第3話泣きのリン

 リンの部屋のパソコンを燐火が占領している。

 パソコンでの作曲にドハマリして、日夜、初心者向けのサイトや動画を観ては、自分の曲を作り直している。

 燐火のいない時間は林心が占領している。

 林心は三節棍の使い方が我流のため、実際の中国拳法で使う三節棍との比較研究などをして、脳内でシミュレートして精進していた。

 輪廻もたまに使っている。

 リンがほとんど使っていないというか、三人のリンが来たときから、まだ一度もマウスに触ってすらいなかった。

 リンはといえば、学校の宿題をやったり、漫画を読み漁ったりしている。最近のお気に入りは『手塚治虫』。

 手塚作品は数あれど、いまリンが読んでいるのは『火の鳥』だった。

 何度読んでも飽きないのか、火の鳥を周回している。

 歴史・SFなどの設定や、人間のドラマティックな営みに興味が湧いているようだ。

 パソコンがあるせいで、いつの間にかリンの部屋が三人のリンのメイン拠点となっていた。

 三人のリンが外には明かせない話などがあるときは、リンが気を利かせて、料理番をやったり、リビングでテレビを観たりしている。

「話、終わったぞ」

 林心がリビングにきて、リンに報告する。

「ごはん、できてるよ。あったかいうちにはやく食べよ」

 リンは夕食を一緒にとることしか考えていない。

 これまで1人で黙々と食べていただけの時間が三人のリンがきて一変した。

 リンは一緒に食べる料理が楽しくてしようがなかった。

 特に何が変わったわけでもないのに、残さず食べてくれる三人のリンの存在が、リンにとって大きなものになっているのは確かであった。

 林心につづくようにして、輪廻と燐火がリビングにやってきて椅子に座る。

 リンはテーブルに用意しおいた皿に料理を盛っていく。燐火はもう箸を握って待ち構えている。

 料理の食べ始めは、いつも変わらない。林心が黙々と食べ始め、輪廻は「いただきます」、燐火とリンはふつうに食べ始める。

 食事中、リビングのテレビはつけっぱなしにしている。リンの祖母がいたころからの習慣である。

 テレビの中ではお笑い芸人たちがプロのアドリブ芸を披露しているが、誰も興味を持って観てはいない。

 テレビ局は偏差値40レベルのお笑いを追求していると言われており、そのレベルの人達が面白いと感じるようにどの番組も制作している。

 人が笑ってくれる最大公約数が偏差値40レベルだからなのだそうだ。

 だが、この場にいる4人とも、知性はそれから外れており、自然と興味から外れてしまうのだ。

 リンはもっと知的な笑いがあってもいいのにと密かに感じているが、テレビ局にその気がないのだから望むべくもない。

 アイデアを必要とするお笑いコンテストなどでは、その手の人たちもいたりするが、通常時のお笑いについていけず、フェードアウトしていく。日本のお笑い番組は偏差値40絶対主義と化しているので、三人のリンとリンが面白いと思えるような番組は今後も作られることはない。偏差値40レベルの世界だけで、あの手この手の奇をてらった番組が作られていくだけである。

