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「冒険者か、通って良し!魔物には気を付けたまえ。」
冒険者証は私が持てる唯一の身分証だ。保険証どころか戸籍すらないこの世界じゃ、孤児でなくとも自分の身分を証明することはそう簡単じゃない。
しかし、身分を証明出来なきゃ街の外にすら出られないのは不便なことだ。
重苦しい門をくぐって徒歩10分。ここら辺が1番薬草が取れる場所だ。街の外は見渡す限りの草原、その先には森と山。点在した家は見る限り存在せず、人は街の外に住むことはほぼない。そんな街の外に出るのは危険を冒す冒険者か旅人か、商人位だろう。
なぜなら、町の外には魔物と呼ばれる怪物たちが我が物顔で蔓延っているから。
さて、そろそろ道から外れて薬草を取りに行こう。私はふわりと空中に浮き、薬草を探し始めた。歩かず空中に浮くのにはきちんと理由がある。第1に草原の長い草花を掻き分けて歩くのは大変だし、第2に上から観察した方が種の判別がしやすい。そして第3に、草や虫を踏み殺したらと思うと
浮きながらも目を凝らすと、目的の植物が群生している所を見つけた。この癒しの実と呼ばれる植物は珍しいものじゃない、その辺に沢山生えているものだ。ゆっくりと空中から地上に降り立ち、そっと地に足を下ろした。ザザッと音が鳴って雑草が踏まれるが、この程度ならこの草が枯れることはない。全体重を乗せずに、目に見えない位ほんの少しだけ浮いておけば、小さな虫を潰すこともないだろう。
癒しの実は便利な植物だ。食べれば元気が出るし、潰して怪我に塗れば消毒と止血が同時にできる。どんな仕組みかは知らないが、一説によると治癒の魔法がかかってるのではと言われているそうな。
だが、私にとってこの実の1番いいところはそこじゃない。何より、この植物は実以外取る必要が無いことだ。
植物の実とは、本来は鳥や小動物に食べてもらう為に作るもの。故に、実を取られたからといって死ぬようなことは無い。他の葉や茎全体を採取しなけりゃならない薬草とは違って、植物の命を奪わなくて済む。
全ての命は皆等しく尊い。命のやり取りは生き物たちが自らの生存権を掛けて行うもの。
私にその参加権はない。
ポツポツと幾つか実を取り、持っていた小さな籠にいくつも入れていく。そこまで多くを採取する必要は無い、多く採っても腐るだけだ。
適当な量だけ取ったら、既に日は傾き始めていた。まあこれでいいだろう。今日の仕事はおしまい。
早く帰って依頼報告しないと。
そう思った私は再び浮き上がり、砂利の敷きつめられた無機質な道へと降り立った。勿論降り立ったとは見た目上の話で、いつも通り足元の数ミリは浮いている。
それでも舗装されていない道よりは歩きやすい。視界も広いし、草に足を取られることもない。
お陰でこの夕日が落ちる前にはギルドに帰れそうだ。
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ギルドに帰ると、既に酒場は仕事帰りの冒険者たちで溢れかえっていた。酒瓶の擦れ合う音と人々の騒めきがその場を
「おかえりなさい、ミストちゃん!怪我は無かった?」
「ありませんでした。これが依頼人のサインと、採取してきた癒しの実です。」
紙と実の入った籠を差し出すと、受付嬢はふんふんと確認し始めた。手慣れているのだろう、てきぱきと手際よく作業をこなしていく。
「ありがとう、確認できたわ。こちらが採取の報酬ね。低ランクの依頼とはいえ、迷子犬探しと薬草採取を1日で終えてこれるなんて流石だわ。普通は迷子犬探しで1日が終わってしまう人が大半よ。」
「私、犬と相性がいいみたいです。適当な路地に入ったら見つけたので。」
「それは凄いわね、これからも迷子犬の依頼が来たらミストちゃんにお願いしようかしら。」
「そうしてくれると嬉しいです。」
採取依頼の報酬はまあまあ。最低ランクのFランク冒険者でもできる依頼とだけあって、安いものだ。それでも無いよりはずっといい。
ほくほく顔で家に帰ろうと扉に手を掛けた瞬間、
「よう嬢ちゃん、元気にやってるか?」
扉が開かれ、見知った顔が入ってきた。
「げ、シース……」
「げってなんだ、恩人に対して。」
シースは眉を顰め、私のおでこを軽く小突いた。剣と小盾を携えた、革鎧の彼はここのDランク冒険者だ。
「それは感謝してます、ありがとう。」
「そうだな、素直でよろしい。ちょっとお話しようぜ。姉ちゃん、席2つ。」
声を掛けられた若い女性の店員は、はーいと元気よく返事をすると、適当に空いていたテーブルに案内してくれた。
私はシースの誘いを断るタイミングを失ってしまい、しぶしぶ彼の酒盛りに付き合う羽目になった。
「いやあ、一時はどうなることかと思ったけれど。今のところ1人で生きているもんなあ、立派なもんだ。子供の癖に、適応力高すぎるだろ。」
「お陰様で。」
「その発言が既に年相応じゃないんだよなあ……」
まあ、伊達に何千年も生きていた訳じゃないですから。そんなことを言えるはずもなく、黙っていつもの料理がやってくるのをぼんやりと待った。
「お待たせしました、角兎のから揚げ定食と、山葡萄と野イチゴの盛り合わせで~す。飲み物はビールとオレンジジュースになりまぁす。」
「おお、ありがとう。」
シースは軽く店員にチップを渡すと、愛想のいい店員はニコニコと笑いながらお礼を言った。無言でコップを掲げると、シースもビールを持ち上げ、乾杯をした。
