三人のリン
@0843731
第1話おまけのリン
リンは亀有に住んでいる。
亀有といえば、こち亀こと『こちら葛飾区亀有公園前派出所』で有名なところで、葛飾区の名所のひとつだ。
だが、残念ながらリンのいる亀有には両さんはいない。現実には存在しない有名人、両津勘吉。
リンにとって両さんはふわふわした存在だ。信じていいのか、信じなくていいのか、イマイチよくわかっていない。
リンは映画館に向かっている。
亀有にはイトーヨーカ堂の旗艦店アリオがあって、その三階に映画館が併設されている。
アリオの中は涼しい。空調が効いている。エスカレーターに乗り、ワクワクしながら三階へと向かう。
映画館の前はロビーのように広い空間が広がっていて、その脇に自動券売機が何台も設置されている。
意気揚々と券売機の前に立つリン。
リンが選んだ映画は『変な家』である。
全席指定なので空いている席を自分で選べる。
全席が空いていた。
リンは一番見やすい特等席のH9の席を指定して券を購入した。
開演時間にはまだ時間がある。
喫煙所に向かう通路に休憩用の椅子が並んでいて、その一つに腰掛ける。
眼の前の壁には、『ぼっち・ざ・ろっく!』の巨大ポスターが垂れ下がっている。
ぼっち・ざ・ろっく!観てないんだよなあ。
リンは心の中でぼやく。
色とりどりの髪の毛の女の子が並んでいるが、誰だ誰やらリンにはわからなかった。
ぼっち・ざ・ろっく!のポスターを眺めながら、頭の中を空っぽにして時が過ぎるのを待つ。
やがて開演時間となった。
リンは館内に入場して一直線にH9の座席に足を運んで座る。
リンの準備は万端だ。
映画が始まろうとしている少し前、リンの隣の座席に青年が腰掛けた。
カッコいい人だなと、リンはチラ見して思った。
さらに向こう隣の座席に別の青年が腰掛ける。
カッコいい人だ、とリンはチラ見する。
そしてまた、その隣に別の青年が座る。
またカッコいい人が来た。アイドル集団?どういうこと?
リンの脳内にクエスチョンマークが広がる。
三人はコソコソ互いに話している。どうやら三人は仲間内のようだった。
映画が始まった。
それまでのことを中断して、みな押し黙って観賞する。
映画が終わった。
館内が明るくなる。結局、この映画を観ていたのは、リンと隣りに座った三人の合わせて4人だけだった。
「ふぁ~あ」
リンは呟くように声を出して背伸びした。少し観疲れていた。
「面白かったですか?」
突然、隣の席の青年から声をかけられた。
リンはぼやっとして何が起こったのか把握するのに少しだけ時間がかかったが、
「うん。まあまあ、面白かった」
と答えた。
「俺もまあまあ、面白いと思ったかな」
「へー、そうなんだ」
リンは素直に相手の話を受け入れるタイプだった。
「気が合うね。オレもまあまあだった」
一番離れている青年が感想をいう。
すると、真ん中にいた青年がリンに提案してきた。
「これから、おれたち飯でも食べようと思ってるんだけど、良かったら、一緒にご飯食べない?」
「えっ、いいの?」
「この映画のどこがまあまあだったか、みんなで話そうぜ」
リンに一番近い青年が笑顔でそう言った。
ハツラツとしたいい顔だなとリンは思った。
映画館のすぐ向かいにはザ・フレンチ・トースト・ファクトリーという店があった。
手近なので4人でそこに入った。
店員に4人席を案内されて奥の方の席に座る。
リンが着席した右隣には座席で隣りにいた青年、向かいには真ん中にいた青年、右斜めには一番遠かった青年が座った。
店員が4人の前に水を置いて、
「ご注文がお決まりでしたら、お呼びください」
と事務的に言って調理場へと消えていく。
右斜めの青年は店員が好みだったのか、一人、目で追っていた。
他の三人はメニュー表に注目している。
メニュー表を捲りながら、どれにしようか、と悩み始める。
「ここのお店はパンケーキが美味しいよ」
リンはここの常連であった。が、偏食が災いしてパンケーキ以外の料理の味をじつは知らなかった。
「じゃあ、パンケーキにするか、どれがいいかな。アップルシナモンパンケーキなんか良さそうじゃない?」
向かいの青年がリンに相談する。
「いいと思うよ」
「俺はワンダーフルーツパンケーキだな」
右隣の青年が写真を指さした。
「へー派手なのいくね」
「おい、おまえもどれにするか決めろよ」
