第26話 どんな姿であっても

「何だ今の轟音は?」

「……あれは、鵺様の光なの?」


 街道で陰摩羅鬼と対峙していたシンクロウとサラサも河原で起きた異変を感じ取っていた。シンクロウは轟音と地響きとして、そして真紅眼を持つサラサの眼には、距離が離れていても分かる程に強烈な魂の光を河原の方角に視認していた。それは日頃から見慣れている鵺の黄金色の光だったが、その大きさは桁違いだ。それに。


「鵺様の魂の色が微かにくすんでいる……」


 日頃まったく混じりけのない鵺の魂の色に、微かなくすみが存在していた。これまでにない状態だ。鵺に何か大きな変化が起きている。


「鵺様が心配です。やはり鵺様の元へ向かわなくては」

「危険だ。鵺殿もそれを望んではいないだろう」

「私には分かるのです。鵺様に何か変化が起きている。共に寄り添い合う者として、放っておくことは出来ません」


 いつも鵺は自分のことを守ってくれた。だけど、今の鵺の状態はとても不安定に見える。理性よりも感情が勝り、居てもたってもいられなかった。真紅眼に宿る決意の色には、どんな説得の言葉も意味を成さないような気がした。


「可憐な顔をして、歴戦の武人のような表情をする」


 サラサの覚悟を受け取り、彼女の頭上から迫った陰摩羅鬼をシンクロウは切り落とした。


「サラサ殿に救ってもらった命だ。君がそれを望むのなら、俺も全力で応えよう」

「ありがとうございます。シンクロウ様」

「到着するまでに君の身に何かがあれば元も子もない。鵺殿の元まで俺が絶対に道を切り開くから、絶対に側を離れるな」


 サラサを鵺の元まで送り届ける決意を固め、シンクロウは迫る二体の陰摩羅鬼を一撃で両断した。思えば自分の意志ではなく、四季王の命に従って剣を振るい続けるばかりの人生だったが、始めて自分の意志で誰かのために剣を振るうことが出来ている。この感覚にシンクロウはこれまでにない高揚を感じていた。傷を負いながらも、覚悟の乗った剣筋はこれまでよりも数段鋭い。


「行くぞサラサ殿」


 鬼熊が木々をなぎ倒して行ったため足跡を辿るのは容易い。なおも襲い掛かる陰摩羅鬼を切り伏せながら、シンクロウはサラサと共に河原へと向かった。


 ※※※


「ソレガオマエノシンノスガタカ」


 狂気に支配された禍落の鬼熊が、本能的に身震いを覚える程に、妖としての姿を露わにした鵺は圧倒的な存在感を放っていた。


 その姿を一言で形容すると、全身に雷を帯びた金色の虎で、体躯は大柄な鬼熊にも劣らない。美しさと雄々しさが共存した、神々しい妖としての本来の姿がそこにはあった。それは雷という自然そのものが獣の姿を象ったかのようでもあり、遠目に状況を伺っていた森の生き物たちも敬うような、あるいは恐れるような、その姿に釘付けとなっている。


「私はこの姿があまり好きではない。一瞬で終わらせてもらうぞ」


 声色はあくまでも普段の鵺のもの。しかし言葉の一つ一つに身震いをもたらすような音圧が伴っている。


「ナニモノデアロウトワレノマエニタチフサガルモノハコロス」


 鬼熊は怯まず、肉体の質量を持った強烈な体当たりで鵺へと迫った。しかし、鵺の纏う雷撃はこれまでの比ではない。雷撃の層に攻撃を阻まれ、鵺の体には指一本触れることが出来ない。圧倒的な格の差が両者の間には存在していた。


「見上げたものだ」


 それでも狂気に任せ、肉体の修復が追いつていないにも関わらず、鬼熊の右前脚が鵺の雷の層を抜けた。これだけでも驚異的だが、流石に肉体の修復が追いつかず、爪先から瓦解が始まっていく。


