第4話月のリン

「芸術は、だいばくはつだああああああああ!」

 リンが叫びながら、両手をぱあっと広げる。

「岡本太郎だね、間違ってるけど」

 輪廻がリンの言いたいことを言い当てた。

「いま、表参道の岡本太郎記念館てところで、『タローのダンス』って企画展やってるんだ。できたら、みんなで一緒に行こうよ」

 リンはワクワクが止まらないようで、興奮気味に誘った。

「表参道か、少し遠くないか?」

「林心、遠くないよ。すぐだよ」

 リンの距離感覚はいまいち三人のリンには理解不能であった。亀有から表参道までは千代田線一本で行けるとはいえ、40分という中途半端な時間がかかる。

 リンのつぶらな瞳がキラキラしている。これを断れないのが三人のリンであった。

「行くか」

 と林心が言うと、輪廻と燐火がにこやかにうなずいた。これで決定である。リンの表情が満月のように明るくなった。

 亀有駅から千代田線に揺られながら、岡本太郎を求めて表参道へ。

 表参道といえばハイセンスな街に様変わりしている。有名ブランド店やハイソな店が点在しており、下町亀有でふつうに着ている服装のままで来ている三人のリンとリンは、まるで気楽な観光客のようであった。途中までは根津美術館へ行くルートと同じで、根津美術館の手前で閑静な住宅街へと折れる。ところどころ道に迷いながら、戸惑いながら歩いていくと、ひときわ奇抜な建物を見つけた。

 岡本太郎の元自宅兼アトリエであった岡本太郎記念館である。

 建物の前方左手はちいさな喫茶店になっていた。右手には緑生い茂る庭が広がっている。

 その小路の先に、玄関があった。受付で入場料を支払う。小さな美術館なので通常の美術館の半値である。入口というより玄関なので、棚に靴を入れてスリッパに履き替えて内部へと入ることになる。

 建物は元は吹き抜け部分を改造して2階構造になっていた。

 まずは1階の右手の部屋にはいる。岡本太郎のアトリエだったところだ。

 中は岡本太郎の太陽の塔のミニチュアを始めとした造形コーナーとなっていた。

 1970年の大阪万博での岡本太郎は未来から来た縄文人のように、当時の人々には見えていたのかもしれない。それほど岡本太郎作品と縄文式土器との親和性は高かった。炎のような突起の曲線が特徴的な造形作品群。