向かいの青年に言われて、ようやく右斜めの青年がメニュー表に目を通す。
「オレはキャラメルバナナパンケーキにしようかな」
「みんな決まったね。ぼくはメルティーレアチーズパンケーキにするよ。それで飲み物はどうする?パンケーキはどれも甘いと思うよ」
「じゃあ、コーヒー一択だな」
右斜めの青年が即答する。
「今日、暑いから、アイスコーヒーにしないか」
右隣の青年の言うとおりだった。外は暑くて今のうち体を冷ましておいたほうがいい。
「全員アイスコーヒーでいいね。それじゃあ店員呼ぶね」
リンは店員を呼んで、各自お目当てのパンケーキを注文する。それとドリンクにはアイスコーヒー。
「調理に30分ほどかかりますが、よろしいでしょうか」
「30分もかかるのかよ」
右斜めの青年は驚いていた。
「映画の感想言い合ってたらすぐだよ。それより、アイスコーヒーはすぐに持ってきてほしいな」
リンは常連らしく要領よく仕切る。
「かしこまりました。アイスコーヒーはすぐにお持ちしますね」
店員は調理場へと去っていった。
「それじゃあ、今回観た映画『変な家』がまあまあだった理由をみんなで言い合おうぜ」
右隣の青年が言う。リンはなんとなくこの人が三人のリーダー格のような気がした。
「まずは俺から言うな。探偵役の設計士の性格が性に合わなくて、どうも気になってしょうがなかった」
「けっこう独特な性格してたよね。人によって選り好みが出てしまうのかもね。ぼくはぜんぜん気にならなかったけど」
「きみのまあまあだった理由ってなんだい?」
リンは向かいの青年に聞かれて、うーんと、と少し頭の中で考えたあと答えた。
「じつは『変な家』っていうから、ヘンテコな家をたくさん紹介する映画だと思ってたら、ホラーだった」
「ホラーじゃなくて、ミステリな」
右斜めの青年が指摘する。原作小説を既読していたのだろう。
「まあ、ホラー要素もあったけど、ヘンテコな家を紹介する映画ってそもそも面白いか?」
「えー、面白いよ、きっと」
リンは納得いっていないようだ。
「映画自体の出来は悪くないから、期待してたのと違ったから、まあまあ」
「オレも理由は違うが期待してたのと違ったから、まあまあにした。小説で思い描いていたのと再現されたのが、どうしてもイメージが一致しなかった」
小説を読んでいた右斜めの青年らしい感想だった。
「おれはなんとなく全体の構成が臭くて、話の進め方が強引で、ご都合主義っぽかったから、少し冷めた目で観ていたな。それでも要所は面白くしてあるから観れたけど」
向かいの青年は容赦がなかった。
店員がアイスコーヒーを持ってきた。
それからは映画の場面場面がどうだったかとか、詳しいところに話題が移っていった。
話はだんだん白熱してきていたが、30分が過ぎて、各自のパンケーキが到着した。
テーブルに4つのパンケーキが揃う。いわゆるインスタ映えするパンケーキで壮観だった。
しかし、だれもスマホを向けようとしなかった。
「腹減った。食うとするか」
右隣の青年がフォークを手に取る。
「いただきます」
向かいの青年は礼儀正しい。
「美味そうだな。早く食っちまおうぜ」
言いながらもう口にしているのは右斜めの青年だ。
三人が食事を始めたのを見届けたあと、リンもフォークでパンケーキに切れ目を入れて、頬張る。
ホクホクしていてあったかい。
「美味えな、おい」
右斜めの青年は感激しているようだ。
「確かに、丁寧に作られてるね」
向かいの青年は批評的に物事を見る性格のようだった
右隣の青年は黙々と食べている。
みんな好感触そうで良かった、とリンはほっとしていた。
いつの間にか、映画の話はしなくなり、自分のパンケーキの味がどうだとか、食べ物の話に変わっていた。
全員が食べ終わり、アイスコーヒーも飲み干すと、右隣の青年が席を立ち上がった。
「俺、ちょっとトイレに行ってくるわ」
「じゃあ、オレも」
右斜めの青年も立ち上がる
「おれも一緒に行こうかな」
向かいの青年も立ち上がった。
「トイレはあっちにあるよ」
リンはトイレのある方を指さした。
「あんがと、じゃあ行ってくる」
右隣の青年にお礼を言われる。
三人で連れションかあ、仲がいいんだな。リンはぼんやりそう思いながら三人が立ち去るのを見送った。
5分後、リンは待ちぼうけしていた。三人はまだ戻って来る気配がない。
