジカメを構えながらレンズをリンに向ける。

「レンズがもう一個あるね」

「それは50mmの単焦点レンズだな。いま付いてるのが24mmから85mmのズームレンズっていって、色々焦点距離を変えられるやつだ」

「なんでレンズ2つ買ったの?」

「使い勝手がいいのが、ズームレンズなんだが、ちょっと写りが物足りないときとかに、単焦点を使うとシャープに撮影できる」

「へぇ、燐火って何でも知ってるね」

「まあ、何でも知ってるからオレなわけだけどな」

「これ、おまえに使いこなせるか。以前、おまえが持っていたのより断然機能が多いぞ」

 輪廻が取扱説明書を捲りながら怪訝そうに言う。

「オレにかかれば何も問題ない」

 いつも問題だらけなので説得力ないのに、自信満々な燐火であった。

「とりあえず、こいつから趣味を取り上げないと、なにも始まらんな」

 林心は核心をついた。

「もう買ってしまったものはしょうがないから、いい作品を仕上げてこいよ」

 どうも子どもっぽいところのある人間には甘いところがある輪廻である。

「まかせとけ。良作、量産してくるからさ」

 燐火は愛おしそうにカメラを触りまくっている。

「期待してるよ。燐火」

 リンは面白い作品を心待ちにしているが、これから燐火の嗜好の餌食になるとは、このときはまだ、つゆとも感じていなかった。

 

 

 燐火はさっそく撮影スポットを見つけた。

「リン、面白い場所を見つけたぞ。アリオのそばに神社があるだろ」

「香取神社のこと?」

「そう、そんな名前だった気がする」

 亀有香取神社。歴史は古く、創設は740年前に遡る。当時は亀梨とか亀無と呼ばれていたが、江戸期に改められて現在に至る。亀有の歴史とともに人々を見守りつつ歩んできた神社である。

「今から、写真、撮りに行きたいんだが、リンもついてきてくれないか」

「いいよ。アリオに買い物に行きたかったところだから、そのついででいいなら」

「被写体にするつもりだから、いい服装でこいよ」

「わかった。じゃあ、お気に入りの服で行くね」

 すぐに着替えてくると、燐火は微妙に嫌そうな顔をした。

 リンの服装が絶妙にダサかったのである。

「・・・チェンジで」

「なんでだよう」

「その服装、ゴチャゴチャしすぎてて、なにを主張したいんだか、わけがわからない。そんなもので写真が撮れるか」

 リンが燐火に怒られるのは珍しかった。

「ふつうの服装のがまだまし」

 と言う燐火の言いつけで、リンは仕方なしにいつもの服装に着替え直してきた。不満たらたらである。

「あとはレンズを持ち歩くのにバッグが必要だが、金がなくて買えなかったから、トートバッグで代用するか」

 燐火は引っ越しのときに持ってきていたトートバッグから荷物を取り出した。どれも趣味のものばかりであった。

 多趣味な燐火らしい荷物だったが、その中に声楽の教本があるのをリンは見つけた。

「燐火、歌、歌ってたの?」

「そういえば、そんなこともあったな」

「ねえ、歌はうまいの?」

「練習すれば。以前は一番のオレの趣味だった」

 なんと一番金がかからないものが燐火の一番の趣味であった。

「いまは練習してないね」

「まあ、声変わりしてしまってからは、歌ってないな。仕方のないことだが」

「そっか。惜しいことしたね」

「・・・さあ、用意はできた。神社に行くぞ、リン」

 燐火が立ち上がると、無駄話でぼけっとしているリンに呼びかけた。

 

 