 これらがリンの目にはヘンテコなオブジェに見えている。リンは食い入るようにじっと眺めている。

 2階にあがると、幾点もの絵画が飾られていた。

 色彩の轟竜のごとき流れが目を引く力強い絵画。

 見る者を圧倒する奇なる形。

 それがリンの目にはヘンテコな絵に見えている。リンはすこし距離を置いて全体を眺めるように見つめている。

 いつの間にか三人のリンとは離れ離れになっていた。各自好きなように作品に触れ合っている感じだ。

 それがここでは正しい見方なのかもしれない。自然と体感型美術館の様相を呈している。

 館内のすべてを見終わったリンは、受付の後方にあるグッズ売り場で、何を買うわけでもなく商品を見ながら、三人のリンを待っていた。

 すると外から三人のリンがやってきた。

「リン、庭にも作品があるぞ」

 林心がリンを誘った。

 三人のリンについていって、外へ出ると小路が整備された場所へと出た。

 庭を眺めながら歩いていくと、緑の中からとつぜん異質な造形物がある。

 何を表現したいかは皆目見当がつかないものの、何かを表現したいという意志ははっきりと感じ取れる手の込んだ造形だった。

「これで全部観終わったな」

 ぽかんとオブジェを眺めているリンに、林心は言った。

「そろそろ帰ろうか」

 輪廻が観覧の終わりを告げた。

 はじめに来た道を戻って帰る。

 途中、リンは美術館の喫茶店に観光客と思しき黒人男性がぽつんとコーヒーを飲んでいるのを見かけた。

 狭い喫茶店の中の狭い隙間の狭いテーブルに、身体の大きな黒人男性が身をかがめて、小さくなってコーヒーで一服している。

 それがリンの目にはおかしく見えていて、自然と見つめてしまっていた。

 黒人男性がリンの方を見る。リンの存在に気づいていたようだった。

 互いを見つめあう2人。

 そこに愛はない。ものの愛ではない感情ではない、不思議な感覚の何かわからない繋がりが空間を作り出している。

 たのしい体験をしたと、リンは思った。

 帰りの電車内、輪廻はリンに岡本太郎作品はどうだったか尋ねた。

「芸術が、だいばくはつしてた」

 リンは芸術の何たるかを知らないから、リンの目で観たままの素直な感想である。

「色使いが凄かったな。怒り狂ったような色の感情の波だった」

 というのは燐火である。

「岡本太郎って人間に興味がある気がしたな。どの作品にも顔とか人型があって、意識からそれが離れられないようだった」

 輪廻は作品をよくみていた。

「ところで、俺はどれも踊ってるように見えて仕方なかったんだが、踊ってるのとそうでないのと、リンには違いがわかったか?」

 林心に聞かれて、リンは少しぼおっと考え込んだあと、

「うーんと、わかんない」

 と答える。

「そっか、わかんないかあ」

 燐火はリンを子どものようにあしらうのであった。

 

 

 

 リンは4人分の食料を買い出しにスーパーに来ていた。

 入口の軒下に露店が出ている。瓶詰めのプリンを売っていた。客は誰もいない。それを横目で通り過ぎて、リンは店内へと入っていった。

 買い出しを終えて、荷物でいっぱいになった状態で帰ろうとしたが、瓶詰めのプリンの露店に客が1人もいないのが目についていた。

 ショーケースのプリンを見ると、1つでおよそ500円する。それなりに高いプリンでも2つ買える値段だ。高すぎて誰も買おうとしなかったようであった。

 リンは高級プリンを買うつもりなんてさらさらなかったが、客が寄り付いていないのが気になっていた。

「プリン、4つください」

 気づいたら、注文していた。

「どれにします?」

「何種類あるんですか?」

「4種類ですね」

「じゃあ、4種類、1つずつください」

「わかりました。2632円になります」

 リンは5千円札を出す。

「お客さん、2千円札って知ってます?」

 とつぜん店員が質問してきた。

「知らない。ナニソレ」

「昔、あったんですよ。それが前に来たお客さんから、2千円札を出されて、今あるんですよ。お客さん、お釣りで2千円札いりますか?」

「うーんと、じゃあ、ください」

「はい、毎度」

 リンは利用価値のほとんどない2千円札を受け取った。

 このあとリンは2千円札をお守りのように大事に取っておくことになるのだった。

 

 

