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パチリと目が覚めると、一気に記憶が蘇ってきた。ああそうだ、これは夢だ。
空はもう明るい。いつも通り寝坊したのだろう。
ゆっくりベッドから起き上がり布団を剥ぎ、ギシリと床を軋ませた。
家賃が安いとはいえ、とんだおんぼろハウスに住んでしまったものだ。今日も隙間風が寒くて悪い夢を見てしまった。
やはりお金が貯まったらここから出ていこう、そうしよう。
その辺にあった櫛を掴み、適当に髪を漉いていく。細い白髪が何本も抜けて櫛に絡みついてしまった。柔らかい髪も考え物だ。
適当な紐で長い髪をくくり、パジャマからいつもの服に着替える。なんてことはない、いつもの冒険者服だ。
鏡で姿を確認すると、白髪銀目の幼い少女がこちらを見て立っている。それはもういつも通り、どこからどう見ても普通の
「よし。」
準備はできた。今日も頑張ってお金を稼がねば。
外の扉を開くと、いつも通りの街並みが広がっている。
灰色の石畳に煉瓦造りの建造物。道行く人々の髪色は金から黒までだけでなく、桃色や青色など
今でも少し違和感を感じてしまうが、そもそもこの世界自体がかなり前世とは異なっているのだ。髪色位で驚いていられない。
カッカッと少し硬い音を立てながら安い靴でスキップしていく。周りの大人が微笑ましそうに私に挨拶をしてくれたので、私も手を振ってそれに返した。
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「こんにちは!」
チリンチリンと鈴の音と共に扉を勢いよく開く。同時に中に居た人々がこちらに視線をちらりと移す、がすぐにそっぽを向いた。
昼だというのに揮発性アルコールの匂いが辺りに漂うここは酒場であり、同時に冒険者たちの集うギルドだ。大剣や盾を背負った甲冑の男や、杖を握りしめたローブの女が集まり、各々の冒険譚に花を咲かせている。
「あらミストちゃん、いらっしゃい。今日もお仕事?」
「はい、お金が必要なので。何か私にできそうなお仕事ありますか?」
「ええ勿論。そこのボードを見て頂戴。」
優しそうな受付嬢が私にニッコリと微笑み、ボードの角を指さした。そこには冒険者向け依頼の中でも最も簡単で最も安い仕事が乱雑に張られてある。
その中から適当に2つ程はがすと、受付嬢の元へと持って行った。
「今日は……ええと、脱走した飼い犬の捜索と癒しの実採取ですね。前者は町中なので大丈夫でしょうが、後者は街の外へ出なければいけませんね。魔物には十分気を付けてくださいね。」
「はい、勿論です。」
心配そうな受付嬢に私は元気よく返事を返した。それくらいの危険は承知の上、じゃなきゃ冒険者の端くれだって務まらない。
「ようガキ、今日もお仕事か?小さいのに冒険者だなんて、よくやるねぇ。」
いかつい強面の男がわざわざ遠くの席から大声で話しかけてきた。所々に金属板の張り付いた鎧を纏い、背には剣を2本差している。耳や鼻に幾つも空いたピアスは、彼が典型的な冒険者であることを物語っている。
周りにいるのは彼のパーティー仲間だろう、彼同様にそれぞれ武器を携帯したまま、ひたすら酒を飲んでいる。
彼はいつもこうやって私含め新人の冒険者に絡んでくる。彼は見た目故に怖がられることが多いが、決して悪意がある訳ではない。寧ろ優しい人だ。
私は彼の座っているテーブルに近づいた。
「そうよ、お仕事しないと生きていけないもの。」
「あー悪い悪い、そうだよな。全く、ガキ1人でよく生きてるもんだ。」
「育ててくれる大人がいないんだから仕方ないでしょ。自分で生きていかなきゃ。」
私の見た目は10を少し超えた程度の少女だ。荒くれ者や力自慢の人間が集まるこの冒険者ギルドの中では最も非力でか弱い存在に違いない。
でも、こうでもしないと親の居ない子供は生きていけない。この世界は、前世とは違って福祉が充実していないから。
彼は参ったと言わんばかりに両手を上げ、ため息をついた。
「気を付けろよ、街中でも危ない奴はいるし、町の外は魔物がうろついている。弱いスライムやゴブリンでもお前なんかだと太刀打ちできないだろう。見かけたらすぐに走って逃げろよ。」
「分かってるわ。分かった上でこの依頼を受けているの。」
彼の言葉を有難く頂戴し、そのまま冒険者ギルドの外に出た。冒険者なんて、子供の身には余る仕事だ。
本当に私がただの子供なら。
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今日の依頼は犬探しと薬草採取。まだ日は高いし、薬草は後ででいいだろう。
犬を先に見つけて、薬草は後でいい。
依頼用紙には確か、犬の姿と依頼者の住所が載っていた。成程、依頼者の家はここからそう遠くない。経緯としては、昨日の夕方、気づいたら家に繋いでいたはずの犬がいつの間にか鎖を切っていなくなっていたらしい。
居なくなったのが昨日の昼間だとしたら、もうすぐ犬が脱走してから丸1日経過する頃だろう。そうなったら犬の捜索範囲は相当広げなければ見つからない。自分の力じゃ見つけられないから、何でも屋と名高い冒険者ギルドに依頼を出したのだろう。
最も、こんな依頼普通の冒険者なら受注すらしない。脱走した犬の捕獲とあれば、聞き込みと探索を延々と繰り返すだけの単純労働だ。見つかるかも分からないし、見つかったとてその報酬は安い。街の外に弱い魔物を狩りに行く方がよっぽど効率がいい。
普通ならば。
私は普通の人間じゃない。人間ですらない。
ならば、やり方も普通である必要が無い。