 2人が神社にやってくると、鳥居前でおかしな顔の2頭の亀の像が参拝者をお出迎えしている。リンのお気に入りの亀だ。

「これこれ。こんな顔の亀、いままで見たことない。ここで1枚撮るぞ。リン、口の空いている方と閉じている方のどちらが好きだ?」

「閉じている方」

「んじゃあ、空いている方で」

「そんなんだったら、聞くなよ」

 いいながらも、口の空いている方の亀の前に立つリン。

「おまえ、オレを怒らせたいのか?おまえで亀の顔がよく見えないだろ」

「亀、背中だからわからないんだよ。だったら、ちゃんと指示出してよ」

「もう少し右に行ってくれ」

 リンが右に動くと、今度は左に行けと燐火が指示する。

 リンはわけがわからなくなっていた。

「もう、どっちいけばいいんだよ」

「いまは構図を探ってる段階なんだ。ぐちぐち言うなよ」

 何度か左右に動いているうちに、燐火が今度はうーんと悩みだした。

「なにかおかしい。構図はいいはずなんだが、絵がしまらない」

「それは燐火の腕が悪いんじゃない?」

「それはないな。・・・リン、浴衣をもってるか?」

「甚平ならもってる。男だし。浴衣はおばあちゃんのがあるよ」

「それだ。リン、おばあさんの浴衣を着てこい」

「は?」

 燐火がとつぜん突拍子もない事を言いだした。

「そのしまらない顔にしまらない服装、どうやっても絵になるわけがない。浴衣で誤魔化そう」

「そんなの嫌だよ」

「いいや、ダメだ。リンが浴衣を着てこないと、これは終われない」

 燐火は譲る気がまったくない。

「・・・わかったよ。着てくればいいんだろ、着てくれば」

 リンはやけっぱちになっていた。

 しばらくして家に戻っていたリンがおばあさんの浴衣を着て、恥ずかしそうに神社にやってきた。

 燐火の表情が変わる。いい感触のようだった。

「やっぱ、オレの分析は間違ってなかった。リン、浴衣似合ってるぞ。これならいける」

「御託はいいから、はやく撮ってよ。めっちゃ恥ずかしいんだ、こっちは」

「わかった。すぐに撮ってやる。7番目の位置に立ってくれ」

「そんなの覚えてるはずないよ。ドコ?7番目」

「そこから少し左だな」

 ようやく燐火の撮影がはじまった。パシャパシャ何枚も撮っている。

「1枚だけ撮るんじゃないの?もうけっこう撮ってる気がするけど」

「コレ、という1枚を撮るには何枚も撮るんだよ」

 そうやって20回くらい、撮影したところで、燐火の手が止まる。

「もう終わり?」

 リンが確認すると燐火は否定した。

「いや、単焦点で1枚撮りたい」

 燐火はトートバッグに入った単焦点レンズを取り出すと、ズームレンズを外してレンズを交換した。

 今度は燐火の方が右に左に前後に動き出す。それをリンはキョロキョロしながら目で追っている。

「なにやってんの?」

「いま、コレ、という距離とアングルを探ってるんだよ。黙って見ていろ」

 燐火は熱が入ると、凝りだすようだった。

 構図が決まったのか、燐火は立ち止まるとパシャリと1枚だけ撮影した。

「まだ撮らないの?」

「コレ、という感覚があったからな。ここはこれで終わりだな」

「ここは?まだ撮る気なの」

「ああ、別の撮影スポットもあるのにもったいない」

 そうやって鳥居の内側に入ると、神社の庭に何箇所かある撮影スポットを順々に巡りながら、また同じことの繰り返しをしている燐火とリンであった。しばらくすると、林心と輪廻が様子を見に神社にやってきた。

「よくここだとわかったね」

 リンがすごいことだと感嘆すると、

「まあ、俺の的中率は100パーだからな」

 と林心は当然のように言う。

「そろそろ撮影は終盤かな?」

 輪廻が尋ねる。

「ああ、もう充分撮った」

 スッキリしたように燐火は晴れやかだ。

「じゃあ、迷惑料もこめて、お賽銭投げてお参りしてこい」

 林心の命令に従って、4人揃って御社にお参りした。

 燐火は内心ここの絵も撮影したかったが、ここはさすがに我慢するのだった。

「さあ、撮影も終わったし、はやく帰ろう。もうこの格好、限界」

 リンはうんざりしている。

「リン、なにか忘れてない?」

 輪廻がそっと言うと、リンは思い出したように、ああ、と大声をあげた。

「アリオ行くの忘れてた。この格好で行くの、すごく嫌なんだけど」

「大丈夫だ。オレたちがついている。安心して買い物してこい」

 突き立てた親指を胸に当てて、力強くいう燐火であった。いったい誰のせいでこんなことになったのだろうか。

 

 

 

