第27話 私を置いていかないで

「あなたは……全員銃を下ろせ」


 それまで冷徹に交戦の意志を示していた隊長が、シンクロウが射線に入った瞬間、慌てて鉄砲隊を制した。今目の前にいるお方は、決して銃口を向けて良い相手ではない。


「この場は黎明ノ国第三王子であるシンクロウが預かる。王国兵は決してこの者達を攻撃してはならぬ」

「しかし、恐れ多くもシンクロウ様。相手は妖と真紅眼です。王国軍として見逃すことは」

「逸れ者の末弟だが、これでも俺は四季王の血を継ぐ王子だ。その俺の命令が聞けないというのか?」

「い、いえ。そのようなことは……」

「ならばこれ以上の問答は不要だ」


 有無を言わさぬ迫力で隊長に言いつけると、隊長は全ての部下に武器をしまわせ距離を取らせた。


「シンクロウ様、あなたは……」


 王国兵を制御し、シンクロウは今度は鵺とサラサに向き合った。シンクロウが黎明ノ国の第三王子だったという衝撃的な事実にサラサは言葉を失っている。


「王国兵の無礼な立ち振る舞いを、黎明ノ国第三王子として心よりお詫びする。鵺殿やサラサ殿の心情を思えば、許してくれとはとても言えない。だが大勢の死者が出ることだけは避けたい」

「シンクロウ王子、何をなさいます」

「これ以上の問答は不要だと言った。これは私と鵺殿の問題だ」


 シンクロウはその場に胡坐をかくと軍服の前を開けて素肌を晒した。右手には小刀を握っている。


「鵺殿の怒りが治まらぬのなら、この場はどうか俺一人の命でご容赦願えないだろうか。これでも一国の王子だ。多少のけじめにはなろう」

「シンクロウ様……」


 サラサの眼には、このような状況においても揺るぎなく高潔な真紅色を保つシンクロウの魂が見えた。嘘偽りがない。即ち自らの死をいとわぬ覚悟だというのに、一切の振れ幅がない。相当な胆力であると同時に、ある意味でそれは壊れていると言い換えることも出来る。


「それは人間側の理屈だ。妖である私からすれば、王子だろうと一兵士だろうと、命の価値はみな平等だ。お前一人の命が、後ろに控える数十人と釣り合うとは私は思えない」

「確かに俺の行為はおごりかもしれないな。だが人間というのは面子めんつの生き物だ。今の俺にはこうすることしか出来ない」


 鵺とシンクロウの視線が交錯し、緊張が走る。居合わせた誰もが固唾を飲んで状況を見守っていた。


「……良かろう。兵士たちの蛮行を許したわけではないが、お前の顔を立ててこの場は怒りの矛を収めよう」

「感謝する。鵺殿」


 許しを得たことに安堵し、シンクロウは微笑みながら右手に握る小刀に力を込めた。後はこの身を持って履行するのみ。


「早まるな」

「痛っ!」


 切腹しようしたシンクロウの小刀を鵺は弱い雷撃で叩き落とす。シンクロウは指先に微かに火傷を負った。


「言ったばかりだろう。王子だろうと一兵士だろうと、命の価値はみな平等。矛を収めると言った以上、特定の誰かに責任を取らせようとも思わぬ。何よりもサラサにお前が腹を切る姿を見せるわけにはいかぬ」


「鵺殿……」


「サラサの身を守り、この場所まで送り届けてくれたこと。そしてこの場を収めてくれたことに礼を言うぞシンクロウ」


 シンクロウがいなければ、全てが最悪な方向に転がっていたかもしれない。感謝こそしても、命を奪う謂れなど鵺には存在しない。


「シンクロウ王子、我々はどうすれば」


 部隊の隊長が険しい表情で伺いを立てる。この場はシンクロウの顔は立てたが、決してその判断に納得は言っていないようだ。


「先にトキイロの町へと戻り、撤収の準備を進めていろ。俺も後で追いつく」

「この場は引きますが、今回の件は上層部に報告させて頂きますよ」

「構わぬ。元々何の期待もされていない逸れ者の王子だ。悪評の一つや二つ増えたところで何の痛手でもない」

「……全員撤収だ」


 面白くなさそうな顔をして、隊長は部下と共に引き上げていった。


「堅苦しい連中はいなくなった。ようやく俺も少し肩の荷が下りたよ」


 王国兵たちが撤収したのを見届けると、シンクロウはどっと疲れた様子でその場に座り込んだ。負傷をおしてらしくもない威厳を見せつけたことで、肉体的にも精神的にも疲弊していた。


「お前の登場のおかげで頭が冷えた。あのままでは激情のままに兵士たちを攻撃していたかもしれない」


 大きな虎のような姿をした鵺の体が発光し、次の瞬間には和装を着た見慣れた姿の鵺が現れた。身に着けている着物は妖力で編み出したもので、一度爆ぜても人間の姿に戻ると同時に復元することが出来る。


「鵺殿は自在に姿を変えられるのか?」

「ああ、意志一つでな。如何せん、本来の姿は頭に血が上りやすいのが玉に瑕――」

「お話し中失礼いたします!」


 話の流れを断ち切り、サラサが鵺の左頬を強烈に張った。突然の出来事に鵺は頬を抑えて目を丸くしている。


「鵺様が私を守ろうとしてくれたのは分かります。だけど、鵺様が兵士に怒りを向ける度に魂の色がくすんでいくのが恐ろしくて恐ろしくて……」

「サラサ……」


「どうか私のために魂の色を汚さないでください。どのような姿でも鵺様は鵺様です。だけど、魂の色が汚れてしまった先には、きっと鵺様は鵺様でなくなってしまう。それは例え側にいたとしても、どこか遠く行ってしまうのと同じです。お願いだから、私は置いてどこにもいかないで……」


 大粒の涙を流してサラサは鵺の胸に飛び込んだ。鵺が鵺でなくなってしまうようで、怖くて仕方がなかった。自分を始めて必要としてくれた存在。そんな鵺がいなくなってしまうことには耐えられない。


「サラサの一撃、先の鬼熊の拳よりも効いたぞ」


 こんなにも強烈で、そして温かい一撃を受けたのはこれが初めてだった。ここまで感情を揺り動かす存在とこれまで出会ったことがあっただろうか。


「不安にさせて済まなかった。今後はこういうことがないように努めよう。私もお前と離れたくはないからな」

「はい。鵺様」


 鵺は穏やかな顔でサラサを優しく抱擁した。


「今の私はどんな魂の色をしている?」

「くすみが晴れ、美しい黄金色の輝を放っておられます」

 それをサラサを包み込むような、慈愛に満ちた優しい光だった。

「鵺様、再び失礼いたします」

「サラ――」


 不意打ちで、サラサが背伸びをして鵺の唇を奪った。


「鵺様の唇は、少しピリピリしますね」


 短い口づけを終えると、サラサは伏し目がちに恥じらいながら、鵺の唇を指先でなぞった。雷の妖との初めての口づけは、二重の意味で刺激的だった。


「サ、サ、サラ、サラサ? 突然何を?」

「すみません。つい」


 サラサも咄嗟に体が動いての行為だった。目に見えて狼狽し、らしくもなく慌てふためく鵺と艶っぽい表情を浮かべるサラサ。恋の駆け引きはサラサの方が一枚上手であった。二人だけの時間が流れるかと思いきや、この場にはもう一人居合わせている。

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