私はふわりと宙に浮いた。文字通り、空中に浮きあがった。
私は重力を無視して浮き上がることができる。
普通の人間や魔物も浮遊魔法という魔法を使用して同様に浮き上がれるから、一見特別な能力には見えない。しかし、私は魔力も何も消費せずに滞空し続けられるという特性を持っている。地味に見えて、実は結構重要な力だ。
だって、私はこの能力のおかげで常時数足裏と地面の間に数ミリの空間を維持し続けられているのだから。
そのまま何メートルもふわふわと移動し、近所の屋根の上に上がった。勝手に屋根の上に乗ったって、汚したり穴を開けなきゃ怒られないだろう。
その点については問題ない。そもそも足を付けなければ汚れも壊しもしないだろうから。
私は息を吸い、ゆっくりと時間を掛けて吐いた。目を閉じて意識を集中させ、自身に宿る魂を奮い起こさせる。
途端に私の脳内にモノクロの世界が広がり、この町中の地形が頭に飛び込んできた。
これも私の能力の1つだ。目を通さずとも、周囲の地上の様子を確認できる。直接視界に入れるよりも広い範囲を映せるし、障害物があろうがなかろうが様子を確認できる。
地形だけじゃない。私は『生き物の魂』を視る事が出来る。
魂。それは、すべての生き物に平等に宿る力の源。大きな獣から小さな虫、挙句には植物にまで魂が1つずつ宿っている。この魂は、普通の生き物には決して観測できない。
魔力探知で生き物を感知することがあっても、それは魂が生み出す魔力を感知しているに過ぎず、魂そのものはどんな力を持ってしても不可視だ。
でも、私はそれが視える。なぜなら、私は『生き物』ではないから。
目を閉じたまま範囲を広げ、街中に点在する魂を感知していく。どんな場所に居ても、一定の範囲内であれば私は魂がどこにいるのか把握できる。家の中で家事をする人間、飼われている猫、路上に咲く花、家の隙間で眠る虫。
それら1つ1つの魂は等しく明るく、等価である。それでも、魂の形はやはり宿る生き物によって変わっていくのだ。
犬の魂は人より小さく、ネズミより大きい。ただし、条件に当てはまる魂を数えるに、この街には結構な数の犬が住んでいるようだ。
「うーん、どんな見た目だっけ。」
一度目を開いて、犬の似顔絵を確認する。大型犬で、赤毛で、垂れ耳の愛嬌がある顔が描かれている。大型犬なら魂も小型犬より少し大きいはず。
もう一度目を瞑って確認するが、いまいち数が絞り切れない。魔力探知と併せてみても、似た体格の犬が多すぎる。
「面倒くさい、直接聞くか。」
私は屋根の上から適当な裏路地に降りた。ここなら人目もない。
すぐ隣で灰色の野良犬が驚いて、私に唸っている。私が探している犬とは似ても似つかない、私とは全く関係のない野良犬だ。
ただここでゴミを漁っていたらしく、そばには散乱した生ごみが悪臭を放っている。野良犬歴が長いのだろう、毛はぼさぼさで汚れ、目つきは鋭い。
だが、私にとっては重要な情報源だ。
怯える犬と目線を合わせ、じっと眼の中を見つめる。野生動物にとって目線を合わせるのは挑発行為だ。犬は更に唸り声を大きく上げ、牙を剥き出した。
だが、そんなものは私に関係ない。私は依頼用紙を指さして、静かに口を開いた。
「野良犬、私にこの犬がどこにいるのかを教えて頂戴。」
途端に電撃が走ったように野良犬は固まり、その場に静寂が訪れた。あれだけ怯えていた様子はおくびにも出さず、ただ驚いたように私を見つめている。
暫く互いに見つめ合った後、野良犬は静かにどこかへ歩き出した。まるでついてこいと言わんばかりに、時々後ろを振り返っている。
私は立ち上がり、犬の後を追った。どうやら案内してくれるらしい。
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「ありがとうございます!もうだめかと諦めかけていたんです……」
尻尾をブンブンと振る垂れ耳の犬は、依頼人に飛びついて体を擦りつけている。全身全霊を込めて愛を表現しているようだ。
犬は良い。本能的に人を愛すように生まれてくる。世話をすれば、素直に懐いて恩を返してくれる。
「よくこんな短時間で見つけられましたね、我が家とは少し離れた場所にいたそうですが……」
「はい、少し先のパン屋のゴミ捨て場を漁っていましたよ。この辺を縄張りにしている犬に追い立てられて、家から遠くに行ってしまって、帰り道が分からなくなったっぽいです。」
「ありがとう、本当にありがとう。冒険者ギルドに依頼を出した時、受付嬢の方にも諦め半分でお願いしますって言われた位、絶望的だったんです。それをこんな小さな女の子が僅かな時間で……もし良ければ、どうやって探し出したか教えてくれませんか?」
「秘密です。仕事を取られるとまずいので。」
口に人差し指を当てれば、依頼人は申し訳なさそうに分かりました、とだけ答えた。
依頼人はお礼を多めに用意してくれたらしい。最初に依頼用紙に書かれていた金額に、大幅に上乗せして払ってくれた。今日は大収穫だ。
だが、まだ今日の依頼は残っている。次は街の外に出て薬草を取りに行かないと。
頭を下げる飼い主に手を振り、その場を離れた。用紙にサインも貰ったし、依頼達成報告は帰ってからまとめてすればいい。
ふと路傍に目をやると、先ほど案内してくれた野良犬が尻尾を振っている。その犬に近寄って軽くひと撫でしてやると、犬は再びどこかへ行ってしまった。自分の縄張りに帰るのだろう。
さて、日が落ちるまでには依頼をこなして帰ってこよう。小走りで街の外へ出る門へと急いだ。
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