 それより黙って食べるのを信条としている林心を除く3人のとりとめもない会話のほうが、リンには面白く思えていた。

「この前、ネットで調べていたら麦紅茶ってのがあってさ」

 燐火がまたぞろ変な話をしようとしている。

「ナニソレ?」

 変なもの好きのリンに引っかかる話だ。

「麦茶に紅茶をまぜただけなんだけど、全く想像もできない味で、すごいことになってるって、動画で配信者が言ってたな」

「麦茶に紅茶まぜただけなら、ふつうに想像できる味じゃん」

 リンは楽しそうにつっこむ。

「まあ、リンの言うとおりだね。動画ネタにしたいだけの誇張だね。それか配信者の想像力が致命的に欠如しているかのどちらかだろうな」

 輪廻は冷静に分析する。

「2人とも配信者の言う事は信じていないか。オレは信じるね。今度作って賭けてみようぜ」

「おいしいものをおいしくしなくするのは嫌だから、やらないよ」

 リンは変な話には興味はあるが、食べ物を不味くすることに意味を感じてはいない。

 3人が話している中、林心が食事を終えて、立ち上がる。そうして3人を冷淡に見下ろしている。まだ食い終わってないのかと言いたげである。

 林心の圧に負けて、3人とも黙々と食べることになった。

 食事が終わると4人で後片付けをすることになっている。

 さすがに4人なので片付けがサクサク終わる。

 あとは4人でリンの部屋でくつろぐ。誰も祖母の部屋には行かない。

「あのさ」

 誰にともなくリンが声を掛ける。

「ぼく、いつになったら四人目のリンになるの?」

「それはないな」

 燐火がパソコンの作業に集中しながら答える。

「リンはおまけだしな」

 林心にとってリンは三人のリンの条件に入らないと考えているようだ。

「おまけでなくなりたいんだけど、どうしたらいいか、わかんない」

 リンは意外と真剣に悩んでいるようだった。

「三人のリンは定員制だからね。リンが入ったら誰か抜けることになる。リンは誰が抜けて欲しい?」

 輪廻は酷な質問を投げかける。

「えー、誰も抜けてほしくない。だから四人のリンにしようよ」

「それは無理だな。三人のリンは元々義兄弟みたいなものだから、リンがどうしても入りたいなら、誰かが義兄弟の契りを解消したときだけだな」

 林心はあやふやな中国世界を例にして説明する。

「義兄弟の契りなんてやったの?」

「そんなのやってないな」

 燐火がパソコン画面から目を移さず答える。

「なんだよ。やってないのに入れないってどういうことなの?」

「三人のリンは長い年月をかけて自然発生的にできたものだから、固い絆でできあがっていて、異物は混入できないんだよ」

 輪廻が事情を説明する。

「ぼく、異物なの?」

 リンはかなりショックを受けている。

「異物っていうか、違和感だらけだな。おまえこそ、何者なんだ?」

 林心にとってリンはどこか理解不能な存在なのだろう。

「ぼくはリンだよ。上から読んでも下から見てもリン」

「それだよ。かなり独特な口上だと思ってたが、何かがおかしい感じが俺の感覚からビンビンしてきている」

「そっかなあ、思いつきで考えた、お気に入りなんだけど」

「なんか、発想が子どもっぽい気もするが、そうでない感じもする。俺の経験したことのない不思議な感覚なんだよな」

「そういえば、保育園のときは園児のリンだったな」

 燐火が茶化しにきた。

「この前は、天才のリンだったな」

 林心がリンの知恵に感嘆したときのことを思い出している。

「おまけ、園児、天才。二つ名を3つも持っているなんて、すごいことだよ。三人のリンである必要なんてないんじゃないか」

 リンには輪廻が感心して言っているのか、ふざけているのか、理解できていなかった。

 どう返したらいいかわからなくなってしまったリンは不満を抱えながら黙っているしかなくなった。

 そうして誰も喋らなくなり夜は更けていく。




 リンが林心のバイトの終了に合わせてデイサービスの前に迎えにきていた。

「よう、お待たせ」

 林心はタオルで汗を拭いながら、出てきた。どこか気持ちよさそうであった。

 林心を迎えたあとは、家庭教師のバイトをしている輪廻と燐火を迎えに亀有駅の反対側まで行く。

 駅前で待っていると輪廻と燐火がなにやら話しながらやってきた。

 こうしてみると仲の良い友だちのようであるが、実のところを言えば、寄り道しがちな燐火と林心を素直に帰宅させる輪廻のちょっとした策略であった。無論、誰にも言ってはいない。リンに迎えに来るよう伝えてあるだけである。

