第24話 血の歴史

「ところで、お前は川の上流から流されてきたようだがその負傷の痕。件の熊の怪物とやらの仕業か」


「その通りだ。近隣地域の住民はあの怪物を鬼熊きゆうと呼んで恐れている。討伐の命を受け王都から馳せ参じたは良いが、鬼熊の圧倒的な戦闘能力を前に我らの部隊は壊滅的な被害を受けた。生き残った部下だけでも逃がそうと単身囮となったのだが、滝まで追いつめられて、滝壺目掛けて一か八か飛び降りた。俺が覚えているのはそこまでだ」


「怪物の注意をひきつけ果てに決死の飛び込みか。見上げた度胸だな。それにしても、部下と言ったが、まだ若そうだがそれなりの立場にいるようだな」


「これでも現場は長い……逃がした部下たちは無事だろうか」

「道中でトキイロの町を通ったのだが、王国軍の兵士が大勢いて、負傷兵らしき姿も見えた。状況から察するにこの負傷兵がお前の部下だろう」

「そうか。無事にトキイロの町まで逃げられたのならば良かった」


 ずっと逃がした部下たちの安否が気がかりだったのだろう。シンクロウは安堵の溜息を漏らした。


「大勢の兵士がいたというのなら、王都から増援が到着したのだろう。俺の部隊が壊滅的な被害を受けたこともあり、かなりの大事になっていそうだ。このまま山狩りを始めるかもしれない」

「私たちからすればいい迷惑だな」


 このまま森に長居していては、鬼熊討伐に現れた王国兵の部隊と鉢合わせる可能性も大いに考えられる。そうなれば状況は厄介だ。


「確かに、サラサ殿のことを考えれば王国軍との接触は望ましくないだろう。酷い話だが、歪んだ正義感で、真紅眼の持ち主を切り捨てた兵士が無罪放免となった事例も過去には存在している」


「今の王国はそこまで狂っているのか?」


 怖気に身震いしたサラサの体をそっと抱き寄せ、鵺が眼光鋭く問うた。


「……そういった前例があったのは事実だし、現国王である四季王しきおうの対妖の姿勢がそれを助長させている。無論、良識のある兵士だってたくさん存在しているが、王国としての方針が妖や真紅眼の持ち主に対して排他的であることは揺るがぬ事実だ。一兵士としては嘆かわしい限りだよ」


「シンクロウ様。黎明ノ国はいつからそうなってしまったのですか? 私の曾祖母の時代までは、人間と妖は友好的な関係を築き、真紅眼も双方を繋ぐ架け橋として重宝されていたと聞きます」


 兵士が真紅眼の持ち主を切り捨てたという話にはゾッとしたが、聞けば聞くほどどうして現在の状況が出来上がってしまったのかを疑問に感じる。少なくとも以前出会った蕨野荘の女将のように、誰しもが妖や真紅眼に敵意を持っているわけではない。


「明確に人間と妖との関係に亀裂が入ったのは、今から百二十年程前。先々代の四季王の時代だとされている。当時の四季王は妖と友好関係を結んでいた最後の王であり、同時に妖との敵対姿勢を明確に打ち出した最初の王でもあった。妖との間で発生した諍いによって、最愛の王妃を失ったことが、それまで妖との友好関係を築いていた四季王に影を落とし、妖に対して強い憎しみを抱くに至ったと聞いている。以降、妖との争いが激化し、亀裂は修復不可能にまで大きくなってしまった。そうして妖と友好関係を築いていた時代の話は禁忌とされ、民間でも妖との友好関係がどんどん途絶えて行った。先代国王、現国王もその姿勢を引き継いでおり、関係は悪化の一歩を辿るばかりだ。次期国王と目されるハルアキラ王子も明確に現国王の政策を引き継ぐことを明言している。この国の体制はそう簡単には揺るがないだろう」