10分後、リンは1人だった。かなり長いトイレだなと思っていた。
20分後、リンは戻ってこない三人のことが心配になっていた。
30分後にして、ようやくリンは自分だけ置いていかれたことに気づいたのだった。
リンは駅前近くの歩道を歩いていた。
雨が降っていて傘を差している。
後ろから「すみません」と声をかけられた。
何事かと止まったら、狭い歩道のリンの横を傘を差した自転車に乗った男が強引に走り抜けていった。
とっさのことで、リンはよろけて傘を落としてしまった。
「もう、雨に濡れちゃったよお」
リンはぼやきながら、傘を拾った。そして、顔を上げた瞬間びっくりした。
目線の先に、あのときの三人の姿がある。
「あー、見つけた!」
リンは傘を握りしめながら三人の方へと一直線に向かっていった。
「こらー」
言いながら三人に近づいていく。
真ん中にいた青年がリンの存在を認めて、あっ、ヤベッ、という顔をする。
両脇にいた二人もその顔に気づいて、リンの方を見た。
三人とも気まずそうな表情を浮かべる。
「どうして帰るなら言ってくれないの!30分も待ったんだぞ!」
三人の前に来るなり、リンは怒鳴った。
三人はリンのどこかおかしい違和感に気づき始めていた
「おまえ、俺たちが食い逃げしたのに怒ってないのか?」
リーダー格の青年が率直な疑問をぶつけた。
「そんなとこ、怒ってないよ。お金なかったんでしょ。仕方ないじゃん。でも、何も言わずに居なくなる理由になんかならないぞ!」
リンはカンカンだ。
三人は互いに顔を見合わせると、リンの方を改めて見た。
「おまえって、変な奴だな。食い逃げしたことはすまなかった。できれば今度埋め合わせしたい。おまえの名前を教えてくれないか?」
リンは怒りを抑えると、歩道の路面に地をつけたように立って言い放った。
「ぼくの名前はリン!上から読んでも下から見てもリン!」
それを聞いて、三人は明らかに驚いていた。何か思うところがあるように互いに目で語っている。
そしてリーダー格の青年から打ち明けるように語りだした。
「奇遇だな。じつは俺もリンだったりする。こんなことってあるのか」
「オレもリンって言うんだ」
「おれもリン」
リンは混乱して脳内がバグった。
「へ?」
というのがやっとだった。
「正確には俺の名前は『林心』。名前の通り中国人だが、生まれも育ちも日本だ」
「おれの名前は、『輪廻』という。おそらく両親は何かに生まれ変わってほしくてつけた名前だね」
「オレは『燐火』。いわゆるドキュンネームってやつだ」
「だから、俺たちは自分たちのことを『三人のリン』って言っている。まさかもう一人、リンと出会うとは思わなかったな」
「ほんとうに三人ともリンなの?」
「そうだ。みなリンがつく名前だ。俺たちは生まれも近くて幼馴染なんだ」
「しかも、三人とも孤児院育ちだよ」
輪廻の言葉にリンはショックを受けた。三人とも身寄りのない人物だったのだ。
「三人とも今はどうやって生活しているの?三人で暮らしてるの?」
「いまは理由があって外に出て、各地のビジネスホテルを転々としてる」
燐火が説明する。
「じゃあ、亀有に来たのはなんで?」
「亀有に来たのは、娯楽施設と買い物目当てだな。いまは綾瀬のビジネスホテルで寝泊まりしてる。まさか二度亀有に行って、二度ともリンに出会すとは思っても見なかった」
林心はアリオのことを言っているようだ。
「もし亀有が気に入ってるならなんだけど」
リンは少しうかがうように話し出す。
「ぼく、おばあちゃんと暮らしてたんだけど、おばあちゃんが施設にはいって、いま一人暮らしなんだ。おばあちゃんの部屋も空いてるし、良かったら、三人ともうちに来ない?」
「いいのか?」
林心が半信半疑で問いただす。
「ぜんぜん構わないよ。だって、一人だとつまらないし」
「リンがいいなら、願ってもないことだよ。じつはおれたちそろそろ金欠気味で、どうしようか悩んでいたところだったんだ」
輪廻はリンの申し出に救われたようだった。
「リンの家ってここから近いのか?」
燐火が尋ねる。
「近くはないけど、遠くもないかな。ふつうに『かえるの歌』歌って歩いてたら着いちゃう距離だよ」
リンの説明は微妙に独特だった。
「実際、来ればわかるよ。いまからうちへ行こ」
リンのやさしさが三人に染み渡っていく雨の中だった。
