第4話

 一週間後、瑠夏は本当にあっさりと私の前から消えた。留学という名のお別れ。

 こんなに簡単に親友と離れ離れになっちゃんうんだって思ったのは、それから少し時間が経ったあとからだった。


 もちろん、音信不通になったわけでもないし、留学で距離が離れても携帯でいくらでも連絡はできる。


 でも、そこに実体は存在しない。


 私に血を分けてくれる瑠夏はもういない。


「……我慢するしかないのかなぁ。」


 教室の片隅でひとりぼっちの高校ライフを送りながらも、私の中に浮かび上がってくるのは瑠夏のこと、いや瑠夏の血のことだけだった。


 瑠夏の話だと、来年には日本に戻ってくるらしいから、待っていればいつかは再び瑠夏の生き血にありつける。

 今は辛抱強く待つことくらいしかやることはないのだ。残念ながら。


 友達のいない教室を眺めているが、無論私みたいに血を吸いたいという話題を出すような人間はいないし、とてもこっちからお願いしても受け入れてくれるような関係の人もいない。


 何もない、そこらへんの高校生よりは少しばかり充実していないだけの、ありふれた梅雨時の女子生徒が私という存在だ。


 誰も私のことを見ている人がいないことを確認して、頬杖をつきながら大きく息を吐いた。

 


♦︎♦︎♦︎



 事情が変わり始めたことを自覚したのは、瑠夏が去ってから3週間がたった頃だった。


「…………やばい。」


 朝ベッドから這い出た私は、自分の体の震えと呼吸の荒さを自覚した。

 少しずつではあるものの、日を増すごとに肉体と感情が異常なまでに昂ってきているのだ。


 こんなことは今まで一度もなかった。だがわざわざ考えるまでもなく、その原因は血液の不足だった。

 ここでいう血液の不足とは、当然だが私の体内のものではないく、3週間前まで飲んでいた瑠夏の血という意味だ。


 考えるに、恐らく禁断症状的なものなんだろう。

 世の中には自分の意思に関わらず依存してしまうものが多々ある。ゲームとかギャンブルとかだ。

 私にとっては飲血もそれだった。


 血を求める身体が、これまで定期的に得られてきたものが摂取できないことに拒否反応を起こしているのだ。


 

 そのことを自覚したあとの私は惨めなものだった。


 教室で隣の女の子の腕を見るだけでかぶりつきたいと思ってしまうし、鼻血を出していた子を見た時なんか一瞬判断が遅れてたら飛びついていただろう。

 瑠夏に血をもらい始めるまでずっと我慢してきたわけだからこれからも吸わなくて大丈夫だろうと考えていたが、一度味わってしまった感覚は思った以上に重くのしかかっていた。

 昔の私は禁断の味を理解していなかったからずっと期待と願望を込めつつ耐えられたのだ。瑠夏に飼い慣らされた私の喉元は、もうあの味なくしては生きていけないと叫んでいる。


 瑠夏じゃなくてもいい。


 誰でもいいから私に血を差し伸べてくれる救世主はいないのか。



♦︎♦︎♦︎



 それからさらに一ヶ月が経った。


 私の症状は一転……することもなく、なんなら以前よりもさらに酷いものになっていた。

 

 とにかく血を飲みたくてたまらない。

 学校の課題とか将来の仕事とか、いろいろなことを考えないといけないのに、思考回路がすべて赤く染まって存在を主張してくる。


 ハァ……ハァ……と瑠夏に与えてもらっていた血の妄想をして頭を抱える日常がスタンダードになりつつあった。というか完全にそうなっていた。


 瑠夏に連絡したところでどうしようもないのは分かっていたから、わざわざ説明することもしなかったが、『早く戻ってきて!』というメッセージを送信する直前まではいった。


 学校なんかはもう立入禁止区域にした方がいいのではないかと思うくらい、私に取って過激な場所だ。

 だって、数十センチしか離れていない場所に、腕を晒した無防備な同級生が平気で会話しているのだ。


 もはや私に噛んでください、とお願いしていると勘違いするレベルにまで脳みそが侵されている。


 ふーっ………ふーっ………


「弓楽さん?体調悪そうだけど、大丈夫?」


 誰かが私の名前を呼んだ。


 ハッとして顔を上げると、隣の席の……名前も知らない誰かが私に心配そうな目線を向けている。


「息、すごいことになってるよ。」

「……あ、ごめん。大丈……夫。」


 ほんの一瞬でも気を抜くと、知らない人にすら心配されて声をかけられるレベルで私は壊れていた。


 今だって、相槌を打っているだけで、考えているのは彼女の血の色だけだ。



 結局、その日は逃げ帰るように家に帰って布団にうずくまった。

 

 どうしよう。

 本当に。

 もう日常生活もままならない。


 誰か、お願いだから、私に血を飲ませて。

 私が本当の意味で壊れてしまう前に。


 無論願ったところで救ってくれる人なんていない。


 ぼやけた意識と血を求める本能が交錯するなか、私はふと立ち上がって鏡を見た。


「………………。」


 そこにいたのは、目の奥に存在してはいけない暗闇を纏った人間だった。


 自分で言うのも何だけど、狂ってるなって思った。

 まともに物事を考えることすらできなくなって、ただ血に飢えて壊れかけた人間ってこんな目をするんだなって。

 

 流石に血を飲まなくなる反動はあると思っていたけど、ここまで酷いとは想像もしていなかった。酷いというか、もはや見るに耐えない。


 私を受け入れてくれる世界なんてどこにもない。


 唯一受け入れてくれた瑠夏だって、結局は私のことを本当の意味で理解してはくれなかった。

 いや、瑠夏を責める気は毛頭ない。だって、私自身も自分に秘められたものを理解していなかったから。


 だから、私がこれから何をしでかしても、制御できない自分を恨むことしかできない。


 行ってはいけない方向に突き進もうとしているのはわかっていた。それでも、進まないという選択肢を選ぶことが、あまりにも難しすぎたのも事実だ。


 もしも私のせいでこれから傷つく人がいたらごめん。

 でも、不可抗力だから、仕方がないもんね。


 舌を捲ったそこらへんの女子高生に似た何かは、知らないところで勝手に計画を立て始めてた。

 

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