ここのオレンジジュースは美味だ。前世のものと比べれば酸っぱいが、砂糖の入っていないオレンジを絞っただけのジュースだと思えば悪くない。山葡萄と野イチゴだってつぶつぶした風味が美味しい。
「お前変わってんな、子供ならポテト揚げとかから揚げが大好きなものだろうに。そう言うの一切食べず、果物しか食べないんだものな。」
「私、フルータリアンなもので。」
「なんだそりゃ。」
「果物しか食べない人です。まあ、それ以外でも牛乳とか、鳥の無精卵とかなら食べられます。別に飢餓で死にそうになれば何でも食べますけどね。」
「はあ?何だその基準は。好き嫌いすんじゃねえよ。そんなんじゃいつまで経ってもそんなちびだぞ。」
正論だが、私にとっては正論じゃない。どうせ食べても食べなくても一緒のことだ。飢餓で死にそうになるなんてことも、未来永劫ないだろう。
「なんででしょうね、何となくです。」
「記憶喪失の癖にグルメな奴だ。実はどこかの訳アリ貴族令嬢とかだったら嫌だぞ、俺。いや、案外あり得るかもな。お前のその髪や目の色、上流階級にありがちな色だもんな……」
「そんなことはないでしょう。そうだとしても、あんな場所に居た時点でとっくに捨てられて平民未満の地位に堕ちてるので、気にするだけ無駄です。」
「とんでもねえ割り切り方するんだな、やっぱりお前は過去になんかあっただろ。」
返しに困って口に果物を詰めていたら、あっと言う間に無くなってしまった。美味しかったのに、残念。こっそりもう1皿頼んでやろうかしら。
「いやあ、お前が街の外、しかも魔物の森の近くで素っ裸で座ってるのを見た時は驚いたよ。新手の魔物かと警戒しちまったほどだ。それがなんだ、記憶を無くしてここにいるっていうもんだから余計にどうするか迷ったよ。取り合えず保護して連れて帰った時の周囲の視線が痛かったこと痛かったこと。」
「その節は本当にお世話になりました。」
「あれから2週間だっけか?無くした記憶が戻らないうちは孤児院か里親にでも引き渡そうと思ったら、自分で何とかするって言いだすもんだから驚いた。それから1日経たずに冒険者ギルドに登録して、自分で依頼をこなすようになってんだから、最近の子供は成長が早いな。」
「ずっとこのままという訳にもいかないんですがね。いつか記憶を取り戻すために、もっと遠くまで冒険したいと思っています。」
「もう少し大きくなったらな。……おっと、何だか向こうが盛り上がっているな。」
騒がしくなった方向へ視線を向けると、テンションの上がった冒険者たちがギターに合わせて歌っている。演奏者も最早酔っぱらっているので何を歌っているのか全く分からないが、本人たちは楽しそうだ。
「丁度この前聖歴3000年を過ぎたところだからな、町中お祭り騒ぎだ。」
「聖歴?」
「ああ、お前は知らんのか。天界が人間のものになった年を聖歴元年として、そこから3000年経ったという意味だ……お前、どうした?そんな怖い顔をして」
「何でもないです。」
あれから3000年も経ったのか。いや、流石に時間が経っていたとは思ったが、それほど長く眠っていたなんて思いもしなかった。それにしても、天界を奪った人間達はそれを誇りと思っているらしい。そうでなければ、わざわざ暦に残したりしないはず。
「して、その天界は、今どうなっているんです?」
「ん?どうなっているかだって?そりゃあまあ、天使様たちが住んでいらっしゃるだろうよ。伝説じゃあ人間達が天界に行った時はでっかい龍達が住んでいたらしいが、当時の人間達は強くてな、簡単に討伐できたらしい。それ以降天界に移り住んだ人間は天使になって、今でも天から我々を見守ってくれているはずだぜ。ってどうしたお前、気分悪いのか?」
「……ちょっと、アルコール酔いしちゃって。」
「確かにここは空気が悪い、お前みたいなガキをつれてくるところじゃなかったな。もう今日は帰りな、子供は寝る時間だ。」
「ありがとうございます。ご馳走様でした。」
愛想よく腕を振る彼に決して悪気はない。分かっているが、嫌悪感は収まらない。
3000年も前のことだ、人間は誰も覚えちゃいない。今生きている人間は、私の仲間を殺した人間とは全くの別人だ。ただあの頃の人間達の子孫であるというだけで、彼らに対して殺意を抱くのは間違っている。
それは理解していても、納得できない。だって、私からしてみればついこの間の出来事だ。ついこの間仲間を虐殺して故郷を奪った連中と同じ姿をした奴らに心を許せるはずもない。
それに依然として天界は彼らの手に渡ったまま。それはダメだ、人間達は天界に住む者達、即ち『聖龍』の存在意義を理解していないのだ。
聖龍と同じ役目を果たせないのなら、天界にいる資格はない。
軽い鈴の音がなり、外に出るともう夜はとっくに更けていた。空高く見えるあの星々が天界の上に存在しないことを知っているのは、今や聖龍だけじゃない。
「……復讐しなきゃ。」
そうだ、忘れていた。最近はこの生活に慣れることで精一杯だったから。でも、御陰で今この世界についての事情はよく分かった。
目標を立てよう。取り合えずお金を稼ぎながら、この世界についてもっと知ろう。この3000年でどれだけ世界が変わってきたか知らなきゃ、天に攻め入ることなんてできやしない。
知識を付けて、力を付けて、それでいつかあの天界を再び奪ってやるんだ。
思い立ったが吉日。借り部屋に帰ったらすぐに明日からの計画を立てなきゃ。
夜でも街灯が明るく道を照らしてくれている。コツコツと響く足音だけが、私の決意を後押ししてくれていた。
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