513年8月「罪と罰」
すべてを失い、私は精神鑑定の末に軍病院に強制入院となった。
刑期を終え、自暴自棄になって傭兵に身を落とした私は、皮肉にも仲間に恵まれた。
半年、傭兵として世界の紛争地帯を渡り歩いた経験は、私を有能な将校に変えた。
笑うことは二度と無かったが、それでも今の私は満ち足りている。
命のやり取りの中でなら、生きている実感が得られたからだ。
だから、戦場に居ない私は、ただの抜け殻だった。
月は砕け散り、光帯として揺蕩い、いずれ重力に引かれて消え逝く運命なのだろう。
「……アレク、お願い、もっと」
私は兵舎のベッドで、アレク、アレクセイに縋り付いていた。
生まれたままの姿でベッドの中で肌を重ね合う二人。
今は、こうすることでしか生きている実感を得られない。
彼は、こんな最低の女にも傭兵の仕事を与え、愛情まで注いでくれる。
私が今、唯一心を許せる相手だ。
誰と肌を重ねても、ここまで安らいだ相手は他にいない。
いや、いたかもしれないが、その彼はもうこの世には存在しない。
もう、私には彼しかいない。
「誕生日おめでとう、香月。祝杯といこうじゃないか」
「……ありがとう、アレク。覚えていてくれたんだ」
日付が変わると同時に、彼は備え付けの冷蔵庫からシャンパンを取り出した。
開栓の小気味良い音とともに上等な酒の香りが部屋に満ち、グラスに注がれる。
私達はグラスを打ち合わせると、口をつけた。
「当然じゃないか。何しろ今日は、君の記念すべき命日なんだから」
突然の言葉に、私は硬直する。ほとんどパニックだった。
あんなに優しげだった彼の顔が、飢えた狼のように歪み、高笑いを始める。
グラスが手から滑り落ちた。身体が、動かない。
意識が、暗転する。
「……起きろ魔女の売女‼」
思い切り顔を殴られて、私はその衝撃で意識を取り戻した。
奥歯が砕けて抜け、口の中が切れ、血反吐を吐く。激痛に思わず失禁する。
気づいたら私は、椅子に手足を縛り付けられ、拘束されていた。
どこだここは。地下室か。アレクの他に、野卑な笑みを浮かべる男が数人。
まったく状況が理解できない。悪夢なら早く醒めてくれ。
「あ、アレク、これは何のサプライズ……? 笑えないんだけど、」
「裏切り者の末路には相応しい最期だと思わないか。なあ、セラフィマ」
昔の名で呼ばれ、恐怖にがちがちと震える。いったい、何をされるんだこれから。
いや、私はアレクを裏切ったりしてない。今までこんなに尽くしてきたのに。
どうにかして、誤解をとかないと。
「ごめんなさいアレク、他の人ともう寝たりしないから、だから、許して、」
「どうして? なんで? って顔だね。……だから君は無能なんだよ」
アレクは侮蔑的な視線で私を見下ろしながら、皮肉たっぷりに言う。
顔に向けて唾を吐きかけられるが、椅子に固定された私は避けることもできない。
「不貞なんて関係ない。君の父の罪。ヤロスラフスクを守備する国連軍指揮官でありながら、敵に内通して引き入れ、住民三万五千名、俺の親父たち守備隊七百名を虐殺させた大罪人。その娘が、幸せになんてなれると思ったのか?」
違う、という言葉が喉まで出かかったが続かない。
それは、確かに紛れもない事実だった。
「だから俺は決めたんだよ。その家族に俺が味わった以上の苦痛を与えると」
彼は語りながら部屋を左右に歩く。傍らの男から、鉄の棍棒を受け取ると微笑んだ。
そして、思い切りそれを私の腹へと突き刺す。
たまらず私は胃の中の夕食をすべてぶちまけた。酷い臭いが、部屋に充満する。
「楽に死ねるなんて思うなよ。何しろ、二十一年半越しの復讐なんだから」
嗚咽が止まらない。恐怖、苦痛、後悔、懺悔、それらが濁流となって押し寄せる。
アレクが指を鳴らすと、それを合図に私への拷問が始まった。
大抵の拷問は、何らかの情報を引き出すために行われる。
だから、それはまだ終わりが予想できるだけマシだ。
「どうだ、幸せの絶頂から突然、奈落の底に突き落とされるのは。よく味わえよ」
だが、これは違う。アレクの執念深い笑みがすべてを物語る。
私の人格を、徹底的に破壊するためだけに行われるのだ、これは。
その事実から、私が完全に壊れるのは早かった。
「もっとだ、もっと壊せ。自分がしてきたことを後悔させて嬲り殺せ」
その言葉を最後に、アレクは、いつの間にか見に来なくなった。
そして、いつしか誰一人として来なくなった。
私は椅子に縛り付けられたまま、壊れた笑い声を上げ続けていた。
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