 林心が荷物をいっぱいにして帰ってきた。

 アリオ近くの材木店へ行ってきたのだ。

「リン、最初、店内に入ったとき最前列しか明かりが付いてないから、やってないのかと焦った」

「でも、買えたんでしょ。良かったじゃん」

「店主に相談したら、ノコギリだけじゃできないって言われて、いろいろ道具も買わされた」

「これから、三節棍作るの?」

「ああ、ちょっとうるさいかもしれないし、掃除が面倒になるけどいいか?」

「別に構わないよ。ぼくの部屋にブルーシート敷くから、そこ使って」

「助かる」

 林心はさっそく、目分量で角材を切り出した。定規で測ったりしない、アバウトで豪快な林心流だ。

 木材を三つに切ると、今度はそれを並べて、長さを統一して切る。

 そうしたら、買ってきたばかりのカンナで四隅の角を削り落としていく。

 四角い木材が八角形になり、握りやすくなっていった。

 そして、紙やすりでこすり、できた角を丸くしていく。

「まあ、これくらいでいいだろう」

 握り具合を確かめる林心。

 次に、カギ型の金具を木材の端にねじ込んでいく。真ん中にする予定の木材は両端にねじ込む。

 ねじ込み終わったら、金具同士をひっかけて、空いている隙間をハンマーで打ち込んでつぶしていく。

 こうして、林心のお手製三節棍はできあがった。林心は満足げだ。

 だが、これだけでは終わらない。

 余った木材にも同じような作業を繰り返して、金具にひもを通して。ヌンチャクも作ってしまった。

「なんでヌンチャクも作ったの?」

「これはリンのだ。いつも世話になってるからな」

「えっ?いいの?」

「前に、埋め合わせすると言っただろう」

「憶えていたんだね。べつにいいのに」

 そう言いながらも、リンは嬉しそうだった。

「リン、試してみたいことがある。俺がいいと言ったら、ヌンチャクを振ってみてくれ」

「うん、わかった」

 リンが部屋の中央に立つと、林心は少し離れた場所に立って、三節棍の中部を握りしめて、静かに目を閉じた。

「いいぞ。振ってくれ」

「あちょー!」

 とリンは叫んだが、動いてはいない。フェイントだが、林心はピクリとも動かない。

「あちょー!」

 リンはまたもや動かない。林心も立ち尽くしたままだ。

「あちょー!」

 リンがヌンチャクを振った。すると、林心はすかさず脚はそのままで、腕だけ振って、三節棍の先をヌンチャクに当ててきた。

 カン、と乾いた木質独特の甲高い音が鳴る。

「すごい。林心、見えてないのに、どうしてわかったの?」

「じつは薄目を開けている」

「なんだよ、見えてるのか。尊敬して損した」

「そんなことないぞ。もう一度振ってみろ」

 薄くにやけながら林心が言う。

 リンはあちょー!言いながら動かず、三度目にまたヌンチャクを振った。

 林心の三節棍が蛇のように宙を舞い、カンと音を立ててヌンチャクを当てた。

「ワンパターンだな」

 と煽る林心。

「どうせ見えてるんだから、林心の動体視力なら当てて当たり前だよ」

「今度はちゃんと目を瞑っている」

「違いがまったくわからないよ。どうなってんの?」

 リンは林心の直感力に驚いている。

「見えなければ、心の眼で見ればいい。それだけだ」

「心の眼なんて、普通の人は見ても、現実と一致しないって」

「おかしいな。そんなはずないんだが」

「林心がおかしい。絶対」

「おかしいか、おかしくないかはリンも試してみればわかる」

「じゃあ、やってみるよ」

 リンは目を閉じてヌンチャクを構えた。精神を集中する。

 林心が軽めに三節棍を振る。だが、リンはピクリとも動かない。

 林心がもう一度三節棍を振ってみた。リンは動く気配すらない。

 何を思ったのか、林心は三節棍をブルーシートの上に置いてみた。

 すると、リンのヌンチャクが飛んで空を斬った。

「ほう、やるじゃないか」

「どうして?ヌンチャク当たってないよ」

 リンはなにがなにやらわけがわからない。

「敵が油断したところを狙う。闘いの基本だからな。リンはそれができている」

「できてるの?全然わかってないんだけど」

「リン、じぶんの心の眼を信じろ。そうすればきっと上達する」

 林心にはリンに対して何か強い確信があるようだった。

「心の眼、心の眼、、、今、ぼくの心の眼では林心がエビフライと裸踊りしているよ」

「何考えてんだ、おまえ」

 林心はリンの発想力に呆れて、さっきまでの気持ちが冷めていく。せっかくのいい話が台無しである。

「たーだいまー」

 と間延びした燐火の声がした。輪廻と燐火が家庭教師のアルバイトから帰ってきたのだ。

 リンは二人にヌンチャクを見せびらかそうと、玄関へと走っていった。

 一人、部屋に残された林心は三節棍を持ち上げると、姿勢を正して、リンのいた場所に向かって一礼をするのだった。

 

