第2話園児のリン
「困ったことになっている」
輪廻は沈痛な面持ちをしている。
「4人分の生活費がリンのおばあさんの年金支給額を遥かに超えている」
「そりゃ、やべぇな」
そういう燐火は4人の中で一番出費していたりしていた。パソコンでの作曲に興味を持ち始めて、バカ高いソフトウェアを購入したばかりだ。
「この前、リンと銀行に記帳に行ったんだが、預金がみるみる目減りしていた。リンはよくわからない鼻歌を歌ってたが」
「4人分のお金なら、ぼくがなんとかするよ」
リンは楽観的だ。
「なんとかする方法でもあるのか?」
林心たぶんないだろうと思いながらも尋ねてみる。
「うーんと、わかんないけど、たぶん大丈夫。お金はまだあるし。そのうちなんとかするよ」
やはりなにもなかった。
林心はため息をついた。
「とりあえず、リンのおばあさんの年金とトントンになるように金策しなくてはいけないな」
やはり自分が出張らないと駄目らしいと、林心が方針を定める。
「トントンでいいのなら、バイトでいいんじゃないか」
燐火がさっと案を出してきた。燐火は意外にも頭の回転が早いのだ。
「バイトか。あまり目立つのは難しいが、何かいいのがあるのだろうか」
輪廻は顎を撫でながら呟く。頭をフル回転させているときの仕草だ。
「バイトなら、工事現場のバイトとか、みんなやってそうだけど、駄目かな?」
現代においてバイトの居ない職種はないくらいだが、リンにとってバイトといえば工事現場くらいしか思いつかないのだった。
「単純作業でバイト代はいい方だが、駄目だな。人通りが多いところにあたってしまうのは良くない」
林心に速攻で否定された。
「ふぅん、駄目なんだ」
リンは理由がわからなくても素直に受け入れてしまう性格だった。
「できれば、室内で少人数で作業できるのがいいかな」
輪廻はできそうなバイトを絞り込んでいく。
「それだったら、保育園のお手伝いの仕事なんかどう?」
いの一番に提案したのは、なんとリンだった。
「この前、保育園児連れてる散歩見てたら、保育士の人、なんか疲れてそうだったから、休む時間が欲しいんじゃないかと思って」
「保育士の手伝いか。金にはならなそうだが、行ってみる価値はありそうだな。募集はしていないだろうが、事情を話せば乗ってくれるかもしれないな」
林心の決断は早い。輪廻も燐火ももう慣れっこで以心伝心である。これで決まりだといわんばかりに、玄関に向かい靴を履き始めていた。
慣れていないリンはぼーっと座り込んでいる。
「リン、行くぞ」
林心に声をかけられて、ようやっと動き出すリンであった。
「そうですか、保育士が疲れた顔をしていたのを見てたんですね」
園長は保育士たちが疲れ切ってたのは察していたようだ。
「先ごろ、ベテランの保育士が辞めてしまって。今の保育士たちはまだ保育に自信がもててないようで、気が張ってしまっていて」
「なるほど、そういう事情でしたか。それで想定以上に精神を削って、心労を溜め込んでしまっていたんですね。放っておくと鬱とか自信喪失になりかねないので、お手伝いしますよ」
輪廻の話の進め方は丁寧だった。
「言っていただけるのはありがたいですが、うちにかぎらず、保育園はそんなに人を雇えるほどお金になる商売ではないのです。できて2人までになってしまいますが、やっていただけますか?」
「2人ですか、、、」
輪廻が難しい顔をする。他の二人もあまりいい感触は持っていないようだった。
だが、リンは逆だった。鼻息を荒くして、三人のリンを説得しようとした。
「ここまで来たんだったらやろうよ。保育士さんたちの力になれるし」
リンを見ていた林心はリンの不思議な違和感を感じとりながら、それもそうだな、と思っていた。
「2人なら、俺と輪廻でやることにする。燐火とリンは性格が子どもなところがあるから、任せられないな」
「じゃあ、オレたちは見学してるわ。リン、林心と輪廻がちゃんとやってるか見てやろうぜ」
「うん、わかった。林心、輪廻の仕事、よーく見てるね」
リンの言葉に輪廻は、やりにくそうである。見られながら仕事をするのは、誰だって気が落ち着かないものだ。
「それではお二人はこちらに来てください。仕事着に着替えてもらいます。仕事着と言ってもエプロンだけですが」
「エプロン姿の林心と輪廻、はやく見たい」
リンは好奇心旺盛で興味津々だ。これだから仕事に選ばれなかったのは言うまでもない。
