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「いやー、怖かったな。あの様子だと、存在を勘づかれたのはルツくんだけじゃないね。意識のない人間の気配すら察知するなんて相変わらず化け物じみてる」


「怖いなんて人間らしい感情持ち合わせていないくせに、何言ってんだよ」



仏頂面の、翠と紫のオットアイの紅顔の美少年が、わざと音を立てて重いドアを開け放つと、開口一番に悪態を吐いた。



首に掛けたヘッドフォンを外しながら、うざったそうに僅かに乱れた亜麻色の髪をはらう。






「やあ、ルツくん。外の空気は美味しかったかい?」


「おれを追い出した張本人がそれを言うか」


「これでも気を遣ってあげたんだよ?まあ、この場合は君じゃなくてあの子にだけど」


「また訳わかんないことをゴチャゴチャと。それよりジャンヌは?帰ってきてるんでしょ」


「地下室で寝ているよ」


「‥‥アレ、飲ませたわけ?」


「あの子はあの薬がないと眠れないから」


「丸三日夢も見ずに眠り続けるなんて、人体に無害なんだろうな」


「まさか、でもジャンヌちゃんになら問題の内にも入らないよ。ーーあの子は、〝特別〟だからね」


「‥‥」


「あ、待ってよルツくん」


「‥‥何」



用事が済めばすぐに去ろうとするところがどこかの誰かに似ているとほくそ笑む。




「仕事だよ、仕事」


「今片付けてきたばかりなんだけど」


「安心しなよ、君の能力を使えばすぐに終わる」


「‥‥」


「ジャンヌちゃんの目が覚める前には戻ってこれると思うよ。尤も、君が上手くやれればの話だけど」


「‥‥」


「どうするの?ーーお金、欲しいんでしょ?」





言語を覚えた当初は事あることにキャンキャンと子犬のように噛み付いてきた少年は、少しは我慢というものを身に付けたらしい。



それでも、不機嫌丸出しの顔で目一杯睨み付けてくるところは年相応と言うかなんというか。






「お前さ、毎度のことながら普通に喋れないわけ?なんで一々腹立つ物言いすんの?趣味?だとしたら性格が悪すぎるんだけど。まあ、お前の性格の悪さは今に始まったことじゃないけどさ」




普段は決して口数が多いわけでもないのに、挑発すれば負けじと口が達者になるのはいつまで経っても変わらないようだ。



弱い犬はなんとやら、小物ゆえに扱いやすくて助かると肩をすくめる。






「君こそ、もっと立場も弁えるべきだよ。言葉すら理解していなかった君を保護するに当たりあの子と僕の間に何かしらの契約が交わされたことには流石に気付いてるんでしょ?」


「‥‥」


「雇い主には順応であるべきだよ。これ以上ジャンヌちゃんの手を煩わせたくないならね」


「‥‥っ」


「ほらほら、分かったなら早く行きなよ。君の大好きなジャンヌちゃんとの時間が無くなっちゃうよ?」


「‥‥くたばれ、クソ猫」



「口が悪いな。まあでも、四六時中聞きたくもない声を聞いてたらそうなるかな」




寧ろ、少女の前では一貫して〝いい子〟のままでいるのが痛々しく見える。



まるで、飼い主に愛想つかされ捨てられることを恐れている子犬のよう。



いや、この表現は些か的を得すぎている。



少年の境遇を思えば、そんな卑屈な思考回路になるのも致し方ないが。



問題は、個を殺すほどのその努力は実際は何の意味を成さないことだ。



少年が思っているほど、少女は少年に対して関心がない。



関心がない、それはすなわち少女にとってその程度の価値しかないということ。



年相応と言えばそれまでだが、今の少年の不完全さは危うく、いつ身を滅ぼすことになってもおかしくはない。



隙あらば悪態を吐き、存在レベルで嫌いな男にガラ空きの背中を見せるのも如何なものか。






「ーーああ、いっそ修復不可能なまでに壊れて、僕だけの傀儡になってくれればいいのに」




対峙した者を例外なく不快にさせる軽薄な笑みを浮かべる男の目は、無機質な光を放っていた。

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