 

 

「リン、いつパソコン使ってんだ?」

 燐火がようやくリンがパソコンに触ってすらいないことに気づいた。

「別に使ってないよ。特に使う用事もないし」

「なら、なんでパソコン買ったんだよ」

「それはときどき詩の投稿サイトに自作の詩を載せるためだね」

「おまえ、詩なんて書いてたのか」

「今はいろいろ忙しくて何にも思いつかないから、特にパソコンを使ってない」

「それじゃあ、今まで通りオレが使ってていいわけだな」

「もちろん、みんな使ってていいよ」

「リンって、いったいどんな詩を書くんだい?」

 輪廻がリンの詩に興味を持ったようだ。

「えっとね、プリントアウトしたやつがあった気がする。ちょっと待ってて」

 そういうと、リンは机の棚を漁りだした。

「あった、あった。これだよ」

 リンは一枚のA4用紙を取り出して、三人のリンに見せる。

「どれどれ」

 林心が覗き込む。

 

 

 高原の向こうに広がる

 アイスグリーンの空

 その下で

 咲き誇る飴色の草花

 やわらかな川が流れて

 一筋のきらめきが粒子の粉を纏い

 さんざめくのは

 ひとりぼっちの

 雲から落ちる雨

 ぼくの手の指先から

 小さな水玉が立ち昇り

 雨粒とは逆方向に交差して

 ゆらゆらとゆっくり

 昇天していく

 ぼくの全身が濡れていて

 うなだれるぼくを

 乾いた目が

 じっと見つめている

 

 

「へー、こんなの書くのか。上手いのか下手なのか知らないが」

 燐火は詩の内容が理解できていなかった。

「なんかきれいな情景だね」

 輪廻はある程度理解できるのか、リンの詩を褒めた。

 林心は黙ったまま詩の内容を考えているようだ。

 しばらくして林心が口を開く。

「なにかおかしいな」

「どこらへん?」

「やわらかな川」

 林心が指摘すると輪廻と燐火も押し黙って考え込みだした。輪廻は顎を撫でている。

「やわかいのはリンの心だろ」

 林心の直感が働く。

「たしかにリンの心はやわらかい。これってもしかして心象風景か?」

 燐火が林心の言葉をきっかけに分析力を発揮しだした。

「おれもリンの心象風景に思えてきた。リンの心には川が流れている」

「へー、そーなんだ」

 リンはぼんやりと納得しているようだ。

「リン、じぶんの川がどんなか想像できるか?」

 燐火に言われてリンは悩みだした。詩を書いているときにどんなだったかなんて、もう忘れ去っている。

「川は水だし、無色透明なんじゃないの?」

 リンは適当に答えた。だが、それに反して三人のリンは真剣になっていった。

「・・・リン、川はふつう濁っているんだよ」

 輪廻が諭すように言う。

「無色透明の川は清流しかない。リン、おまえの心の川は清流だ」

 燐火は答えを見つけたように、リンに強い視線を送る。

「心に清流が流れてるのか、リン。おまえ本当に透き通っているんだな」

 林心はいつもリンから透き通るまなざしを受けてきただけに、得心していた。

「それってすごいことなの?」

「すごいわけではないが、そんなやつ滅多にいない。俺の経験上だと、皆無といっていい」

「なんだ、すごいわけじゃないのか」

 リンは少し拍子抜けた。

「すごいかすごくないかは、その人の辿った道によるからな。リンは素質はあっても、持ち腐れ気味だからな」

 林心の言うことはもっともなことであった。

 そう言われてもリンはこれから何をすればいいのか、皆目見当がつかない。リンとしては三人のリンといる毎日がもっとも重要かつ不可欠なものであって、それ以外のことなど考えにも及ばなかった。

「どうしたらいいか、わかんないや」

「リン、何がしたいか言ってごらん」

 輪廻は優しく促した。

 リンは悩んだ。悩んだ末、やはり思ったままのことを言うことにした。

「また、みんなと美術館に行って、見て回って、感想を言い合いたいかな。今、上野の美術館でデ・キリコの企画展がやってるんだ。ヘンテコな絵を描く人。それをまた一緒に見に行きたい」

「リンがそうしたいなら、それが一番の道なんだろう。一緒に行ってやる」

 林心の心強い言葉がリンに響いた。

「じゃあ、今度日取り決めて、みんなで行こうね」

「いいぜ」

 燐火の明るい返事に期待を膨らますリンであった。

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