第1話
言ってしまえばそこは広大な草原であって、それ以上でも以下でもありませんでした。
いつの間にか私は青空の下に突っ立っていたのです。
幻覚でも見せられているのではないか、とまず私は思いました。——これまでも幾度の怪人との遭遇を繰り返してきた私からするとこのような幻覚に遭ったことは割と少なくなかったからです。
しかし、どうもそれは違う気がします。
なんとなく、体感的にそう感じるだけではっきりと言い切ることはできませんが、肌に受ける風の感覚だったり、土の匂いだったり、草木の音だったりがどうも幻覚には思えないのです。
ならば夢でしょうか?
いやそれはあり得ませんね。私はこんな壮大な景色を想像できるほど想像力があるとは思えません。
だからと言ってこれが現実だとは信じられませんし……やはり高度な幻覚でも見せられているのかもしれません。
立ち止まっていても何か解決しそうになかったので私はその辺を見て回ることにしました。
身体に違和感はないか、視覚に異変はないか、味覚に異常はないか、感覚に支障はないか、嗅覚に変化はないか、とにかく自分の五感に聞いてみます。
もしも夢の中や幻覚ならば真っすぐに歩けないかもしれません。
全速力で走ってみると相変わらず少ししか進んでいないのに息が切れて、思いっきりジャンプしてみると想定通りしりもちを着いてしまいました。
なんとなく今度は茂っている一本の草を引き抜き、綺麗そうな場所を見極めて齧ってみました。苦みの含まれた、お世辞にも美味しいも言えないない味です。
どうも異常はないみたいですね……。
「あ、そういえば……」
ふと私は思いつきました。
四方八方に視線を向けて”それ”がないかを探します。
しかしどうも近くには”それ”らしきものは生えていないようでした。
”それ”がないのであればどうすることも今は出来なさそうですし、足にもなんだか疲労感が溜まってしまったようなのでその場に座り込みました。
ここで一旦状況を整理することにしました。
確か、ここに来る前は私は自分の家で身支度用の鏡の前に立っていました。
そう、私に魔法を教えた化け物くんに言われてそこに立ったんでしたね。
えーとそれで化け物くんと少し会話したんでしたっけ?
会話していたら、——そう、急に化け物くんの身体が肥大化していって……びっくりした私は振り返って——それからどうなったんでしたっけ?
そこから先が思い出せません。
というかあの化け物くんは大丈夫なのでしょうか? いきなり肥大化したように見えたけれど、あのまま破裂して死んでしまったりしてませんかね。
なんだかんだどんくさいやつでしたので少し心配ですが。
太陽の光はほんのり暖かく、吹き通る風は肌に当たるとひんやりしています。だから私は気が付けばごろりと横になっていました。
昼寝日和な心地の良い気分に浸り、ふぅと息を零します。
瞼の裏に薄っすらと先週買った新しい高校用の制服が浮かんできました。
——そうでしたね。
明日からはとうとう高校生になるんでした。
明日になれば怪人との闘いも終わりを迎える——そう、魔法少女としての私が明日で終わる、そう考えると不思議と寂しい気持ちもあるもんですね。
そんなことを考えていると眠気が押し寄せてきて、だんだんと瞼が重くなっていきました。
心地の良い雰囲気に呑まれ、私は眠りについてしまいまいました。
——夢を見ました。
真っ暗になった世界で声だけが聞こえてきます。
その声は聞き覚えのあるあの”四つの耳と五つの尻尾を持つ化け物くん”の声に似たものでした。
『——魔法少女じゃなくなった君は怪人の正体を知る”ただの一般人”になってしまう。だから残念だけど——」
その言葉を聞き終えたと同時に突然、肉をえぐるような鋭利な痛みが頬を走りました。
呼び起されるように私はバッと起き上がり、思わず頬に手を当てます。
特に怪我をしているわけではありませんでしたが、しかしそんなはずはないのです。
あの時、私は樋口湊は肥大化した化け物に思い切り頬を打たれて——抉れた頬から血を流し倒れ込んでしまった。
ただそれ以降の記憶は一切覚えていない、おそらく気を失ってしまったのでしょう。
そして目が覚めると私はこのだだっ広い草原の真ん中に立ち尽くしていた。
——なぜ?
とは言え、まずは冷静になりましょう。
整理するとあの化け物との会話の最中に気を失った私が再び目覚めた場所が見たこともない広大な草原の中だった。
そしてそれは夢の中でも幻覚を見ているわけでもありません。
私の推測でしかありませんが今はそれ以外に一番信用できるものはないのでそういうことに決めておきます。
推測通りに今の現状が現実なのだとすると一つだけ——私なら出来るだろうことがあるのです。この現状を打破するための秘策と言っても過言ではありません。
それは魔法です。
長年——と言っても、たかだか三年間程度でしたが、それでも若い女の子が魔力とかいう漫画の世界でしかない力をほぼ独学で勉強して魔法にまで昇華させてきたんです。
あの耳が四つの尻尾が五つの化け物は魔法に関する知識は皆無でしたので。
きっかけだけ与えて私に丸投げしてきたことには流石に耳の一本でも引っこ抜いてやろうかなんて思いましたね。
……あいつ、なんであんな事をしたんでしょうか。
今まで一緒に戦ってきてたのに……。
——ふいに謎の浮遊感が私を襲いました。
「うわっ」
草原からだんだんと離れていきます。
草花が小さくなっていき、ぞわぞわっと背筋に寒気が走りました。
た、高い。めちゃくちゃ……。
何が起きているのか確認しようと思ったのですが、私高いところが苦手でして体が強張ってしまい下手に動くことが出来ません。
なんなら眼も閉じたい!
「え? もしかして君、生きてる?」
ちょうど背後から声が聞こえた。
ただ聞こえたからと言って私が振り返ることが出来るわけもなく、困惑します。
「む。やっぱり死んでるよねーそりゃこんなところにいるのってそういうのだもんね。あ、やばいやばい。また道草食ってたって言われて報酬金削られる!」
何を言っているの、こいつ、と姿も知りえぬ背後の人(多分喋るから人のはず)に思いましたが口が震えて声を出すことはできません。
しかし、どうも私は空中に浮かべられて運ばれているようです。
目的地がどこなのかはわかりませんし、ここを離れていいのかも、そもそも後ろの人(多分)が誰なのかもさっぱりですがあのままじっとしていても進展がなさそうでしたので草船のごとく運ばれていくことに決めました。
——決して高所恐怖症のせいで何もできなかったわけではありませんので。
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