「せめてもの情けだ。この一撃で逝け」


 瞬間、空間そのものが振動する程の凄まじい落雷が鬼熊の頭上から降り注いだ。


「ニンゲンコロ――」


 怒りも、狂気も、叫びも、鬼熊の全てを鵺の雷撃が飲み込み、その体を塵一つ残さずに完全に消滅させてしまった。


「せめてその魂が安らかであらんことを」


 落雷の跡が残った河原に、鵺は目を伏せて祈りを捧げた。禍落し、見るもの全てに襲い掛かる災厄と化してしまった鬼熊だが、そこに至るまでの経緯には同情の余地しかない。禍落した魂に平穏が訪れるのか、それは妖として悠久の時を生きる鵺にも分からないが、そうであって欲しいと願わずにはいられなかった。


「鵺様!」

「サラサ、どうしてここに!」

「鵺様の魂の色が激しくなったのを見て、居てもたってもいられませんでした!」


 激戦が終わり、静寂を取り戻した河原にサラサの声が響く。鵺が微かに動揺した。妖としての姿をサラサに見られたくない。出会った時から人に似せた姿を貫いてきた。今サラサと顔を合わせたら、彼女に拒絶されてしまうかもしれない。


「今は来るな! 今の私は人の姿をしていない。きっと君を驚かせてしまう」

「どのような姿であっても鵺様は鵺様です。出会ったばかりの頃に言ってくださったではありませんか。少しずつお互いのことを知っていこうと。あの言葉は偽りだったのですか?」

「それは……」


 優しいが、それでいて容赦のない一言。巨大な虎の姿で狼狽えている間に、サラサが河原へと姿を現した。サラサの真紅眼と、妖の姿となっても変わらぬ鵺の翡翠色の瞳がお互いの姿をしっかりと捉える。


「……恐ろしい姿をしているだろう。本当の私は」

「気高く、とても美しいお姿をしておられます。仮に恐ろしい姿をしていたとしても、私は決して鵺様を恐れたりはしません」


 サラサは大きな虎の姿の鵺を恐れず、ゆっくりと近づいていく。鬼熊を圧倒した鵺の方が、堂々たるサラサに気圧されてしまっている程だ。そうしてサラサは鵺に近づき、金色の毛に覆われた額と自身の額とを重ね合わせた。


「この真紅眼を持って生まれたことをずっと恨んできましたが、今はとても嬉しく思えます。この瞳が鵺様と私を引き合わせてくれた。そして今も、この真紅眼が魂の色を映してくれるからこそ、お姿は変わってもあなたは鵺様なのだと私は確信し、こうして抱擁することが出来る」

「……運命に救われたのは、私の方だったのかもしれないな」


 結局、種族の違いを最も意識していたのは鵺だったのかもしれない。だからこそ妖としての本当の姿を今日まで晒すことは無かった。だがサラサはそんな自分さえも受け入れてくれた。自分をここまで理解してくれる人とはもう二度と出会えないだろう。始まりは一目惚れだったが今は違う。もう、彼女以外は考えられない。


「シンクロウはどうした?」

「私を鵺様の元へ行かせるために、陰摩羅鬼の群れを引き受けてくださいました」

「そうか。合流して彼にも礼を――」


 言いかけて、鵺は川の上流の方角から大勢の気配が近づいてくるのを感じた。これは禍津獣の気配ではない。人間の行軍の気配だ。最初に陰摩羅鬼を撃破した際に異変が伝わり、同じ場所で鬼熊を倒すために目立つ技を使い過ぎた。最悪な状況での遭遇といえる。


「サラサ、私の側を離れるな」


 鵺は近づく気配の方向を見やり、巨体でサラサを後ろに庇った。直後、川の上流から総勢三十名はいようかという、王国軍の兵士の一団が河原へと姿を現した。全員が統一された詰襟の軍服を着用し、サーベルやライフル銃で武装している。


「いたぞ、妖だ!」

「何て大きな姿をした虎だ」


 派手に落ちた雷を追って姿を現した軍人たちは、当初想定していた巨大な熊の怪物ではなく、巨大な虎のような存在と出くわしたことに吃驚きっきょうしたが、直ぐにそれも妖だと分かり、思考を討伐へと切り替えた。妖を見つけたら即座に討伐すべしとの教育が王国軍には浸透している。


