第3話

♦︎♦︎♦︎


「んでさ。結局由美のそれ、なんなの?」


 今日も今日とて瑠夏に血を吸わせてもらったあとのとある日の放課後、夕日をバックライトにした瑠夏に、特に抑揚もなくそう言われた。


「それって?」

「血を飲みたいってやつ。」


 歩きながら携帯をいじる瑠夏は対して興味がなさそうだったが、話題が話題だけに私の心は僅かにぐらつく。


「何って聞かれても。」

「いや、だって血なんておいしくもないじゃん。わたしの知り合いに由美みたいに、血を飲ませてくれなんて頼み込んでくる人は誰もいないよ。」


 そりゃそうだ。

 私だってそんな人見たことない。


 ネットを覗くとたまに私と似たような願望を書き込んでいる人もいるけど、私ほど飲血を人生の糧にしている人間はそうそういないだろう。

 

 だが、それは私だけに言えることではない。

 友人に血を飲ませている瑠夏みたいな人だって見たことない。


「私だってどうしてこんなことしたいのか分かんないよ。ただ本能的にそうしたかったってだけで。」

「自分の血じゃダメなの?」

「…………私に血を飲まれるの、嫌?」


 瑠夏の言い方が、自分の血を飲めよ、と言っているような気がしてついつい突っかかりたくなった。

 まあ普通に考えたら自分の血を人に飲ませるなんて嫌だろうけど、私たちはこの関係を続けて三年になるのだ。今更嫌だと言われても。


「いや、嫌ってわけじゃないけどさ。もはや中毒レベルじゃん。」

「……まあ、言い方を変えればそうかもしれないけど。………でも実際のところ、自分の血だと全然気分が上がらないっていうか、興奮しないんだよね。おいしくもない。」


 味は大して変わらないだろうに、どうして自分の血ではだめなんだろうと私も考えなかったわけではない。でも、分からないものは分からないのだから、それ以上もそれ以下も考察しようがないのだ。


「でも、なんでいきなりそんな話を?」

「私がいなくなってもヤケを起こしたりしないかなぁってちょっと心配で。」

「えっ?」


 瑠夏はあっさりとそう言ったが、私の方はあっさりどころではない。


 今の言葉は、瑠夏が私の前からいなくなるということを示唆しているように感じられるものだ。そりゃあ死ぬまでにいつかは離れ離れになるんだろうけど、私としては大学くらいまでは一緒にいるものだとばかり考えていた。

 あるいは、もうウンザリだから関わりたくないという意味か?そうだとしたらもっと困る。


 動揺する私を他所に、瑠夏は言葉を続ける。


「実はねー。………留学しようと思ってるんだ。」

「りゅ」


 留学!?

 瑠夏が平然と言った告白に、私は一瞬言葉が出かかって止まった。そして、脳みその回転を復帰させるやつ否や衝撃が襲いかかってくる。


「えわ、あ、る、瑠夏が?」


 言葉がうまく紡げない。

 え、今の言葉って、瑠夏が留学するってこと?留学って海外に行くんだよね?瑠夏が?

 

 まさかぁ。

 いやでも聞き間違いではないよな……。


「うん。ちょっくらカナダの方にね。」

「いつ?」

「来週から。」

「!?」


 やっぱり私の聞き間違えじゃなかった。

 とてもそんなタイプだとは思っていなかったのに。カナダに留学って。

 私の知らないところで何か事情に変化でもあったのだろうか。


 っていうか来週?

 今来週からって言ったよね?


 一瞬だけ冷静になった私は、すぐに氷の上に熱した鉄球を落としたように心が溶かされていくのを感じた。

 

 もしも来週に瑠夏がこの場にいなかったら、私は一体誰の血を飲めば良いというのか。


 最初に考えたのはそれだった。


 もっと他に友達として考えるべきことがあるだろうと理屈では思うものの、どうしても私にとって一番大切なものは瑠夏の血だったのだ。


「ごめんね。もっと早く言おうと思ってたんだけど、なかなかタイミングが合わなくてさ。……それで、少なくとも戻ってくるまでは血は飲ませられないと思うんだけど、大丈夫そ?」


 私の顔色を伺ったのか、瑠夏が若干気まずそうに言う。


 私はといえば、これまで夏休みのときも冬休みのときも欠かさずに血をくれた瑠夏がいなくなる、その事実に震えていた。


 自分で言うのもなんだけど、私って最低な奴だな。いなくなる親友の存在よりも得られなくなる血液を優先して考えるなんて。

 でもそれが私の本音であり、秘められた狂気が僅かに顔を出せる範囲なのだ。


 瑠夏も、私がどういうふうに考えているかを理解していたからこそ、わざわざこのタイミングで遠回りして留学することを伝えたんだろう。

 

「あ、うん。……たぶん大丈夫。」


 ぶっちゃけ大丈夫だとは思わなかったし、行かないで、と言いたかった。でも、瑠夏にこれ以上迷惑をかけるわけにはいかない。私に血を寄越すために一生隣にいろ、なんて命令する権利なんて私にはどこにもないのだ。


「そっか。……でも永遠の別れってわけじゃないからさ。案外すぐ弱音吐いて帰ってくるかもしれないし、そしたら慰めてね。」


 瑠夏の表情はどこか複雑だったが、無理したように笑ってその場を去っていった。



 瑠夏の姿が見えなくなって、私はようやく大きなため息をついた。


 だって、来週にはもう私の隣に瑠夏はいないのだ。


 血が云々に関わらず、幼少期からずっと一緒だった親友が一時的とはいえ離れ離れになってしまうというのは悲しみに暮れてもいい事態だろう。


 ………まあ、たぶん私が血を得られなくなっていきなり発狂するようなことはないだろう。


 中学一年生までずっと我慢できていたわけだし、ゲーム機を没収されたと思えばまあ……。


 とはいえ、そもそも私の高校の友達なんて瑠夏くらいのものだし、精神的な面での辛さも大きくなりそうだ。


「瑠夏が留学かぁ。‥‥留学。」


 ずっと一緒にいた瑠夏が留学を望んでいたんなんて私は全く知らなかった。

 瑠夏って勉強が得意な方だったっけ。

 小学生の頃は別にそんなにだったけどなぁ。

 

 最近のことは知らなかったけど、知らず知らずのうちに瑠夏も変わったということなんだろう。


 ……あれ?どうして私は瑠夏について小学生のころまでしか覚えてないんだっけ。

 ……まあいいか。




─────────────────────




 自分が楽観的だとは思わないけど、私は瑠夏がいなくても死ぬわけではないか、程度に考えていた。


 現実では恐ろしいほどの悪意と依存が密かに大きく広がっていた。

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