 駅を抜けて、4人で繁華街を歩いていると、風体の悪い男たちに絡まれてる2人の女性を見かけた。女性たちは怖がっているようだった。

「ナンパか」

 燐火が呟く。

 男たちの話の内容から察するに、一緒にカラオケに行って楽しもうということらしい。しかし、女性たちは警戒しているようだ。

 男の1人が女性の腕を強引に掴もうとした瞬間、林心が飛び出していた。

 林心の拳がその男の脇腹をえぐった。

 男は悶絶して薄いこんにゃくのように倒れる。

 驚いた他の男達にも林心の唸るような直線的なパンチが飛んで、あっという間に退治してしまった。

「すごいね。林心、つよい。中国拳法できるじゃん」

 リンは素直に感心する。

「あれはね、空手」

 輪廻がリンの勘違いを指摘する。

「空手は三人とも習ったけど、林心は素質があって、おれたちとはレベルが違う」

「へー、そうなんだ。全員武術を嗜んでいたんだね」

 リンは三人のリンについて、まだまだ知らないことが多いことを、今更ながら知った。

「お嬢さんたち、お怪我はないですか?」

 燐火がらしくない丁寧モードで女性たちに声を掛ける。

 事情がつかめず、その場で固まっていた女性たちが、はっと我にかえって礼を言い始めた。

「ほんとうに、ほんとうにありがとうございました。すごく怖い思いをして、逃げても着いてきてて、もうどう逃げたらいいかわからなくて」

「それは大変でしたね。とにかく無事そうでよかった」

 輪廻は女性たちにやさしく語りかける。

「・・・あの、私たちこれからカラオケに行く予定だったんですけど、良かったらみなさんもご一緒に行きませんか」

 なぜか逆ナンパがはじまった。

 そういえば、三人のリンは全員、超がつくほどの美男子だった、とリンは思い出した。リンはいつも一緒にいるせいで忘れてしまうが、三人のリンの美貌の前では、女性たちもつい欲望を露わにしてしまうのだ。

「悪いけど、いまから4人でやらないといけない用事があるんだ。だから、カラオケには行けない」

 林心が女性たちに説明して断る。

「そうなんですか、残念」

 女性たちは少し口惜しそうにしながら去っていった。

 一悶着を終えて、ふと三人のリンがリンを見ると、リンが1人大泣きしている。

「どうした、どうした?」

 燐火がからかい気味に心配する。

「わかんない」

 リンが鼻水をすすりながら、ぼそっと答えた。

「わからなくて、そんなに泣くやついるかよ」

 燐火が馬鹿にするが、リンは一向に泣き止む気配がない。

「ちょっと、どこかで休もうか」

 気を利かせて、輪廻が近くに落ち着く場所がないか見渡す。そして、ドトールを見つけた。

 『ドトール珈琲店』。駅前のイトーヨカ堂に隣接している2階にある喫茶店だ。

 輪廻と燐火が先に行き、後ろから林心がリンの手を引きながら、中途半端な広さの階段を上がっていく。

 店内の2人席で仕切りのない2テーブルに4人は座った。

 店員がやってくると、輪廻はすぐにホットコーヒー4人分を頼んだ。『ドトールブレンド』という一般的なレギュラーコーヒーだ。

「リン、なんで泣いてるのかわからないのか?」

 林心が尋ねても、リンは首をふるばかりだ。本当に本人もなんで涙が止まらないのか、わからないようだった。

「このコップ重いね」

 泣きながら、届いたばかりのコーヒーを手にとって、リンはすすった。どうやら悲しくはないらしい。

「なんか、心配しているオレたちが馬鹿らしいな」

 リンのちぐはぐな挙動に、燐火は呆れていた。

「とにかく、リンが大丈夫そうでよかった。リンがなんで泣き始めたのかまったく不明だけど」

 輪廻はコーヒーを飲むリンを眺めながら、安心する。

「ところで、4人の用事って何?ぼくなんにも知らないんだけど」

 リンは涙をポロポロさせながら、林心に尋ねた。

「そんなのはない。あのとき、ああ言って断っておかないといけないと思っただけだ」

「そうなんだ」

 時間を置いたせいか、リンの涙が少しずつ止まりだしていた。

 リンは熱いコーヒーをふうふう冷ましながら飲んでいる。

 そんなリンの様子をじっと見つめていた林心だったが、不意に何か気付いた。

「リン、おまえもしかして共感覚者か?」

「共感覚って何?」

「共感覚ってのは、感覚が何らかの事象のときに特別な反応を示すことだよ」

 輪廻が簡単な解説をする。

「・・・ぼく、共感覚なの?」

「ふつう、文字とか音とかに色反応がでるね」

「そういえば、特定の文字が紫色になるよ。これって共感覚?」

「間違いないな。リンは共感覚者だったわ」

 燐火が納得したように言う。

「リン、おまえが泣いていた理由がわかった気がする。コーヒー飲み終えたら、すぐ家に戻ってネットで確認しよう」

 林心には、心当たりがあるようだった。

 

 

 リンの部屋のパソコンデスクの前に林心が陣取り、その周りを輪廻・燐火・リンが取り囲む。

 林心がパソコンを起動する。

 じっと注視しているからか、ウィンドウズが起動するまで、いつもより長く感じられる。

 林心がブラウザの検索画面に『共感覚 嘘 判別』と書き込んだ。

 すると、見事にヒットするホームページがあった。

 それによれば、共感覚の中に嘘を判別できるものがあると書かれている。ふつうの人では聞き取れないような微細な声のニュアンスを正確に読み取って、嘘を判別できてしまうというのだ。