「二人ともすごい似合ってるよ」
クスクス笑いながら、リンがいう。似合ってないどころか、おかしさだらけなのだろう。
背の高い二人には、どうしても用意されたエプロンが小さく見えて、不格好になってしまう。大人がオママゴトをするかのようだ。
「それじゃあ、先輩の保育士に従いながら、お子さんの相手をしてあげてください」
いよいよ児童の相手をする。
林心は早速、男子たちのいる輪の中へ入っていった。
子どもたちは『ブンブンジャー』の話に夢中になっていて、蹴ったり殴ったりする真似事をしている。
そんな子どもたちの眼前で、いきなり拳が空を斬った。
林心の突きであった。
その後、残像が残るような超絶技巧のハイキック。
林心の周りを、男子たちが目を輝かせながら取り囲む。
彼らはすっかり林心の虜となったのだった。
一方、輪廻はと言うと、その場で全く動かない。
周囲の様子を眺めているだけだ。
輪廻の思考では、まず子どもが元気に遊んでいるかどうかより、危険なことをしていないかを見て確認している。
輪廻が突っ立っているそのまた一方で、燐火とリンはもう子どもたちと溶け込んでいた。見学するとはいったい何だったのか。
燐火が設置してあるオルガンを見つけて、キラキラ星を弾くと、子どもたちが集まってきた。
二曲目を催促されて、燐火はドレミの歌を奏でる。それに合わせて、いや、合わせなく、かえるの歌をリンが歌う。
全く噛み合わない音楽に、初めて触れた子どもたちは大ウケである。
燐火とリンはあっという間に、子どもたちの人気ものになっていた。
そんな中、ぽつんと1人でいる子どもを、輪廻は見つけていた。
その子に輪廻は近づいていって、屈んで軽く話しかけたが、子どもは難しい自分の気持ちをどうしたらいいかわからない様子で、押し黙ったままである。
輪廻は気難しい子どもに語りかけた。
話の内容は子どもには到底理解できない数理論についてだった。
何を話しているのか、さっぱり理解できないまま、輪廻の話は進んでいく。
「この独立した2つの数理論は考え方こそ違うけど、研究を進めていくうちに、虹の橋が架かってて、実は繋がっていたんだよ」
ようやく子どもでも理解にひっかかりそうな話を始める輪廻。
「もしかしたら、お兄さんときみは別の考えだけど、本当は誰も知らない遠くで繋がってて、手を繋いでるかもしれないよ」
輪廻はやさしく締めくくった。そうして子どもの手を握ってあげる。
子どもが輪廻の話をちゃんと理解したのかは不明である。しかし、難しすぎる数理論で思考を停止状態にされて、心は正直になり、輪廻の手を離そうとしなくなっていた。
懐かれたのはいいが、べったりくっつかれすぎて、輪廻は少々困っていたが、悪い気はしなかった。
そんなこんなで時間は過ぎ、お昼の食事となった。
休憩していた保育士さんたちがやってくると、燐火は、
「まだ休んでていいですよ。オレたちで見れますから」
と軽口を叩く。
だが、保育士に叱られるようにこう言われてしまった。
「子どもは食べ物を喉につまらせることがあるんです。わたしたちが見ます。あなたたちは休んでください」
三人のリンとリンは保育士の言葉に素直に従い、職員室へと入っていったのだった。
応接用のテーブルには4人分の弁当が用意されていた。園長が急遽買ってきたものだろう。
林心は黙々と食べ始めている。
輪廻はいつものように「いただきます」からはじめる。
燐火とリンはふつうに食べている。
「いい保育士さんだったね」
リンにはさっきの言葉が好印象に写っていたようだ。
「そういうことだな。保育士はかくあるべし、なんてな」
言われた張本人なのに、なぜか人ごとのように話す燐火。
「みんなうまく子どもの相手ができた?」
輪廻が少しおかしな質問をしてきた。三人が子どもたちに人気だったのを知らないような言い草だった。
「もちろん、できたよ」
リンは自信を持っていった。
「残念だが、全然、駄目だったな」
輪廻は首を振った。
「子どもたちはふつうなら自分たちで遊べてしまうものなんだ。だけど、それができない子もいる。まずはそういう子を相手にしてあげるのが先決。あと危ない遊びをしてないか、気を配っていないのも問題だったな」
輪廻の指摘は的確だった。
言われた三人は少しだけ気を落としたような影が表情にできていた。