「この前のプリン、マジで美味かったな。リン、見る目あるな」

 燐火はプリンの値段も知らず、リンを褒めた。

「リンはやればできる子なんだよね」

 輪廻もまたプリンの値段を知らない。

「俺はまあ、ふつうだったな」

 林心に高級プリンを振る舞う必要なんてなかった。

「露店で売ってただけだから、また欲しくなっても、もうないよ」

「惜しいことしたな。どんな名前か確認しておけば、オレがネットで調べられたんだが」

 いつの間にかパソコンが燐火の持ち物になっていた。

「一度きりだから、美味しさも人一倍よく感じられたんだよ」

 輪廻が悟ったようなことを言う。

「俺は『プッチンプリン』でいいかな。あの山の形は最高だ」

 林心にとっては、逆さに取り出すプッチンプリンのアイデアが優っているようであった。

「ねえ、みんな、ところで2千円札って知ってる?」

「もちろん知ってるが、それがどうした?」

「なんだ。燐火、知ってるのか~」

 リンはつまらなそうだ。

「なんでいきなり、2千円札が気になるんだ?」

 林心が怪訝に思ってリンに尋ねる。

「この前さ、はじめて2千円札を見たんだ」

 リンは打ち明けた。

「なるほどね。それで、どうだった?2千円札の感想は。ちなみにおれはふつうだったね」

「うーんと、ふつうかな。珍しい色だったけど」

「だろ?あんなの、あってもなくても同じなんだよな」

 燐火は2千円札を空気としか見ていなかった。

「2千円札には悪いが、居場所のないお札って、作って何がしたかったんだ?」

 林心は素朴な疑問を投げかけた。

「たしか、当時は景気が後退してて、景気回復と沖縄の地域振興が目的だったような」

 遠い知識を頼りに、輪廻がなんとか解説する。解説は輪廻の役目だ。

「それで上手くいったの?」

「リン、上手くいってたら、おまえ別世界の住人だぞ」

 燐火のツッコミが冴えわたる。

 存在感も社会的価値もない2千円札。

 それを大事に持ってるとは、リンは言い出せなくなっていた。

「まあ、今度お札が新しくなるらしいし、そこに2千円札の新札もあったら、面白いよな」

 燐火は2千札をもうネタとしかみていなかった。そこに貨幣価値があるとは認識されていないようだ。

「もしさ、2千円札が道端に落ちていたら、拾う?拾わない?」

 言っておいて、リンは自分でもよくわからない質問をしたと思った。

「むずかしいな。橋本環奈が可愛いか、可愛くないか、くらい、むずかしい問題だ」

 林心はふざけだしていた。だが、そのおかげで意図がイマイチ不明な質問をしたリンには救われる言葉だった。

「じゃあ、橋本環奈は可愛いから、ぼくは拾うね」

「リンがそうしたいなら、そうすべきだろうね」

 輪廻はリンに甘くなりがちになっている。

「オレは見ても、ああ2千円札があるなで、素通りするな。あと橋本環奈は別に可愛いとは思わないな」

 燐火が橋本環奈を気に入っていないのは、キャラ的に意外であった。

「なあ、リン。話は変わるが」

「なに?林心」

「今度プリン買うなら、プッチンプリンにしてくれないか。だんだん食べたくなってきた」

「わかった。プッチンプリンでいいんだね」

「そうだ。アイ・ラブ・プッチン!」

「ユー・ラブ・プッチン!」

 輪廻が乗ってきた

「ウィー・ラブ・プッチン!」

 燐火はお調子全開だ。

「ええと、トゥルー・ラブ・プッチン!」

 つられたリンはプッチンプリンに真実の愛をささげる羽目になるのであった。

 

 

 

 リンの部屋に三人のリンが居座っている。

 それがいつもの風景と化していた。

 例によってリンがお盆に4つの麦茶を乗せてやってくる。

「冷めた麦茶のお通りだあ」

 リンがコップを畳にじか置きしようとしたそのとき、

「ちょっと待った」

 と林心から声がかかった。

「何?なんかあった?」

「じつは、リンにプレゼントと言うか、渡したいものがあってな」

「プレゼント?くれるの?なに?」

「これだ」

 林心が小さな箱から取り出したのはコースターだった。

 4枚のコースター。

 柄がそれぞれ別で、個人のものを表しているようだった。

 お盆を脇において、コースターを手渡されたリンは柄をしげしげと見つめた。

「『龍』の柄は、林心のかな。中国でつよくて正義感もあるし、林心は龍の化身みたいなところあるから」

「当たり」

 輪廻が答える。

「それで、『蝶』は輪廻だ、きっと。イモムシからサナギ、そして蝶になるのは転生してるようだから」

「正解」

 燐火が答えた。

「『炎』はわかりやすいね。燐火だ。名前に火が2つついてるもの」

「それは当てて当たり前だったな」

 林心が感想をいう。

「てことは、残りの『三日月』がぼく?なんで?そんなイメージにないけど」

 リンは戸惑っていた。

「そんなことはない。月は満ちたり、欠けたりする。リンも元気なときもあればしょげてるときもある。秋の月は明るく、春の月はぼんやりしている。それもリンと一緒だ。俺たちから見るリンの姿、そのまんまだ。それと俺の直感が働いたんだが、リンはコップを畳の上に置くだろ。そのあとコップを持ち上げると、三日月状に濡れている。リンはそのことを別に気にしていない。もしかしたら、自分の写し鏡を見ているような状態で気にしていないんじゃないか、と踏んだんだ」

「じゃあ、ぼくは無意識に自分のことを月だと思ってるってこと?」

「そういうことになるね」

 輪廻は静かに言った。

「それじゃ、畳が濡れないコースター式を行うとしようか」

 燐火がおかしな儀式を提案する。

 リンは三人のリンの前にそれぞれのコースターを並べた。その上に麦茶のコップを置いていく。そして最後に自分の前に三日月のコースターを敷いて、コップを置いた。

「できた」

「それでは、月のリンの健康と繁栄を願って、乾杯!」

「乾杯!」

 林心が音頭を取って、輪廻と燐火が応じて叫ぶ。

「ええええええ?!」

 驚いているリンをよそに三人のリンは麦茶をグビグビ飲み干した。

「今日なんかの記念日なの?」

「そんなのはない。今日はただの月曜日」

 燐火が素っ気なく言う。

「月だから月曜日なんだ」

「それもたまたまだな」

 林心があっさり否定した。

「もう、わけがわからないよ」

 困惑している状態で麦茶を飲むリンに、三人のリンは笑っていた。記念になるいい笑顔で。

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