 シンクロウの言葉は終わりに近づくにつれて諦観の色が強くなっていった。国の現状にはシンクロウ自身辟易としている。


「だがお前も、王国の兵士として妖を狩ってきたのだろう?」

「鵺様それは……」


 鵺の言葉は鋭利で容赦がない。シンクロウ個人は温厚で理解ある人物であるとはいえ、彼の所属する王国軍が妖を討伐しているのは紛れもない事実だ。彼の手もまた血に染まっている。


「……そうだな。俺もこの歪んだ国の歯車の一つだ。害を及ぼすのは禍津獣だとは分かっているが、俺たちにはその区別をつけるのは難しい。命令に従い殺めた命の中にはきっと、善良な妖もいたのだろう」


「お前個人は禍津獣についても知っているようだが、そもそも王国軍は妖と禍津獣の区別がついているのか?」


「現在の軍部の方針は、妖、禍津獣の区別なく異形は全て討滅しろというもの……そもそも禍津獣と妖に対して深い知識を持っていない兵士も多いし、現場で両者の違いを意識している者は少数派だろう」


「国は異なる存在と知ってなお、妖と禍津獣を区別なく排除しようと考えているわけか。無知よりもよっぽど性質が悪い」


 前線の兵士は末端の駒として命令に従うだけであり、妖と禍津獣の区別がついていない者も多いようだが、国の上層部は確信犯で妖と禍津獣を一緒くたに討伐していっている。現在の黎明ノ国は人間以外に対する殺意があまりにも高すぎる。


「……諍いが生まれた当時を生きた人間たちには、自分たちなりに戦う理由もあっただろう。だが今の黎明ノ国は戦う理由を持っているというよりも、ただ単に近代の慣習をなぞっているだけに過ぎない。理由を持たぬ分、当時の人間よりも悪質かもしれない」


「妖と人間が再び手を取り合える時代の最大の障害は、黎明ノ国の体制そのものということか」


「鵺殿は、再びそのような時代が訪れることを願っているのだな」


「どうだろうな。だがここにいるサラサを始め、かつてのような妖と人間が手を取り合っていける世界の訪れを望む者を多く知っているし、彼らの願いが叶って欲しいとは思っているよ」


「鵺殿。あなたはやはり」


 鵺は一目見た時からどこか浮世離れした存在感を持っていたし、発言も妖の側から発せられているという感覚があった。真紅眼を持つサラサと共に旅をしていることもそうだ。少なくとも一般人ということはあるまい。


「私は――」


 言いかけて、歪で耳障りな鳴き声が河原に木霊した。その声にはサラサも覚えがあり、一度は死を覚悟したあの時の感覚が蘇る。空から差す二つの影は、異形の怪鳥、陰摩羅鬼のものだ。


「まったく、奴らはいつだって肝心な話しをしている時にやってくるな」


 鬼熊が暴れ回ったことで周辺地域の恐怖感情が高ぶり、普段は森の深部に潜んでいる陰摩羅鬼も比較的人里に近い河原周辺にまで姿を現すに至ったのだろう。真紅眼を持つサラサの気配に引かれたてきた部分もあるだろう。いずれにせよ、一行にとっては空気を読まない招かれざる客だ。


「さっさと散れ」


 上方から襲撃の機会を伺う陰摩羅鬼を、鵺は容赦なく雷撃で撃ち落とした。雷撃に焼かれた体が、地表に落下する前に完全に消滅した。


「余計な邪魔が入ったが、改めて名乗っておこう。私の名前は鵺。見ての通り雷を司る妖だ」

「驚いたな。まさか自然現象を操る妖が存在するとは。相当な実力者とお見受けする」

「王国軍の兵士として、お前はどうする?」


 鵺はシンクロウの前にしゃがみ込んで顔を付き合わせた。これまでのやり取りからシンクロウに悪意が無いことは理解しているが、王国兵の立場としては強大な力を持った妖の存在を看過することは出来ないだろう。シンクロウを試す鵺の眼光は鋭く威圧的だ。