リンの家はアリオを過ぎた先にあるマンションの5階である。
古い造りで、暗証番号なしに普通に入れてしまうタイプのマンションだった。
「ここがリンの家か」
燐火がマンションを見上げる。数えてみたら9階建ての建物だった。
いつもは階段を使って登ってしまうリンだが、今回は三人のリンというお客さんがいるので、素直にエレベーターのボタンを押して待つ。
エレベーターは定員5人の狭い空間だった。
エレベーター内は湿気がまとわりついて、あまり良い気持ちにはなれない。
みな黙って5階に到着するのをじっと待っていた。
5階に着くと三人のリンが先に出るが、どの方へ行けばいいのかわからず、三人とも少し戸惑っている。
「こっちだよ」
最後に出たリンが前に出て案内する。
リンの家はエレベーターから左に出て一番奥であった。
505号室。覚えやすい番号だ。
リンは鍵を開けて、ドアを開くと、三人を招き入れる。
玄関はいたって質素な普通の玄関だった。
三人が順々に家の中へと入っていく。
最後にリンが玄関に入りドアの鍵を締めて、廊下で待つ三人のリンに部屋を案内した。
「ここが、ぼくの部屋だよ。いったんここで休んでて。お茶持って来る」
三人のリンはリンの畳部屋を見渡した。
小学校の入学の頃に買ってもらったと思われる学習机の隣にパソコンとパソコンデスク、背の低いタンスと本棚があった。壁の一面には襖があって、布団をいれているのだろう。ここもいたって普通の一人部屋だった。
「麦茶持って来たよ」
リンはお盆に氷をいれた4つの麦茶を持ってくる。コップの形はすべてバラバラだった。祖母との2人暮らしが長かったことを輪廻は察した。
ちゃぶ台のようなものはないから、畳にそのまま麦茶を置くリン。三人のリンはその前に座り込んで、麦茶を手にした。
コップの置いてあった畳が三日月状に濡れている。
「寝泊まりするために必要なものはある程度、揃ってるよ。お布団も親戚用のがあるし。ぼくの部屋で二人、おばあちゃんの部屋で二人寝られるよ。食器も人数分くらいならあるよ。」
「オレたちはビジネスホテルに荷物があるが、大した量じゃないし、この家の広さなら問題ないな」
燐火が見渡しながら言う。
「あとは食事が人数分ないだろうから、荷物を取ってきたら、周辺の探索しながらスーパーで買い出しだな」
輪廻は目下のところの課題の割り出しが早かった。
「じゃあ、綾瀬に戻って荷物を取ってきたら、リン、ここらへんの案内をよろしく頼むぜ」
林心はやはり三人のリンのリーダーのようだった。
「任せて。ぼくはうちでゴロゴロしながら、待ってるね」
リンはさっそく本棚から漫画を取り出していた。
三人が出ていったあと、残ったリンは畳の上にごろ寝しながら、漫画を読んでいる。
当たり前のようにしているところが、ほとんど一人の時間で暮らしているリンらしい。
リンが読んでいるのは『極主夫道』である。
1時間をとうに過ぎ、2時間にかかろうとしていたところで、三人のリンが戻ってきた。
林心は買ったばかりと思しき、新品のノコギリ一つ。輪廻は荷物をリュックにしょっていた。中身は不明。燐火はショルダーバッグにトートバッグを両手に持っていて、一番荷物が多かった。
「俺はリンと一緒の部屋でいいから、おまえたちは、リンのおばあさんの部屋を使わせてもらえ」
「わかった」
林心が命じると二人はあっさり了解する。ほぼ以心伝心といってよい心地いい即返事だった。
「どうして、ぼくと一緒の部屋が余り物みたいなんだよ」
リンは不服だった。
「そりゃ、リンはもうこの家の主じゃなくて、おまけだからな。俺たちを中に入れるというのはそういうことだ」
「おまけってなんだよ。4人になったから、これからは『四人のリン』でいくんじゃないの?」
「それはない」
三人のリンが口を揃えて否定する。
「三人のリンは定員だからな。リンはせいぜい『おまけのリン』ってところだろうな」
燐火がふざけてニヤけている。
リンはふくれっ面になって反論したかったが、反論自体、苦手なので何も言うことができない。
三人のリンは自分を仲間外れにしているのか、しているつもりがないのか、いまいちリンには理解できていない。
兎にも角にも、これから三人のリンとリンとの共同生活が始まるのであった。
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