第6話
その日から、私の目線はその先輩だけに向けられることになった。運悪くも、偶然私に血を与えてくれたその人に。
正直、味がどうこうでその先輩に目をつけたわけじゃない。
実際、瑠夏の血と先輩の血の味はほぼ同じだった。
でも、飢えた私の舌を刺激したという一点だけで、彼女を標的にするには十分すぎる理由だ。勝手に血を盗んで、勝手にその血に酔いどれた。
申し訳ないと思わないわけじゃないけど、もうこっちだって限界なんだ。
そんなわけで、昼休みの時間、今日も私は3年生の教室へと向かう。
別に先輩に話しかけたりするためじゃない。
ただ、空いている時間があれば彼女のことを見ていたい。あれは私のものだって自己暗示をかけることで気分が落ち着くのだ。
本当はすぐに歯を立てたいけど、それはまだもう少し後の話。先輩の日々の行動をじっくりと観察して、最高の状況最適なタイミングで狩る。
今はまだ彼女のことを知る期間だ。
ここ数日調べて分かったこととしては、まず彼女は赤星さんというらしい。
赤星先輩は、3年生の中ではそんなに目立つような人ではない。でも、縮こまって輪に入り込めないタイプでもない。積極的にクラスの指揮は取らないまでも、自分のコミュニティの中では活動的な生徒だ。
昼間に見にいくと、いつも他の女の子三人と仲良く会話しているのが目に入る。
自分が存在できるコミュニティすらない私に取っては羨ましい話だが、まあそこに嫉妬するようなことはない。私が欲しいのは地位でも名誉でもなく血液なのだから。
「それでさ。さっきの授業のここの問題、オイラーの定理を使うのはわかるんだけど、そのあと………」
「そんなのもわかんないの〜?バカだなぁー」
「うるさい。」
赤星さんが数学の教科書を開くと、隣に座っていた、背の低いのんびりした感じのなんだか変わった女子生徒が煽るように言葉を伸ばす。すると赤星さんの鋭いグーパンチが彼女の頭を直撃する。
「うぎゃ」
普段の赤星さんの誠実な態度を見るに、そういう粗暴なことをするくらいには仲が良いらしい。
「あーもう喧嘩しないでよ二人とも。ちゃんと教えるから。この問題はね……」
二人のやりとりを見ていた、正面に座っている茶髪が混じった三人目の女の子が、問題の説明をしながらなだめる。
こっちの生徒はたしか何度も学校集会で表彰されていた優秀な人だ。
さらにその隣には、さっきからあまり喋っていない四人目の女の子がいる。あんまり会話に馴染めていない雰囲気だけど、四人でまとまっているのを見るに彼女もグループの一員ではあるようだ。ショートヘアのすごい美人さんだ。
赤星さんの周りには色々な意味で個性的な人がたくさんいるらしい。
まあ誰が近くにいようが私には関係がない話だが、人間観察をしているとたくさんのことが目に入るのだから仕方がない。なんならここのグループの四人全員の血を望みたいが、順序立ては大切なのだ。まずは一人。
話を戻すと、赤星先輩は学校が終わった後今集まっている四人グループで帰宅するのだが、家に直帰するわけではない。
途中で塾に寄って、午後9時ごろまで勉強をしてそれから家に帰る。そのときは一人だ。
ああ、もちろんこの情報は私が直接確認したものだから間違いはない。
さらに彼女の家までの帰り道、相当人通りが少ない道を通るため、9時の時点で彼女がそこを通っていることに気がつける人物はほぼいないと言っていいだろう。
え?そんなことを知って何になるかって?
さあ。なんだろうね。
私もよく分からない。
今の私は思考回路を別の誰かに明け渡している。私には血が欲しいという感情以外は存在しないのだ。
だから、何が起こってもそれは仕方のないことだ。
目線は確かに赤星先輩の方に向いているのに、関連性があるのかないのかも分からないことが頭に広がっていく。
いや、関連性はあるな。
あの細くも太くもない腕の中に流れている血、どんな味がするのかなぁ。
楽しみだなぁ。
ん?楽しみ……?
いや、楽しみだ。
あひゃひゃ。
全部真っ黒で、全部真っ白だ。
「……………………」
そんな風に考えていた(?)とき、赤星さんの周りにいる三人の女子のうちの一人がこちらを見たような気がした。
「……!」
教室の前にいた私は、その目線に気がつくや否や、一目散にその場から逃げ出した。
あれ?なんで逃げる必要があるんだろう。
別に見ていたって怒られるわけじゃないだろうに。
まあいいや。とにかく逃げないといけない気がしたから走って逃げた。
その時の私が笑っていたかどうかは、もう誰にも分からない。もちろん自分でも、ね。
♦︎♦︎♦︎
三日後。
私は地元の駅の前にある、小さなビルの路地裏にいた。
その目の前には、街では一番大きい塾がある。時間は午後8時45分
もう夏になるので、夜になってもそのジメジメした周りの空気は変わらない。路地裏なんかにいるから余計に気持ちが悪い。
そもそも、何で私はここにいるんだろう……?
こんな気分が悪くなる場所に長時間いるほどの意味はあったっけ……?
そうだ。
ここにいたら血が貰えるんだ。
誰が血をくれるんだっけ?
先輩?そんな約束をした覚えはないけどなぁ。
じゃあ誰だろう。
私かな?私が全部持ってきてくれるのかな?
そうだと良いんだけどな。
でも、こんなところに連れてきたんだから、私にも何かしらの作戦があるはずだ。
それに従おう。
血をくれるなら、何でもいいよ。
そうこうしているうちに、しばらくの時間が経った。
携帯を見ると、時刻は9時をまわっていた。
それを確認したと同時くらいのタイミングで、目の前の塾の中から何人かの高校生徒が出てきた。
たぶん、この時間は授業が終わる時間なんだろう。
ぞろぞろと出てくる生徒たちの中から、目を凝らして目的の人物を探す。
いた。
私が探していた女の子がすぐ目の前を歩いている。
そして、前に見た時と同じように人気のない道へと入っていく。
その姿を見て、私の足もようやく動き始めた。
どこに向かっているか、誰に向かっているかは、足に命令をかけていない私でも分かった。
もう少しだ。
あとほんの数分我慢すれば、いいだけだ。
どうせ誰も見てはいないよ。
背後から近づいたってバレないよ。たぶん。
バレても逃さなければいいだけ。
「あははっ。」
ようやく自分が何をするべきか明瞭になってきて、変な高笑いが出た。すぐそばにあるカーブミラーに映る目には、あり得ないほど大きな怪物が宿っていた。
狂っているな。でも狂うのも悪くないな。
そんなふうに思って、路地裏から出ようとしていた時だった。
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