「銃砲隊構え!」


 隊長の号令に従い、隊列を組んだ鉄砲隊がライフル銃を構える。鬼熊があまりにも強靱な肉体を持っていたためシンクロウの部隊は壊滅的な被害を受けたが、文明の利器たる重火器の登場によって近年、王国軍による妖討伐は著しい成果を上げている。


「止めてください! このお方は誰よりも心優しい妖です」

「サラサ!」


 堪らず鵺の後ろに隠れていたサラサが鵺を庇うように前へと躍り出た。自分と同じ人間が鵺に銃を向けているという現実が我慢ならない。善良な妖はたくさんいるのに、出会った直後に問答無用で銃を向けるだなんて絶対に間違っている。


「……隊長、人間の娘です。このまま銃撃するわけには」


 サラサの登場に鉄砲隊の隊員は目に見えて動揺したが、経験豊富な隊長は良くも悪くも冷静で、顔色一つ変えなかった。


「貴様らの眼は節穴か? あの娘の瞳をよく見て見ろ。あれは真紅眼だ」


 隊長がサラサの瞳を指した瞬間、空気感が変わった。


「きっと全てはあの娘が仕組んだことに違いない。あの真紅眼の娘が怪しげな力で妖を操っておるに決まっている。あの娘もまた怪物なのだ」

「……あれが真紅眼」

「何て不気味な」


 鉄砲隊の隊員の迷いは恐れへと変わり、それはそのまま攻撃性へと変わった。あの娘もまた排除すべき標的だ。隊員たちのサラサを見る目は化け物を見るそれへと変わっていく。


「……私は……そんな……」


 これまでも酷い迫害を受けて来たが、ここまで明確な殺意を向けられたのは初めてだ。極度の緊張でサラサの声が絞られる。


「躊躇うな。娘ごと妖を撃ち――」

「……貴様ら、黙って聞いていれば好き勝手言ってくれる!」


 我慢の限界に達した鵺の咆哮ほうこうが空間そのものを振動させる。その圧倒的な迫力を前に鉄砲隊は気圧され、恐怖のあまりライフル銃を落としてしまう者もいた。


「私は何を言われても構わない。だがこの娘が、サラサが何をした? 真紅眼を持っているというだけで酷い迫害を受けてきた彼女の命を、あまつさえ本来は同族であるはずの貴様ら人間が奪おうというのか? 一連の鬼熊騒動だってそうだ。元は知性と気高き魂を持っていた一匹の獣を、貴様ら人間が利己的に進めた開発によって狂気に支配され、悪鬼羅刹あっきらせつへと堕ちたのだ。この世界に邪悪が存在するとすればそれは、貴様ら人間ではないか!」


 サラサを傷つける者を鵺は決して許さない。だがサラサを守らんとする行為であったとしても、この激情は紛れもない負の感情。激昂する度にサラサの瞳には鵺の黄金色の魂の色のくすみが増していくのが見えた。


「鵺様、私は何を言われても大丈夫ですから。私のためにこれ以上、あなたの高潔な魂を汚さないでください……」

「私の魂の色などどうでもよい。サラサを守るためなら私は容赦なくあの者たちの命を奪う」

「そんなことを言わないで。その一線を越えたらきっと、鵺様は鵺様ではなくなってしまう」

「君を守れるのならそれでも構わない!」

「鵺様!」

「何を躊躇っている。早く撃て!」

「軍人さん達も、どうか銃を収めて!」


 サラサの必死の叫びも虚しく状況は一触即発。もう、どちらが先に攻撃を仕掛けてもおかしくはない。争いは避けられないと思われた。次の瞬間。


「双方矛を収めよ!」


 突然、睨み合う双方の間に人影が割って入り、威厳ある強い口調で停戦を求めた。多数の陰摩羅鬼を撃破し河原へと駈けつけたシンクロウだ。

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