「て、ことは、ぼくはただ園児をやってたってこと?」
「そういうことだな」
燐火も言われた張本人なのに、またもや人ごとだ。
食事を終えて、しばらく雑談していると、職員室に園長がやってきた。
「今日はありがとうございました。保育士たちの気分転換は十分できたので、もうこれで仕事は終いです。これは少ないですが、お給料となります。取っておいてください」
園長が腰が砕けたような薄いペラペラの封筒を差し出してきた。
「ほんとに少ないな」
燐火は遠慮をしらない。
「でも、4人分あるよ」
リンは園長の服のポケットからわずかに見えている封筒の数を数えていた。
「あっ、やべ」
3人の冷めた視線が燐火に集中する。
燐火はごまかすように園長に何度も礼を言う羽目になった。
園長からは感謝したいのは、むしろこちらの方と言われて、タジタジになる燐火であった。
リンの部屋で林心がノコギリの刃に油をさして、拭き取っている。ちなみにまだ未使用のものだ。
「そのノコギリ、何につかうの?」
リンは以前から林心のたった1つの持ち物であるノコギリが気になっていた。
「ああ、これか?何を作ると思う?」
林心はノコギリの刃を眺めながらリンに問いかける。
「うーんと、木で何か作るのはわかるんだけど。彫刻?」
「ノコギリで彫刻ができるかよ。ふつうノミだろ」
林心はリンのメチャクチャな発想力に呆れている。
「えーじゃあ、わかんない」
「これで武器を作るつもりだ。三節棍って知ってるか?」
「知らない。ナニソレ」
「三節棍ってのは、3つの木の棒をつなぎ合わせて、関節部分を金具で自由に動かすようにする中国の武器だ」
「林心って中国拳法、習ってそうって前から思ってた。何の拳法なの?」
「俺か?俺は、太極拳だな」
太極拳といえば中国でラジオ体操代わりの健康体操と思われがちだが、れっきとした武術である。
「太極拳の三節棍使った武技ってなんだろう?」
「俺は知らないな。俺の知ってる太極拳は健康志向のやつだけだ」
林心はきっぱり否定した。要は武術としての中国拳法はまったくの未習得なのだった。
「俺のはまったくの我流だから、太極拳とは違うな」
「じゃあ、趣味で三節棍にしてるわけ?」
「まあ、そういう言い方もあるけど、三節棍に可能性を感じて、自分の武器と決めてはいる」
「三節棍はいつ頃作るつもりなの?」
「そろそろ作りはしたいんだが、ホームセンターか材木店がどこにあるのか、さっぱりわからない」
「材木店なら、アリオのすぐ近くにあるよ」
「本当か?」
「『ハシモトなんちゃら』て名前だった気がする。そこに行けば、いい材質の木もきっとあるんじゃないかな」
「早速行きたいのはヤマヤマなんだが、いま持ち合わせがないんだ。はやくバイト先を見つけないとな」
「そういえば、輪廻と燐火の家庭教師のアルバイトはうまくいってる?」
「ああ、なかなかの評判らしいぞ。生徒の家族から評価されて、色々貰い物なんかしてもらってるらしい」
「双子の生徒だっけ?」
「珍しいよな。双子で同じ私立学校を受験するんだと」
輪廻と燐火は目下、生徒につきっきりで勉強を教えていた。
林心は体力に自信はあるのだが、外の仕事しか見つけられなくて、絶賛プー太郎中であった。
「林心、太極拳ができるんだったら、デイサービスで高齢者向けの健康維持のために教えるとかどう?」
「リン、おまえ天才か?その手があった」
林心は感嘆した。リンはときどき驚くような目の冴えたことを言うことがあるのだ。
「えへへ」
リンは褒められて自慢げだ。
「リン、おばあさんデイサービス使ってただろ。まずそこに行ってみたいから、教えてくれ」
「いいよ。でも、介護タクシー使ってたところだから、遠いよ。だから、もっと近いとこ教えるから、そっちからにしたら?」
「今日のリンはやばいな。輪廻と遜色ない知恵ものじゃないか」
「そんなこと、ある、かも?」
リンはごくたまにある自分への高評価に慣れてないので、調子に乗りがちである。
林心はすぐさまリンに教えてもらったデイサービスに押しかけて、経営者から面接を受けた。
林心の剛健な性格は誰かも好かれる。
経営者は林心を気に入って、即採用となった。
これで三人のリンが原因の資金問題は一応解決したのである。
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