第3話 失踪

 1泊2日分の荷物をリュックに入れた。古着のデニムにネイビーのスウェット、靴は黒のコンバース。髪は染めずに癖毛を活かしたボブにしている。小ぶりの金色のピアスをつけた。


 シンプルすぎたら近所のスーパーに買い物に来たおばちゃん風になるし、めかし込みすぎると若作りのような雰囲気が出るのがアラサーの悩みだった。

 地元に帰るだけとはいえ、黒歴史だった中学時代の同級生に遭遇するかもしれない。

 私のことなんて誰も気が付かないとは思うけど、なんとなく「あれ、大人になったらそこそこ綺麗にまとまるタイプだったんだ」って思われたい。

 

 実家は、勤め先の市役所の隣の隣の町にあり、車で1時間程度で帰れる。

 マンションの隣の敷地にある契約駐車場には、ローンで買った愛車・スズキのハスラーが私を待っていた。色は緑。納車の日はあんなに喜んだのに、今となっては他の色にすれば良かったと悲しんでいる。


 8月の車の中はエアコンの風力を最強にしても暑く、額から汗がどんどん流れた。

 途中のコンビニでアイスカフェラテを買い、エド・シーランの曲を流しながら快適に車を走らせた。

 

 そういえば、人生最初の彼氏と初めて泊まった夜、緊張を紛らわすために向こうがエド・シーランの「Perfect」を携帯で流した。

 何事もネガティブに屈折させて捉える闇属性の私には物珍しい、真っ直ぐ明るい光属性の彼氏。なぜか向こうが好きになってくれて付き合うことになった。


 当時、自分の存在価値が高まったような、謎の喜びで心がいっぱいだった私は、何をするにも、彼氏に嫌われないか不安だった。

 私のそういう自信の無さから来る挙動不審な様子が原因で冷められたのかもしれない。結局、半年もしないうちに向こうの浮気が原因で別れた。


「闇属性の人生は、トラウマばっか増えてくんかな」ついには独り言まで出てしまった。

 

 40分ほど車を走らせると、左右に青々とした田んぼが広がり、遠くに竹林が見えてきた。竹林に飲み込まれそうな位置に30坪の実家がこじんまりと佇む。中古で購入したから今は築50年くらい。凹凸が少なく、くすんだ色の外壁で、なんとなく胡麻豆腐のように見える。


 昔、小学校の遠足で家の前をクラスメイトと一緒に通ることがあり、男子たちから「ボロ家」と悪口を言われたのを思い出す。

 その日、家に帰って「こんな家に住みたくない」とわがままを言い、父親に顔面をしばかれた。

 今やっと父親の気持ちが理解できる。毎日、笑っているようにも怒っているようにも見える「能面」のような表情を編み出し、嫌な上司や先輩に頭を下げて金を稼いでいる。

 父親も同じようにストレスに耐えて、ローンを支払ってくれていたのかもしれない。

 

 家の車庫には、父親の愛車が収まっていたので、仕方なく庭に車を停めた。


 庭には母親の家庭菜園が広がり、今はスナップエンドウやピーマン、ナスビが実っている。すぐ裏の竹林の根がはっているせいで、4月頃には、庭の各所にタケノコが顔を出す。よく光希と一緒にタケノコ掘りをし、お母さんに炊き込みご飯を作ってもらった。


 「ただいまー」庭の隅にある昔飼っていた文鳥たちの小さな墓の前で小さく呟き、合掌した。兄弟姉妹の居ない私にとって、自分の片割れのような存在だった。

 

 庭の石垣をよじのぼり、久しぶりに竹林をのぞいた。マムシがいるから入ってはいけないと言われたけど、光希と2人でよく冒険していたっけ。


 竹林を抜けると「キウイ畑」と呼ばれるフェンスに囲まれた雑木林がある。実際にキウイが実っているのを見たことないが、何故かみんなそう呼んだ。キウイ畑の中に光希と秘密基地を作って毎日のように一緒に遊んでいた。


 子供時代の思い出にしばらく浸った後、家のインターホンを押した。

「はいー紺野でーえ?ミヤ子?」と甲高く明るい声が途中で、野太いおばさん声に変わった。


「帰ってくるなら事前に言って」

 玄関のドアが開き、前髪を変な位置で括ったお母さんが出てきた。


 お母さんは、元ヤンキーだ。職場でセクハラしてくる上司に後ろからバケツで水をかけて退職したという伝説がある。

 それを正解とは思わないが、頭に浮かぶ選択肢を噛み殺しては飲みこんでいる私には羨ましい。


「ええやん、実家やねんから」玄関に上がり、スニーカーの紐を緩める。


「そういえば光希、元気?」

「消えたらしいで」


 お母さんの口から飛び出た言葉に理解が追いつかず、もう一度「え?元気?」と訊いた。


「おらんなってんて。光希ちゃん」

 スニーカーを脱ぎかけながら、無言でお母さんを見つめた。


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