「妖であろうと人間であろうとも、命を救ってくれた恩人に刃を向ける選択肢など存在しない。ここで見た出来事は、俺個人の胸の内に留めておこう」


 陰摩羅鬼を一瞬で滅してみせた鵺を目の前にしても、シンクロウは恐れることなく己を貫いた。胆力もそうだし何よりも義理堅い。まだ若いが、かなりの器なのかもしれない。その覚悟に思うところあったのか、鵺は相好を崩した。


「鵺殿とサラサ殿は、種の垣根を越えて共に旅をしておられるのだな。未来に少しばかり希望が持てる気がするよ」

「私もだ。お前のような理解ある若者が人間側にも増えてくれれば、妖にとっても住みやすい世界となるかもしれないな」


 シンクロウが握手を求めると、鵺もその手を快く取った。


「私も混ぜてください」


 サラサが咄嗟に、二人の握手の上に自分の右手を重ねた。妖、人間、そして真紅眼を持つ者。まったく異なる立場にいる三人が手を取り合った瞬間であった。思わぬ行動に鵺とシンクロウは呆気に取られながらも、直ぐに破顔一笑した。いつだってサラサの存在が安らぎを与えてくれる。


「さてと、派手に雷撃を放ったし、そろそろこの場は引き払うとしようか。トキイロの町の兵士たちにも雷鳴は轟いていただだろうからな」

「鵺様、もしかしてそこまでお考えになって雷撃を?」

「無論だ。私たちが兵士に報告しにいくわけにもいかないからな」


 鵺は焚火を始末すると、袖から小さな丸薬が入った包みを取り出し、一粒をシンクロウへと手渡した。


「鵺殿、これは?」

「知人の天狗特性の丸薬だ。それを飲めば肉体の治癒能力が向上し、疲労感も一時的に回復する。仲間の元へ帰る程度には体力も戻ることだろう」

「これが涼風様の」


 以前涼風から丸薬の話をされた時のことを思い出し、サラサは一人で頷いていた。


「かたじけない。この場で何も恩を返せないことを申し訳なく思う」

「シンクロウ様、そう思い詰めないでください。こうして私達は出会った。シンクロウ様はここで死ぬ運命ではなかったということです」

「サラサ、それは私の受け売りじゃないか」

「いいじゃないですか。一度ぐらい、私も言ってみたかったんです」


 本当に細やかだが、思えばこれがサラサが初めて見せた奔放さだったのかもしれない。自分のかけた言葉を覚えていてくれていることと合わせて、鵺も悪い気はしなかった。


「……そうだな。滝壺に落ち、川を流されてきたというのに、俺はお二人と出会ってこうして命を取り留めた。運命が俺を生かしてくれたのかもしれない。だとすれば、この命はもっと有意義に使わねばならぬな」


 至心を宿した悟った表情で、シンクロウが涼風の丸薬を一気に飲み干した。表情はどんどんと、何とも味わい深い渋面へと変わっていく。


「……なかなか強烈な味だな。良薬は口に苦しというやつか」

「……生憎と私は飲んだことはなくてな。だが効能は本物だから安心しろ」


 シンクロウの表情につられるように鵺も表情を顰めた。強い妖であり、そもそも負傷する機会も少ない鵺には治癒の丸薬はそこまで重宝するものではない。シンクロウの表情を見て、これからも自分は使うことはないだろうと確信するのであった。


「トキイロの町へ続く街道までは送ってやる。丸薬が効いてくれば、そこからは自力でも何とかなるだろう」


 立ち上がったシンクロウの足取りはまだ覚束ない。鵺が反対側から肩を貸してやった。


「それでは私も」


 サラサも反対側からシンクロウに肩を貸した。鵺、シンクロウ、サラサと丁度背の順で横並びとなっている。


「かたじけない。丸薬が効いてきたのか、少しずつ体が軽くなってきた気がするよ」

「それでも、自然治癒にも限界はあるから、しっかりと治療は受けておけ。サラサの救った命を無駄にするなよ」

「肝に命じておこう。それにしてもお二人は本当に仲が良いのだな」

「見る目があるではないか。悪い気はしないぞ、シンクロウ」

「もう、鵺様ったら」


 笑いを交えつつ、三人は河原を後にした。

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