「ぼく、これで泣いてたの?」

「そういうことらしい。というか、俺には、それしか思い当たるものがない」

「リン、おまえ神の耳を持つ能力者だったのか」

 燐火が珍しくリンを見直している。

「リンが嘘を判別できる能力者なら、そろそろ言ってもいいかもしれない」

 輪廻が改まったように真顔で呟いた。

「そうだな」

 林心が頷く。

「まあ、いいんじゃないか」

 燐火が明るくさばさばしたように言う。

「どういうこと?」

 リンには三人の言うことが何が何やらで、さっぱりわかっていなかった。

「リン、じつは俺たち三人、おまえと似たような能力を持っている」

 衝撃的な事実だった。

「おれたちはふつうの人間では感じ取れない相手の空気が読めてしまうんだよ。リンと同じようにね」

「林心は直感力、オレと輪廻は分析力が人とは桁違いなのさ」

「それも共感覚なの?」

「違うな。俺たちの能力は『超感覚』と呼ばれているものだ」

 『超感覚』。共感覚も知らなかったリンには初めて聞く言葉だった。

 林心が今度は『超感覚』で調べてみる。しかし、ヒットするのはエスパーだったり、超能力の部類に入るものばかりで、三人のリンのいう超感覚とは別物のようであった。

「ネットで書かれている超感覚は基本的にぜんぶ人間には不可能なもの。おれたちの能力はふつうの人では読み取れない空気感まで読んで、『答え』を出せるものだね」

 輪廻が簡潔に解説する。

「へー、じゃあぼくの嘘判別と同じなんだね」

「そうだな。分類上違うってだけかもしれない。専門的なことは俺たちもわからない」

「まあ、実際に使えてしまうから、事実としか言いようのないスキルだったりするな」

 燐火が軽い口調で言う。

「輪廻と燐火は同じスキルなんだね」

「そうだ。輪廻のほうが元からの知性が高いから優れているが、オレもけっこう凄かったりするんだぞ」

「林心の直感ってどれくらいのものなの?」

「精度でいえば、ほぼ100パー当たるな。でも競馬とか賭け事にはまったく当たらないが」

 林心は実体験を語る。

「林心の場合、直感というより、超直感だな。他の奴とは比べ物にならない」

 燐火の率直な感想だ。

「ん?てことは他にも超感覚者っているんだ」

「そういうことだ。『組織』には何人もの超感覚者がいる。まあ、ふつうの奴らと対して変わらないのもいるが」

 林心から、またリンの知らない話が飛び出した。

「組織ってなに?それが名前なの?」

「たぶん、正式名称はあるんだろうけど、決して教えてくれなかった。名称自体が極秘なんだろうな。オレたちはそこから抜け出してきたんだ」

「三人で抜けて、各地をさまよってたら、リンに出会って、いまここにいる」

 輪廻がしみじみと述べた。

「なんで抜けたの?超感覚者同士、仲が悪かったの?」

「組織ではいろんな訓練をしていて、何かの役目を担うことになっていたようだが、俺たちは、そんなものに興味がなくて、それよりは自由を手に入れたくて、組織をこっそり抜け出してきた」

「勝手に抜け出して、大丈夫なの?」

「ぜんぜん」

 燐火はあっけらかんとしているが、かなり危険なことを言っていた。

「組織の連中はいま、血眼になって、おれたちを探してると考えていいね」

「亀有にいて、平気?見つかったりしない?」

「組織の拠点は大分にあって、そこからかなり離れているし、都会の住宅街だから見つけにくいはずだよ。いままでホテルを転々としてきていたし、おそらく定住してるとは思ってないだろうね」

 輪廻は組織の者の思考を分析しているようだ。

「ま、そういうことだから、リンは気にする必要なんてないぞ。これまでどおり、楽しくやろうぜ」

 燐火はどこまでも明るかった。

「じゃあ、ぼくは四人目のリンとして認められたって考えていいよね」

「それはない」

 三人のリンが口を揃えて否定する。デジャブである。

「なんでだよ。なんでぼくだけ仲間はずれなの?」

 リンは不満でいっぱいだ。

「リンのは共感覚だからな。それに組織の者だったわけではないし、定員制だからな」

 林心は笑って答えた。

「リンは『泣きのリン』て、二つ名が増えて良かったじゃんか」

 燐火がふざけている。

「『哭きの竜』みたいにいうな」

「リンはどんどん二つ名が増えていくな。もしかすると最後には想像もできない二つ名がつくかもしれないね」

 輪廻もふざけだした。

 リンはまたもや反論したくても言葉が出てこなくて、唸るように押し黙るしかなくなっていた。

 そんなリンを見て三人のリンは笑った。どことなくやさしい笑いであった。

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